第12話 アストロノーツ
PC画面に、複数のウィンドウが並んでいる。左側でカーソルが点滅しているのは、何も書かれていないテキストウィンドウだ。画面上部には、真ん中に「NO ENTORY」と白抜き表示された黒一色の窓が三つ並び、さらにその下に楕円形を中心とした、放射状の図が配置されている。ミスターが画面を下方にスクロールすると、色分けされたファイルのアイコンがいくつも現れた。
「これは、私たちが『アストロノーツ』と呼んでいる、ネット討議用のクラウド型統合プラットホームです」
ミスターは、自分がいま発した言葉と同じ文章をテキストウィンドウに打ち込んでみせた。
「ここは、メモ書きや文章の下書き作成などに利用するテキストスペースですが、ワンクリックでリアルタイムのチャットルームにチェンジできます」
スペース上部の『C』と書かれたアイコンをクリックすると、背景色が淡いブルーに変わった。ミスターの顔が小さく表示されている。LINEに似た感じだ。
「アストロノーツは、原則として本名で登録、ログインして利用する仕組みを採っています。無責任な発言の拡大や信頼性に欠ける情報の流通を防止するためです」
ミスターは続けて、データファイルの共有や動画によるリアルタイム会議、階層化された文字会議室などアストロノーツの概要を説明した。基本的に、会員制の統合型SNSと思えば良さそうだ。
「会議室は分類されたテーマに沿って、いくつでも立ち上げが可能です。多くの場合、会議室を立ち上げた当人が、FAと呼ばれる議長役を務めます。FAは議事進行を滞りなく進め、必要に応じて参考となる資料アーカイブの提示を行うなどメンバーサポートの役割を担います。元々は『議論促進者』を意味する『ファシリテーター』の略称なのですが、会議室における議論にどの程度介入するか、はそれぞれのFAに一任しています。要は、アストロノーツに用意されているツールを駆使して、参加者の議題に対する理解が深まり、有意義な議論が広く交わされることが大事なのです」
アストロノーツのそもそもの始まりは、明日登呂市に住む一個人が開設したブログに付随する、情報交換掲示板に過ぎなかったそうだ。明日登呂市で三百人市民会議が結成された際、そのブログの主宰者もメンバーの一人になったことを契機として、掲示板はメンバー同士の意見交換に使われるようになった。委員会が解散した後も掲示板は継続され、入札疑惑やアストロプラザの建設などの問題が表面化すると、今度はそれを追及するスレッドが増えていった。いつしかスレッドは個人が管理できる許容量を越え、ブログ主宰者は委員会からスピンオフした「明日登呂の未来を考える市民の会」に運営を移行する決断をした。専門的知識を持つメンバー有志によりシステムが拡大充実され、現在のアストロノーツの原形が出来たのは二年ほど前の事だそうだ。
「コンピュータ・ネットワーク上のコミュニケーションツールは、リアルな会議や集会のような物理的、時間的制約を受けません。何十何百何千という人々が、早朝だろうと深夜であろうと、自分が議論に加わりたいと思った時間に、好きなだけアストロノーツに参加する事ができます。物理的に集まらないので、感染症リスクも抑えられます。もちろん、様々な制約からアストロノーツに参加できない市民のために、並行的に顔を合わせてのリアルミーティングや、紙媒体による意見交換チャネルを用意することも必要です。この仕組みを有効に使って行くことで、市民は市政課題に対する十分な理解と議論を深めることが可能となり、地方自治に直接関われるようになります」
「はあ、それじゃこれがショーチョーなんとか、をつくるベースになるってことですか」
「これはあくまで一つの道具に過ぎないわ。いまアストロノーツに参加している人はまだ少ないし、存在自体それほど知られていない。ミスターは象徴首長制のアイデアに賛同してくれる候補者を見つけて、共に市民へ地道に訴えていくつもりだったようだけど、今度の選挙で実現を目指すのなら、悠長に構えてはいられない。思想的なパンデミックを起こさないと」
パンデミックとは、感染症の爆発的流行現象のことだ。つまり玲奈は、ごく短期間のうちに多数の市民に象徴首長制という政治的アイデアを理解してもらい、さらに熱狂的な支持を獲得しなければならない、と言っているのだ。そんなことが可能だろうか、と一歩は思う。
「パンデミックを引き起こすことは可能よ」
一歩の疑問を感じ取ったのか、玲奈が言った。
「ただしそのためには、戦略として強いインパクトを持った『象徴首長制』のプロモーションが必要なの」
「そこで大須賀さん、あなたの力が必要になるのです」
ミスターが軽く握った両の拳をテーブルに置きつつ、穏やかな視線で一歩を真正面から見据える。
「どういうことですか」
「象徴とは、シンボルです。市民が真の意味で自治の新しい地平を目指す、そのシンボルとなる象徴首長となれば、誰でも良いという訳には参りません。気高く清廉、正義と平和を愛し強い意志を有する、市民すべてが納得する理想の人物でなくては」
一歩は知っている限りの政治家の顔を思い浮かべてみたが、そんな人物は一人も見つからなかった。
「そんなの無茶振りですよ。現実にいるわけないじゃないですか」
「いや、います。一歩さん、あなただ」
「は?いやいやいや、何言ってるんですか」
一歩は強くかぶりを振って、ミスターの言葉を打ち消した。もとより自分がそんな高潔な人間であるはずがなく、役者を志すもその途半ばで派遣アルバイトという身の上である。小学生時代にクラスきってのお調子者というポジションから、うっかり学級委員に選ばれてしまった以外に政治と関わった記憶はなく、もう何年も投票に行ったことすらないのだ。
「そんなことは先刻ご承知よ。正直言って、あなた自身には何の期待もしていません。私たちが用があるのは変身後のあなた。『超戦士アストロレンジャー』の方よ」
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