第10話 三百人委員会

 市役所でアルバイトをしていたとは言っても、一歩はこれまで政治にはまったく興味がなかった。投票すら、面倒に感じてあまり行ったことがない。しかも、三十にもなってうだつの上がらない無名の役者志望でアルバイト。そんなオレを、どうして市長選なんかに。そう思いながらも、一歩は勧められるまま腰を降ろして話の先を促した。


「この度の明日登呂市長選挙、告示は一週間後の日曜日ですが、既に三人が立候補の意向を表明しています」

 ミスターはテーブルの上にA4サイズの資料を一枚出して見せた。

「一人目は現職の米田なおき氏。明日登呂市議出身で三期連続で市長を務め、今回もまた当選の最有力候補です」

 神経質そうなメガネ姿の米田市長の顔には、一歩も見覚えがあった。アストロレンジャーの公式ヒーロー任命式で直接辞令を手渡されたからだ。もっとも十二年も前のことだから、市政に関心のない一歩は米田が今も市長を続けているとは思っていなかった。


「米田市長は十二年前の市長就任時に、それまでの利権構造を否定し旧市街地の活性化を掲げて、市民から大いに期待されました。しかし市長職を三期務めるうち次第に専横的になり、新たな利権も生じています」

 そういえばここに来る道すがら、玲奈がそんな話をしていた気がする。ほとんど右から左に抜けて良く覚えていないけど、と玲奈の方に顔を向けつつ一歩は思う。

「三百人委員会、というのをご存知ですか?」

 テーブルの向こう側から一歩をまっすぐに見据えながら、ミスターは穏やかに続けた。


「三百人委員会というのは通称で、正式には『明日登呂市中期基本計画策定のための市民委員会』と申します。二度目の当選を果たしてすぐ、米田市長が召集しました。その名の通り、市の中期基本計画を策定するために市民の意見を聞くことを目的として、広く諮問委員を募集したものです。米田市政に期待が高かったのか、このときは非常に多くの応募がありまして、その結果なんと応募者全員を委員として採用するという、過去に例のない三百人規模の市民委員会が結成されたのです」


 玲奈がマグカップに入れたコーヒーを三人分、トレイに乗せて運んできた。色も形も大きさもまちまちのカップのひとつを手渡され、どうも、と一歩は軽く頭をさげる。ミスターも、ありがとう、と白い小さめのカップを玲奈から受け取った。

「実は、私の主宰する『明日登呂の未来を考える市民の会』は、この三百人委員会からスピンアウトしてできた集団なのです」

 大学のゼミで、少人数の学生に丁寧な講義を行う教授を思わせるような風貌と態度で、ミスターは一歩に説明を重ねた。


「当時は感染症など心配されておりませんでしたが、それでも三百人という多人数で組織された委員会では、当然のことながらすべての委員が一堂に会し、卓を囲んで議論することは不可能でした。そこで、市が招聘した学識経験者の指導のもと、委員会はテーマ別に複数の分科会に分けられ、それに沿っておよそ半年間討議を重ねました。その結果、A3版にして百ページを越える立派な答申レポートが、環境や市民共働、福祉、教育など様々な領域を網羅して出来上がりました。このことは役所の内外から高い評価を受け、ほとんどの委員が自分たちの行った仕事に満足と達成感を感じつつ、その役割を終了しました」


 ミスターは静かに席を立つと、書架から大き目のファイルを二冊引き抜いて、テーブルに置いた。A3横型の青い厚紙表紙をめくると、一ページ目の真ん中に、『明日登呂市中期基本計画に関する市民委員会答申』と大書されている。


「当時私は、この三百人委員会を運営する市側の事務局担当として、答申案の調整や作成の任に当たっておりました。どこの自治体でも、中長期の計画というものは作ります。しかしながら、これだけの数にのぼる市民を集めての計画策定は、他に類を見ません。市としてもこれは誇れることでした。ですが」


 ミスターはもう一つの、A4縦型のファイルを開く。こちらは表紙に『明日登呂市中期基本計画』と書かれていた。開いたページの、ミスターが指し示した箇所には、「委員会答申に示された市民からの提言、ビジョンを反映し、意見交換の結果を踏まえ、具体的な諸計画の策定等に取り組みます。」と記載されているのが読み取れた。別のページ、また別のページとミスターが示すそのすべてに、『てにをは』を多少変えた程度の、ほぼ同じような文言が印刷されていた。


