【作中作】

せちなとべにぐも

 年経た大蜘蛛は強大な力を持ったあやかしに変ずることがある。そのための歳月は僅かに百年あれば足りる。その蜘蛛は百年を生きて人に化身し得るようになり、逞しき丈夫ますらをの姿に化身しては女を誘い、自らの巣に引きずり込んで喰らった。ひとの血肉を得れば得るほど、かれはさらにひとに近い性質を持つようになり、そしてより狡猾になった。故郷を離れてみやこの一角に潜むようになったのは、山里よりもその場所の方がずっと、かれが人を餌食にするために適していたからであった。


 そうして都で、またいくたりかの女が犠牲となった。ある女はその美貌のために。また別の女は、女としての魅力には欠けていたが、武芸に優れていたために。さらにまた別の女は、不具のため醜く生まれついたために。


 そして最後に、刹千那という名のひとりの女がかれの前に現れた。刹千那が巣に入っていくと、かれは入り口に背を向けて、それまでに犠牲にした九十九人の女のしゃれこうべを玩んでいた。その身の丈は六尺と七寸余り、その背には八筋の赤い傷痕が走っていた。その傷痕のゆえに、かれはその頃、既にこう呼ばれるようになっていた。


「紅蜘蛛丸……」


 刹千那は激しく頭を振った。全身が震えている。それでも彼女は必死になって気力を奮い起こそうとした。自分の命と引き換えにしてでも、この化け物を倒さなくてはならない。たとえそのために、自分がどうなろうとも。そう心中で自分に言い聞かせながら、刹那は手印を結び、呪言を唱えはじめた。


 だが。紅蜘蛛丸は彼女の方を振り返り、言った。


「刹千那。お前は、他者を不死にする術を使えるというのは本当か?」


 刹千那は答えなかった。呪言が完成する。式札が嵐のように舞って紅蜘蛛丸を包み込んだ。その式札を、しかし紅蜘蛛丸はひと呼吸のうちに、片手で全て握り潰していた。刹千那の顔色が変わる。彼女は再び呪言を唱えようとした。しかしそれよりも早く、紅蜘蛛丸の手が伸びて、刹千那の首を掴んだ。刹千那は苦悶の声をあげた。喉元を押さえられ、声を出すことができない。足掻いても無駄だった。彼女の身体は宙に持ち上げられていく。


「もう一度きく。お前は他者を不死にできるのか。おれを」


 紅蜘蛛丸はわずかに手の力を緩め、刹千那の返事を待った。


「で……きる」


 紅蜘蛛丸は説明を促す。


「しかし、それには、お前の……お前の、仔を呪言のしろにする必要がある。お前と、人間の女の間に生まれた、半妖の子が必要だ。紅蜘蛛丸、お前に仔はいるのか」

「いない。人間などはただの餌だと、今の今まで思っていた。人間の女ならば、誰でもいいのか?」

「出来得るならば、呪力の強い者がよい。つまり」


 紅蜘蛛丸は笑い出した。


「つまり、お前か」

「そういうことになる」


 紅蜘蛛丸の背後の空間、虚空から蜘蛛の糸が放出される。刹千那はそれに絡み取られ、そしてゆっくりとその場に横たえられた。


 刹千那はそれから三日三晩に至るまで紅蜘蛛丸に犯し抜かれた。


 そして数ヶ月後、懐胎した刹千那の世話を甲斐甲斐しく焼く紅蜘蛛丸の姿が、例の巣の中に在った。紅蜘蛛丸は刹千那と初めて出会ったその日から、人を喰うことはやめ、人中に肉や魚を購って自らの糧とするようになっていた。


「具合はどうだ。何か、ほしいものはないか。何か、食べたいものはないか?」

「紅蜘蛛丸。そうそわそわするな。もうそろそろ、胎の子は落ち着く頃合いだ」

「そういうものなのか」

「そういうものなのだ。ひとの子はな」


 やがて月満ちて、子は産まれた。


「さて、どうする。この子をにえとして、そなたは不死を求めるか」

「いや。それはもういい。おれは……お前と、ただ添い遂げたいと思う。今は、それがおれの願いだ」

「そうか」


 その後、紅蜘蛛丸は長じて妖怪の王とまで呼ばれるようにまでなったが、百年ののちに死んだ。多くの子や孫たちに囲まれて、その死に様はたいそうに安らかなものであったと伝えられている。

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