【現代篇閑話】彼岸花の日常

 その日、良い聖護院大根が手に入ったので、彼岸花はご満悦であった。聖護院大根というのは京野菜の一種である。大根だが、見た目の印象としては巨大なかぶと言った方が近い。現在では貴重で珍しい野菜となっており、いまどき京都市内でもスーパーマーケットなどで売られていることはまず無いが、馴染みの八百屋に入荷があり、庭先に置いている阿布都乃比あふとうない家の宅配ロッカーに配達してもらったのであった。


 ちなみに彼岸花は現代における阿布都乃比家の当主であり、戸籍上の本名はそのまま、阿布都乃比あふとうない彼岸花ひがんばなという。あんまり名乗る機会はなく、彼女が自分のことを呼ぶときは、『りこらじちゃん』と言っている場合の方がよっぽど多いのだが。


「紅様は喜んでくれるかしら」


 根の部分を食べやすい幅の薄切りにし、葉も細かく切って、重量に対し3パーセントの塩で別々に揉む。全体に塩が回ったら漬物石を置いて、一晩寝かせたあと余分な水気を絞る。この段階で昆布を加え、瓶に移して冷蔵庫に置く。まいにち一回かき混ぜて、四日目か五日目くらいには食べ頃となる。紅蜘蛛丸は今も、塩と昆布を利かせた大根の浅漬けが好物なのである。


「うん、先週漬けた分はもういい感じ」


 彼岸花は調伏師である。しかし、令和の時代の日本において、調伏師としての調伏師らしい仕事というのは、少なくとも週に五日、毎日八時間といったペースで存在するというものではない。従って、普段の彼女の本質は、一言で言えば。


 引きこもり、と言うべきものである。


 だいたい、そもそも学校に通ったことすらないのであった。小学校も行っていない。行けるわけがなかった。彼女の世界は基本的には真言寮と、あとはインターネットの中だけで完結しているのである。なお、旧家の生まれであるので、それでも別に暮らしに困るようなことは全くない。


 いま、真言寮に暮らしているのは彼女と紅蜘蛛丸だけである。紅蜘蛛丸が決して『夫婦』という言葉を使わせないため、彼岸花はTwitterにおいて彼を『彼ピ』ないし『かれぴ』としか表現することがないが、事実上の問題としては、おおむね彼女の立場は内縁の妻も同然であった。


「聖護院大根の浅漬けらじ」


 と画像付きでTweetすると、それなりに反応があった。


「りこらじちゃん趣味渋い」


 などと言う者もあるが、りこらじちゃんは


「かれぴの趣味です 年上彼氏なので」


 と説明するわけである。


「おっさんと付き合ってんの?」


 などと話を振ってくるやつもいるが、


「おっさんではありません りこらじちゃんは老け専で、彼ピは一千歳らじ」


 と普通に返す。信じる者はいないが、別にそれで問題はないのである。


 ソーシャル・ネットワーキング・サービスのゆるい人間関係は、彼岸花の癒しがたい孤独を、癒しはせずとも緩めてはくれる。彼女は紅蜘蛛丸を愛するのとはまったく別の意味で、この空間を、この場に集う人々を、それなりにある意味で愛していた。


 彼岸花の孤独の、主だった源の一つはこういうことである。


 紅蜘蛛丸は人間の女との間に子をなすことができない。故に、阿布都乃比の一族は、彼岸花の代で絶えるであろうことがほぼ確定している。


「紅様、早く帰っていらっしゃらないかな。今度のお漬物は、誉めていただけるかしら」


 もしもその事実が無ければ、紅蜘蛛丸は自分たちの間柄を、夫婦と呼ぶことを彼女に許したのではないだろうか、とたまに思うことがある。


「鬱い。だれかりこらじちゃんを誉めろ」


 と言って、彼女はTwitterに自撮りを晒した。


「りこらじちゃん可愛い!」

「もう一枚脱いで!」


 というようなことを何人かが言ったので、とりあえず全部ふぁぼってRTした。


「相変わらず乳無いね」


 と引用リツイートした奴はブロックした。


「今夜はこれでおしまいらじ。じゃあな、お前ら」


 紅蜘蛛丸は今夜は帰ってこない。さて、オナニーして寝るか、とりこらじちゃんは思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る