「三百人委員会の答申内容は、翌年の予算編成に反映された一部の内容を除いて、ほとんどこのような状態になりました。言葉は悪いですが、これは計画の策定にあたって市民の意見を聞き置きました、という行政のアリバイです。委員会の解散後も、継続して市民から選出した諮問機関を常設で設置してほしい、と訴えた私たちの希望はかなえられませんでした」

 ミスターは表情を変えず、淡々と話し続ける。


「私たちは、せめて何億円もの市税を費やす大型の事業に関しては、表層的でない意見交換を引き続き市民と取り交わしていただけるよう、何度も市に申し入れをしました。そして市民の納得がいくよう情報を公開し、透明かつ公正なプロセスのもとで入札・契約することをお願いしてきたのです。けれども米田市長は四年前の三選直後、突如としてアストロプラザの建設を発表しました。土地建物の所有者は、造田興産という市長の有力な後援企業です。造田興産は他にも市の様々な公共事業に名を連ねています」


 その名前は既に玲奈に聞いていたから、一歩にも覚えがあった。確かレプトンの廃棄物処理を八千五百万で請け負った会社だ。


「ひだまりカフェがたった二年で撤退させられた際も、市民有志がその撤回を求めて短期間にかなりの数の署名を集めました。しかしこちらも、残念ながら何の効力も持ち得ませんでした。市議会はほとんどの議員が米田市長の与党会派と言っていい状態なので、深く追究することもなく行政の決定を追認しています」

「今度の選挙で市長を変えなければ、この状況が今後も続いていくわ。私たちは何としても米田市長を落とさなきゃならないの」


「そこで、では他の二人の候補者のうちどちらを推すか、ということになるのですが」ミスターは資料を示して言葉を続けた。

「服部十三氏は、米田市長と同じく十二年前に初出馬し、以後毎回市長選にチャレンジされています。市内外でホテルやコンビニエンスストア等を経営する実業家で、米田市長を宿命のライバル視しています。もっとも、市長の方は相手にしていないようですが。エネルギッシュな方ではありますが、残念なことに具体的な政策があまりありません。とにかく米田市長批判に終始する点が、毎回落選につながる要因と思われます」


「三人目の候補者、軽石だいちはもうちょっとまともね」

 玲奈が後を続ける。

「彼は市議会で談合や利権にまつわる多くの疑惑を追及してきた、明日登呂市の現職市議なの。市民派を自認していて、行政における意思決定の不透明さを争点に今回出馬を表明してるわ。ただ、軽石はこのところ国政で評判を落としている民民党の議員なのよ」

 民民党。一度は政権を奪取しながら、様々な失政の印象を重ねて内部分裂を起こし、「頼りにならない政党」の烙印を押され、短命のうちに結局下野した。国政ではいまだナンバー2のはずなのに、国会で政府を批判するだけのミンミンゼミなどと揶揄されるほかは、あまり存在感のない政党だ。そのうち他のいくつかの野党と合従連衡するのではないかと噂されているが、強気な現職総理のもとで一党独走を続ける、中央政権与党との印象差は開くばかりである。


「軽石さんを誘ったのは、民民党の側からでした。市議に立候補した彼に、公認を出すがどうか、と県連から声がかかったのです」

軽石は県連本部まで出かけると、幹部の前で「民民党の為には働かない。市民の為に働く」と宣言したのだそうだ。この発言は幹部の不興を買い、軽石は公認ではなく民民党推薦で市議選に出馬、当選を果たした。民民党が追加公認して入党を促すと、軽石は「どうでもいい」と答えて入党、しかし「国政選挙の下請けはやらん」と公言して独走するので、県連は対処に苦慮しているという。

「そんな訳で、軽石さん本人もややエキセントリックな方なので市民の評価も二分しております。結局のところ選挙では国政与党の公認をバックに、盤石の後援会組織を持つ現職米田市長が断然有利と思われます」

 さてそこで、とミスターは言葉を継いだ。


「三百人委員会が解散し,有志の手で『明日登呂の未来を考える市民の会』を立ち上げてからずっと、私たちは本当に民主的な地方自治を実現するにはどうしたら良いかについて、議論を続けてきました。しかし、今回の選挙でもその目標に近づくことはなかなか難しく、強力な現職を打ち破ることもまた困難な状況なのです。一週間前にも、メンバーと共にここで選挙に関する話し合いを行っていましたが、いまお話しした通り服部候補と軽石候補のどちらを支持するにしても、決定打に欠けるのです。そうかと言って、今から新たに強力な候補者を探す余裕はありません。正直申し上げて、私たちの活動は行き詰まっていたのです」


「そこに私が、妙案を携えてやってきてあげたのよ」

 相変わらずの無表情の中に、若干のドヤ感を漂わせて玲奈が言った。

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