第六話

「帰って早々に何だが、今から東大寺へ向かって三好三人衆に夜襲をかけてくる。それではな」

「ちょ、ちょっと父上!」


 弾正は城内には入らず、本当に白骨の軍勢を率いて行ってしまった。その傍らには陰陽童子の姿があるが、それが誰なのか久通にはこの時点では分からない。結局、ついて来いとも言われない久通はそのまま酒席の主催をせざるを得ない。城代なのだから城に居ないわけにもいかないのだった。


「あれ、兄上。父上がお戻りになったのではないのですか?」

「戻ってきたといえば戻ってきたのだが、そのまま戦に出かけてしまった」

「左様か。相変わらずお忙しい御仁だな」


 状況を把握していない紅蜘蛛丸は呑気に名物の奈良漬を齧り、酒を飲んでいた。陰陽童子が何をやっているかこの時点で把握していたら飛んでいったかもしれないが、知らないものはどうしようもない。三好三人衆の軍勢が東大寺に布陣していて、久通もそれと合戦の最中だということは知っているのだが、それは自分が直接関わるべきことではないと思っていた。


「なんだか、随分空が明るくないか? 戦の火にしても、明るすぎる」


 酒は十分に飲んだので白湯を啜っている紅蜘蛛丸が、怪訝な顔になってそんなことを言う。なおこの時代には緑茶というものはまだあまり普及していない。明るく輝いているのは東大寺のある方角だった。ちなみに多聞山城から東大寺まではほぼ目と鼻の先と言っていい。


「はっはっは! 帰ったぞ!」

「おお、父上。お帰りなさいませ。その様子だと、夜討ちは成功なさいましたか」


 と言って久通が応対に出るのに対して、


「夜討ち自体は大成功だったのだが。そのついでに、もののはずみでな」


 弾正はかんらからからとわらう。


「大仏殿が焼けて大仏の首が落ちた」

「なんですって!?」


 久通が絶叫する。陰陽童子はその脇でしゅんとしていた。


「もうしわけありません。どうも、あみだしたばかりのじゅつで、うまくあやつりきれませんで」


 陰陽童子の骸骨兵が誤って東大寺の灯火を倒し、おりからの強風に煽られて大火災を招いてしまったのであった。陰陽童子と弾正の関係をこの時点で初めて知った紅蜘蛛丸が、庭に駆け下りてくる。


「陰陽童子! お前、なんということを……!」

「べにぐものきみ。おひさしゅうございます」

久闊きゅうかつを叙している場合か! お前、自分のしでかしたことの意味を分かっておるのか!!」


 この頃の紅蜘蛛丸と陰陽童子は必ずしも完全な断交状態にはなかったのである。それはさておき。


 主君とその嫡子を暗殺し、将軍を御所に攻め殺し、その挙句ついには奈良の大仏を焼いた松永弾正久秀の悪名は、当たり前だが天下に轟くこととなった。


「最後のは、さしもの吾輩もわざとやったわけではないのだがな」

「……それはそうかもしれませんが。父上。そもそも、数年前に多聞山城をお造りになったときにですね。拙者言いましたよね? 今までみんな遠慮してこのあたりには誰も城を建てたりしなかったものを、こんなところに縄張りをすれば奈良の都に戦火が及ぶような事態も十分起こり得るのではないか、と」

「そうだな。確かに言っておった」

「要するに、つまり結局は父上のせいで盧舎那るしゃな仏はお焼けになったのでは?」

「まあそう言うな。これでも反省はしておるのだ。大仏再建のための寄進も集め始めたし」

「帝にきつくお灸を据えられて、そうするようにと言われたから表向きの恰好としてそういうふりをしているだけでしょうが」

「そうとも言う」

「父上」


 少々先の話をしてしまうが、結局、大仏の再建という大事業はその後、弾正自身はもちろん豊臣秀吉や徳川家康でさえも果たし得なかった。東大寺の大仏がようやく再び鋳造されるのは江戸も元禄年間になってからで、令和の時代になお残っている大仏はそのときのものである。


「何はともあれ。これから先、どうするおつもりですか。われわれ松永一族、ここまで悪名が広まってしまっては、味方をしてくれる勢力は減る一方ですよ?」

「それは大丈夫だ。吾輩、次の手はもう打っておる」


 疑わしそうな目を向けて、久通は尋ねた。


「どんな手です?」


 弾正はにやりと笑って、こう言った。


「織田信長だ」

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