第二話

「こんな所で何をしておられるのか」


 何をしておられるのか新撰組が、と言いたいのだがそれは言わない方が良さそうなので、なんとなく言い草が尻切れになってしまう。


「何って、行者餅を買うんです。美味しいんでしょ? わたくしは初めてですが」

「そりゃあまあ、そうだが」


 東山の柏屋光貞が祇園祭の月に行者餅を売るのは文化三年に始まると言うから、この頃でももう半世紀以上も前からの名物だということになる。もっちりとした皮に山椒などを練り込んだ白あんと求肥を包み込み、無病息災を願って食する。その文化三年に疫病が流行った折、当時の主人が山伏として諸国を廻国し、吉夢のお告げを得て製法を閃いた霊菓であるとされている。紅蜘蛛丸は無病息災には用がないのだが、好みの味だから毎年買いに来ている。


「あ、わたくしの番ですね」


 となれば当然、その次は紅蜘蛛丸の番である。お互い仲間は多いわけで、二人とも折詰を重ねて買うことになった。


「わーい」


 女の顔に無邪気げに浮かぶその笑顔を見ると、このあいだ鬼神のような佇まいで刀を引っ提げて道を歩いていたその人だとも思えなかった。改めてよく見る機会を得たから年齢を推し量ってみたが、どう見ても少女という年ではない。二十歳はたちよりは上であろう、と紅蜘蛛丸は思った。なお、定命の人間であることは年齢を測るよりも簡単に把握できる。


「壬生まで帰るのですけれど、どっかでつまみ食いしていこうかな」

「来るか?」

「え?」

「わたしの住まいはこのすぐ近くだ。寄っていかれぬか? 茶なりと持て成そう」

「じゃあありがたく。お伺いさせていただきます」


 ろくに知り合いと言うほど知り合いであるわけでもなし、多少なり警戒されるかとも思ったが竜胆と名乗る女は呑気な顔をしてついてきた。だが、足の運びを見れば分かる。欠片も油断などしていないし、恐ろしく使人間の所作だった。女の身でこれほどの力量技量を持つ人間がいようとは、と紅蜘蛛丸は密かに驚嘆している。


「ここだ」


 柏屋光貞の店先から陰陽寮までは歩いても本当にほんの少しである。


「えーと……武家屋敷ではないですよね。さりとてお寺さんでもない。ここは」


 この時代、商店でもない限り、軒の先に表札や看板などを出すことは稀である。故にぱっと外から門構えや敷地を見て、何者が暮らすどんなやしきであるか分かるということは少ない。


「ここは真言寮という。といって真言宗の寺院や所縁ゆかりではないのだが」


 間違えられることに慣れているので、先回りして説明する紅蜘蛛丸である。


「と言いますと」

阿布都乃比あふとうないという、平安の都の時分から続く調伏師の一族がある。ここは阿布都乃比氏の累代の本拠地で、やはり平安の昔から真言寮と呼ばれている」

「なるほど。つまりあなたもここに仕える調伏師であると」


 調伏師という概念は必ずしもその者が定命の人間であることを意味するわけではない。人ではない存在が調伏師になる例は、そう頻繁ではないが無いではなかった。紅蜘蛛丸が調伏師と呼ばれるべき存在であるかはまた別の問題として。


「あ、いや」

「どーも、ごめんくださーい」


 この頃の真言寮は賑やかであったので、門前には番をしている者がいた。その小男が、声をかけた竜胆よりも先に、向こうにいる彼の姿を認めて飛んでくる。


「紅蜘蛛丸様! お帰りなさいませ!」


 この時代、貴人が町を一人歩きすることは奇行に近いのだが、紅蜘蛛丸は武士ではなく公家でもなく、それ以前に人ですらもないので、周りも止めかねているのであった。


「べにぐもまる? って、あの『せちなとべにぐも』の?」


 と、言って竜胆は紅蜘蛛丸の方を振り返った。怪訝な顔であった。


「……あなたが、伝説の大妖怪?」


 そう言った竜胆が闇のように深く沈んだ瞳に変わり、つかの間、凄まじいまでの殺気を放ったことに気付かない紅蜘蛛丸ではなかった。

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