第四話

 地下だが、周囲は明るかった。冥界とはそうしたものである。洞窟のような通路をしばらく進んでいくと、開けたドーム状の空間を、大きな川が横切っていた。橋はないし、舟と渡し守、などといったような者の姿も見えない。二人が死者ではないからそのようなものが現れないのか、それともまったく別の理由があるのか、分からないが、川を覗き込むと、巨大な魚がいた。


「アイヌの神話に登場する、冥土の魚……ですかね」

「さすがのわたしもここは初めてだから分からないが、おそらくそうではないかな」


 魚として大きいのではなく、人間よりも遥かに巨大な魚である。川の中を泳いだり歩いて渡ったりしようとしたら、呑み込まれて喰われそうな気配が感じられた。


「こうするか」


 紅蜘蛛丸の掌中に、しゅるしゅると蜘蛛の糸が現れた。


「魚を捕まえるんですか?」

「そんな面倒なことをする必要はないよ」


 紅蜘蛛丸の手から放たれた糸が川の対岸まで届き、糸でできた白い橋が川の上に架かった。彼岸花はちょいちょいと足の先で踏んでみたが、石か何かで出来ているように硬く、がっちりとしていた。上を渡る。


「うわぁ。紅様って便利」

「造作もない」


 川を渡ると、道らしき模様がある。それに従って歩いて行く。しばらく行くと、神威小路だった場所にあったのとはまた構造の違う集落コタンのような場所があった。小屋チセが散在している。そして何かがいた。形は人間に似ているが、人間ではない。土から作られたような外見をした怪物だ。


「あれは。オッカヨカッポイェンヌプ、そしてメノコカッポイェンヌプ」

「すいません、もう一回言ってください」

「オッカヨカッポイェンヌプとメノコカッポイェンヌプ」

「覚えられそうにないです」

「アイヌ語で前者は『男人形』、後者は『女人形』ぐらいの意味だ」

「じゃああの、今後その呼び方で」

「うむ」


 男人形と女人形、合わせて百以上の姿があるように見える。男人形の方は作りかけの網籠のようなものと擦り切れたボロ糸を手に持ち、矛と弓を携えている。


「あの矛と矢には毒が塗られている。ヒグマを殺すアイヌの猛毒だ。気を付けろ」

「はい」


 女人形の方は破れたむしろのようなものを被り、奇妙な房のようなものをぶら下げたボロ糸を身体に繋いでいて、縄を持っている。


「あの縄も、猛毒に浸されている。万一のことがあれば、お前の肉体ではひとたまりもないだろう」

「……はい」


 だが、人形たちは二人の存在にまったく気付く様子がなかった。そのあたりで、何やら歩き回ったり作業をしたりしているように見えるが、二人の方に関心を示す様子すら見せない。


「知能が無いんですかね?」

「分からん。気付かれないなら、このまま通り過ぎるとしよう」


 進む。集落の向こう側がそろそろ見える、そして遠くに何やら巨大な建物が見えてきた、というところで。動物の吠える声がした。


「ウウウ……ワン! ワンッ!」


 それは犬だった。人形たちと同じような身体の作りをしているが、明らかに犬だった。はっと、人形たちのほとんどがこちらを見た。何体かの男人形たちは弓をつがえようとしている。


「どうやら、まずいことになったみたいですね」

「そのようだ」


 日本にもそれ以外の異国にも似たような迷信があるが、犬は人間の眼には見えないもの、例えば幽霊などを見ることができると言われることがある。アイヌの冥界信仰にも、それに似たものがあった。つまり、この世において生者が死者の霊を見ることができないように冥界においてその住人には生きた人間の姿を見ることはできないが、この世の犬が幽霊を見るのと同じで、あの世の犬は生者の姿を捉えることができる、とアイヌ人たちは信じていたのである。


「彼岸花。わたしの後ろへ」

「はい、紅様。まもりはお任せ致します」

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