終焉篇
彼岸花
第一話
神威小路は冬を迎えていた。
「いらっしゃいませ」
「来たよぉ。いやぁ、まったく寒いねぇ」
「今日は今時期にしてはましなほうですよ」
神威小路には一軒しかない喫茶店、例のファンシーなパフェ屋の店員が、やってきた客をカウンターの席へと導く。ちなみにこの狐の耳を生やした獣人の少女、種族の名はイワコシンプという。
「恐ろしい話だねぇ。いやしかし、かつて京でヒダル神と恐れられたこのわしが蝦夷で冬を越す日が来るなんて、思ってもみなかったよぉ。あんたたち、よくこんなところで産まれて生きていられるもんだと思うよう」
「そんな着物で外を歩くから寒いんですよ。外へ出る時は徹底的に着込む。それ以前に、なるべく家から出ない。それがこの地で春を待つ者の基本です」
「わしは、そうもいかないんだよぉ。何しろ、
行逢神というのは、街道筋などに現れ、行き逢った相手に災いを及ぼす種類の妖怪のことである。人間がそれを見かけただけで即死する、などという類の行逢神もあるが、ヒダル神はそこまで恐ろしい存在ではなく、「遭遇すると急に無性に腹が減る」という性質を持っている。ちなみに今日ではほぼ使われなくなった古い言葉で、空腹であることを「
「あっ、ヒダルさま! お見えになってましたか! あ、注文はチーズケーキとフルーツのパフェね」
と言って店に新しく入ってきたのはパウチコロムンであった。なお、どうでもいいような話だが、いまパウチコロムンが頼んだものは『チーズケーキと、フルーツのパフェ』ではなく『チーズケーキとフルーツのパフェ』であって、つまりチーズケーキがふんだんにトッピングに使われ、さらにはフルーツもこんもりと盛りつけられたパフェである。
紅蜘蛛丸の来訪のあと、神威小路には新しいルールができた。人ならびに妖怪を殺したり食べたりしてはならない。人ならびに妖怪を殺したり食べたりする習慣を維持している者は立ち入りを禁ずる。他にも細かいことは色々あるが主にはこの二点である。なお「過去に人ならびに妖怪を殺したり食べたりしたことがあるかどうか」は問題にされない。それを言い出すと紅蜘蛛丸も出禁にされてしまうし。
人間を喰らう自由が失われたその代わりに、神威小路に持ち込まれた秘策がパウチコロムンの招聘したヒダル神の存在であった。ヒダル神に遭遇した者は、強い空腹を覚える。彼はよくもわるくもただそれだけの妖怪である。強い空腹を覚えれば、当然、近くで食事がしたくなる。よって彼のいる神威小路に客を招けば自動的に金は落ちる。飲食店を中心とした商店街にとって、これほど心強い守り神もそうあるまい。
「こんばんわー。ぼくが来ましたよー」
と言って店に入ってきたのは内田鹿子であった。
「鹿子ちゃん、いらっしゃーい。はいお水。ご注文は?」
「今日のスペシャルはなにかな?」
「ベルギーチョコアイスとグリオットチェリーのショコラパフェ。2480円」
「じゃあそれー」
鹿子は紅蜘蛛丸と出会った頃にやっていた水商売は辞め、いまはこの神威小路に関わる仕事をしている。神威小路商店街が人間を相手に商売をすることにした以上、とうぜん人間の仲介役も必要なのであり、紅蜘蛛丸ともコネクションのある彼女はそれにうってつけだったから、パウチコロムンからスカウトされたのであった。ちなみに人間の客用のメニューと妖怪の客用のメニューでは材料が一部変えてあり、生きた人間の客には
しかし。
「キョキョキョキョ、キョキョキョキョ」
と鳴く声がしたので、ヒダル神以外のみなが驚いた。
「あれは何の鳥だい」
とヒダル神がとくに考えもなしに尋ねると、パウチコロムンが言う。
「あれは……
「ですが、なんだい」
鹿子が言葉を引き継いだ。
「ヨタカは渡り鳥で、北海道で見られるのは夏だけです。こんな時期に、普通ならいるはずはありません。おかしい」
「ただの、渡り損ないのはぐれ鳥じゃないのかよう」
パウチコロムンが深刻な顔になって言った。
「オラウンクルカムイというのは、あの世の神、地下からやってくる神、という意味です。あの世、つまり冥界テイネポクナモシリに何か災いがあったとき、地上に現れる凶鳥としても知られている」
「ふぅん。ということは——」
そのときだった。
店が突然、木の葉のように揺れ、神威小路は凄まじい轟音に吞み込まれた。
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