第11話 象徴首長制
「何ですか、妙案て」
玲奈が意味ありげにミスターの目を見る。ミスターは軽く頷いて言葉を続けた。
「一歩さん。私たちは、市長と市議会議員の両方を選挙によって選ぶという、今の二元代表制をさらに発展させたいのです」
「ニゲンダイヒョウセイ?」
「はい。行政を司るのが市長。予算等の決議を通じて行政を監視する役割を担う議会。その両者を市民の投票で選出すれば、より民意が反映されるという考え方、それが二元代表制なのです」
そういえば、はるかな昔学校の授業で習ったような気もする。今の今まですっかり忘却の彼方だったが。
「しかし、この制度にも限界があるのです。米田市長のように力を持った首長が現れ、議会がそれに追随するだけの存在になってしまうと、チェック機能が働かず、市民の意向と離れた専横的な施策も通ってしまうようになるのです」
「アストロプラザの建設と運営、ひだまりカフェの撤退、そして公共事業の入札談合疑惑。いま明日登呂で問題になっているすべては、そこから始まっているのよ」
玲奈が後を続ける。
「でも市長だって選挙で選ばれてるんでしょ。じゃ、しょうがないんじゃ」
「明日登呂では市長選挙の投票率はおよそ四十%。前回の米田市長の得票率は、全有権者の十八%よ。米田支持を表明している市民は二割以下ってこと。それに、選挙に勝ったからって全権を白紙委任された訳じゃないわ。マニフェストに書かれた政策すべてに百%同意して投票する市民なんて、まずいないはずよ」
その点に関しては、玲奈のいう通りだ。市長選に限らず、選挙では候補者が「私はこれを実行します」という公約を複数掲げて示す、いわゆるマニフェストが提示されるが、多ければ十数にもわたるそれらの項目は、大抵どれも重要な課題である。実行に当たっては一つ一つ切り分けて検証と議論が必要なはずなのだが、選挙に勝った候補の政策は、イコール民意を得たとばかり、強引に進められるケースが地方・中央の区別なく多い。
「現在の選挙システムでは、多岐にわたる政治的イシューに対して、自分と比較的近い考えを持つ政治家を候補者の中から選ぶしかありません。限られたメニューの中から料理を選ぶようなものです。しかし、特に地方自治においては、本来市民と行政が一緒になって一から政策を練り上げていく、オーダーメイド型の行政スタイルが望ましいのです。直接民主制でも間接でもない、『熟議民主主義』とでも言えばいいでしょうか」
確かに、多額の出費を伴う事業や市民生活に影響の大きい案件は、例え選挙公約にあったとしても十分な議論がなされて然るべきだろう。それに、選挙が終わってから重大な問題が明らかになることもある。
「昭和二十一年に日本国憲法が制定され、その第九十三条に基づき、翌二十二年に地方自治法が成立しました。それ以来七十年以上にわたって、私たちはそれぞれの自治体の首長として政治家を一人ずつ選び、行政権を委ねてきました。しかし、主権在民という言葉がございますね。自治体の主権はそこに在住する民にある、とする思想です。ただ、住民全員で行政を執行することは実際問題として不可能なために、住民は選挙という形で主権を行使し、代行者としての首長を選出してきたのです。彼ら・彼女らは、本来的には行政の『代行者』なのです」
「首長という個人に権力が集まることの問題点は、大きく二つ。独善で望ましくない方向に暴走を始めたとき、それにストップをかける力がなかなか働かないこと。もう一つは、首長個人の周辺に利権が発生することよ」
明日登呂市の公共事業の落札率は、このところ百パーセントに近い数値が続いている。しかも、ほとんどが参加者を制限する指名競争入札だ。そうでない場合は、入札すら行わない随意契約で、施設管理や備品の納入案件は大抵この形式をとっていた。「最小の費用で最大の効果」を義務付ける地方自治法の条文はここでは有名無実と化しているのだ。もちろん、発注先の選定を見積額の多寡だけで判定するのは問題がある。公共の事業であるからには、品質が担保されなければならない。であれば、尚更契約は慎重に精査されるべきである。
本来であれば、二元代表の双璧をなす地方議会がそうした内容を精査し、場合によっては首長の独走を止める役割を果たすはずであった。しかし年に数十日しか開かれない地方議会では、そのほとんどが議員による質問と行政当局からの答弁に終始し、議論らしい議論は行われない。時間がくれば多数決で○か×かを採決して終了するだけである。明日登呂のように市長寄りの議員が多数派を占める自治体では、市長の施策は当然のように追認されていく。
「代行者に過ぎない者の手から権力を取り戻すには、私たち自身が主権を主張する立場にならなければなりません。それはすなわち、全市民が市長になる、ということです」
「全市民が市長、って。言ってることは分かりますけど、いや、そんなのムリでしょ。市長は選挙で選ぶって、地方自治法でしたっけ?で決まってるんですよね?」
「そうよ。だから、市長なんか市民の傀儡にしちゃえばいいのよ」
「カ、カイライ!」
この人何だか凄いこと言ってないか?カイライって確か、操り人形的なアレでしょ。
「傀儡っていうのは、さすがに言葉が悪いわね。仮にも民主的な選挙で選ぶ市長に対しては。じゃ、象徴ならどうかしら。『市長は、自由で民主的な市民の自治統合の象徴である』なんて」
ちょっと待って。そんな文章、どこかで聞いた気がする。と思った一歩に、ミスターが続けて言った。
「冗談ではなく、私たちは市長選で『象徴首長制』という概念を打ち立てようと考えています。地方自治法に基づいて選挙で市長を選ぶのはこれまでと同じですが、市政の方針や施策は市民の合議により決定するのです。そしてその合意のもと、市長の名において行政を執り行なう。それが象徴首長制です。特定の個人に権力が集中しませんから、このシステムを導入すれば利権を求めて暗躍する動きを牽制することができます。議会も、市長個人と相対するのと異なり、より議論中心のスタイルになっていくものと期待されます」
「でも、ですよ、この街に一体何人の人間が住んでるのか知りませんが」
「十三万六千二百十四人。先月発表の数字だけど」
即座に玲奈が答えた。
「はあ、そうですか。その全員が、どうやって議論して方針を決めるんですか。そんなこと出来っこないでしょう」
「私たちは既に、その雛型を経験しています。四年前の市民三百人委員会です。このときも、果たして収拾がつくのかと懸念され、メンバー自身も不安に思いましたが、見事に結論を導き出すことができました。やってみる前から二の足を踏んでいては、チャレンジはできません」
一歩は口ごもる。そうは言っても、今度は規模が違いすぎる。全市民の意見を集約するのはとてつもなく労力が要るのではないだろうか。投票ならば、イエスかノーかの択一で回答できる。しかし何万もの人々が様々な領域で意見を交わし、方向性をまとめていくのは至難の業ではないのか。
「一歩さんが疑問に思われるのも理解できます。しかし、議論をまとめていくノウハウは日々蓄積されています。パソコンやスマートフォンなど情報機器は今ではあまねく普及し、ネットワーク技術も日進月歩です。熟議民主主義を推し進める環境はようやくにして整いつつあるのです。これをご覧ください」
そう言うと、ミスターは机上のノートPCを一歩の方へ向けて見せた。
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