アストロQ

大石雅彦

第1話 プロローグ

 「俺、政治家になろうと思うんだ」

 パワーショベルのキャタピラがけたたましい音を立てて、道路の脇を通りすぎてゆく。川辺りに沿って、遊歩道の護岸工事が始まっていた。車線の片側を通行規制するかたちで、カラーコーンが等間隔に並べて置かれている。その向こうでは大きな木の根がいくつも掘り返されており、辺りに水を含んだ土の匂いが拡がっていた。

 友人の発した言葉に彼は立ち止まり、石段の半ばから後ろを振り返る。友人は石段に背を向けて、鳥居の下にたたずんで上着のポケットに両手を入れ、工事の進む様子を眺めていた。


「そうか」とだけ、彼は友人の背中に向かって答えた。

 意外だな、という驚きを含んだようにも、やはり、とあらかじめ予想していたようにも取れる言い方に、我ながら微妙な相槌だ、と彼は苦笑した。

 石段の上から、先を行く二人の子供たちがふざけあいながら登ってゆく声が聞こえてくる。

「危ないよ。ゆっくり気をつけて登りなさい」


 頭に赤色のお面を載せた男の子がもう一人、うつむきながら彼の上着の裾を小さな手でつかんで立っていた。

 先を行く青色と、緑色のお面を被った頭が二つ、覚束ない足取りで石段の段差を少しずつ上へと登っていく。


「普通の、何でもない市民がちょっと声をあげたところで、結局物事は何も動いていかないんだ。よく分かったよ」

 いつの間にかすぐ側まで来ていた友人は、子供たちを見上げながら独り言のように呟いた。

「だから、政治家になる?」

 彼も子供らの姿を見守りながら、言葉少なに答えを返す。


「あの子たちが大きくなってこの街に暮らし、誰かと出会い、そのまた子供たちが生まれて来る頃までには、もう少し人々の想いが通る社会になっていて欲しい」

「気持ちはよく分かる。でも、政治だってやっぱり一人じゃ難しい、と思うけどな」

「できるだけやってみるさ。あの子たちのように、長い石段でも一段一段踏みしめて登って行けば、いつか目指す頂上に着く。なんてね」


 石段を頂上まで登りきった二人の子供たちは、もう一人がゆっくりと追い付いてくるのを辛抱強く待っていた。手にした玩具の剣を右手で高く掲げながら。

後から到着した方の子供はしばらくそれをじっと見ていたが、やがて同じ剣を持った右腕を大きく伸ばし、その切っ先を二人の剣とクロスさせた。青と緑のお面の下から、歓声が挙がった。

彼と友人は、その様子を微笑みながら眺め、子供たちの後から石段を上まで登ると、丘の下が広く見渡せる境内のベンチまでゆっくり歩いた。


 眼下に街が拡がっている。川に、道路に、鉄道の駅。至るところで工事が行われていた。

「これからこの街も、どんどん変わって行くんだろうな」

 彼が言うと、友人は「変わるものも、変わらないものもある。少なくとも、子供たちの平和な未来を願う人々の気持ちは、いつだって変わらないはずだ。それを忘れずに、俺はこれからやっていこうと思う」と小さく、しかしはっきりとした口調で宣言した。


 風が吹いて、境内の木々の枝を揺らす。ベンチの横に植えられた、まだ小さく細い桜の若木が、黄緑色の葉をはためかせた。彼にはそれが、一生懸命に手を振る子供たちのかわいらしい掌のように見えた。

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