第64話 アクアニア東方伯
「はいはい。じゃ、バットはこっちのテーブル。揚げたてを並べるんだから、鋳物コンロのすぐ右手側になるように置いてね。じゃがいものザルは後ろ。油は下。足りなくなりそう?悪いけどダンジュウロウ、おいも10キロ追加で洗って、皮剝いて持ってきてくれる?」
「慌てんなよ。んなのはおめぇ、まだどのくらい売れるかどうか分からねえじゃんか。様子見ながら、後で運んできてやるからよ」
スカーフを頭に三角被りにした諏訪部の祖母、美佐江がエプロン姿でテントの中を活き活きと立ち回る。それを手伝うのは、孫の理恵と、商店街の隣人だった八百屋の老人だ。
芦川神社境内の「市長選情報センター」横、「帰ってきたひだまりカフェ」の一角を借りて、美佐江はじゃがいもフライの出店を開く準備にかかっていた。
「プロパンだって普通はそう急には手配できねえんだぜ。オレだからなんとか用意できたけどな。神社に露店出すからねえっていきなり言ってきてよ。一体どうしたんだい」
「だってあんなスカスカのフライよ。子供には本物食べてもらいたいじゃない」
背筋をしゃっきりと伸ばし、美佐江は快活に答える。一昨日バスを乗り間違えて、駅前の交番で保護された時とは表情がまったく違っていた。
「うちのじゃがいもフライはね、ほんとに評判だったんだから。遠くからわざわざ買いに来るお客さんもたくさんいてさ。理恵ちゃんが選挙のお手伝いで頑張ってるって言うから、私のフライも期間限定で復活させて、来てくれた人に食べてもらいたいのよ」
「ダンジュウロウのおじさん、ごめんなさいね。ご迷惑かけちゃって」
「なに、構わねえよ。まあ、なんとかなるだろうよ。昔も町内会のイベントで、屋台でやったこともあったしな。それよりみいちゃんが元気で良かったじゃねえか」
「なに言ってんの。足が多少弱くなったって、じゃがいも揚げるのに関係ないでしょ」
美佐江は記憶が混乱していたことなど、すっかり忘れているようだ。大家の言うように、どこから見ても元気なシルバー世代である。
「さあさあ、そしたらお塩と胡椒と、てんぷら鍋に油と、ああ、油を切る紙だわね。昔通りに、経木と紙に包んでお客さんに渡してあげて頂戴」
選挙期間も三日目に入り、「市長選情報センター」には多くの人が訪れていた。
プリントした候補者の写真を掲示板に貼りに来る者、選挙公報や各陣営のチラシを見比べたり、webサイトをチェックしたりに余念のない者、ひだまりカフェで一服する者。
特設スタジオに設えられた「アストロ市民フォーラム」では、インターネットを利用した選挙情報番組の配信がまさに始まるところだ。
カレーハウス・ゴンの隠し部屋、アストロQ団の秘密基地改めアストロレンジャー裏選対事務所では、ミスターと玲奈が番組の配信をPC画面で視聴していた。楕円テーブルの端っこでは、首から下だけアストロレンジャーの装束をまとった一歩が、大学ノートを前にうつむいている。ペンを手にしているものの、開かれたノートのページにはまだ何も書かれていない。
「はい、毎度おなじみ司会のDJ甲斐でございます。本日も明日登呂市長選の情報を盛りだくさんでお届けしたいと思います」
「でぃーじぇー、っていうのはレコード掛ける人のことじゃないかしら。司会者ならえむしー、マスターオブセレモニーじゃないと、おかしくない?」
いつものマイペースで、依田のばあちゃんが意外に鋭く切り込む。テーブルの前に「ゲスト解説者」のプレートが置かれているのが見える。
「げげ。おっしゃる通りです。すいません。えー、改めましてMC甲斐です。昨日の新党結成表明ですが、なんとなんと全国ニュースで取り上げられました」
画面が切り替わり、全国ネットの放送局が流したニュース番組の一部が再生される。甲斐と依田の姿は画面右上に、小さくワイプ処理で残された。
昨日のこの場所で行われた、『明日登呂の未来を考える市民の会』記者発表の模様が再生される。
解散を発表するミスターの映像に、それを報じるアナウンサーの声が被さる。同時にテロップで「"アストロQ団"は解散、新党結成へ」の文字が表示された。
「反社会的な活動はほんのひとかけらも行ってはおりません」とマイクを手にする甲斐の姿が画面に映る。
「あっ。オレですオレ。見ました?」
時間にしてわずか1.5秒。それでも、全国ネットで甲斐の顔が放送されたのは確かである。
「良かったねえ。でも、あのアンディ・ウォーホルは誰でも15分だけ有名になれる、って言ってたわよ。今のは1.5秒くらいだったわよ」
玲奈が噴き出す。
「さすがは依田さん。博識ですね」
「そうだな」
コーヒーカップを口に運びつつ、ミスターが端に座る一歩へ視線を送る。一歩はPC画面を見ようともせずに、何かを考えている様子だった。テーブルの上のコーヒーも、減らないままにもはや湯気を立てていない。
そんな一歩を、玲奈はあえて無視しているように振舞っていた。
「さてこの新党結成なんですが、市長選挙が終わるまではまだ正式にはスタートしません。準備期間としていろいろ活動はしていますが、実際の発足はまだもう少し先になる予定です。そしてこの発表の後、面白い動きがありました」
全国ニュースを紹介した後、甲斐は軽石がアポなし飛び入りで登場したことを伝えた。市長選出馬を断念するに至った経緯を語り、米田の落選運動開始を宣言する軽石。既にSNSやアストロノーツでは拡散されているトピックだが、生配信だけを視聴している市民も存在する。その層にとって、軽石の参戦はなかなかインパクトのある内容になったはずだ。
「と、いうことで、依田さん」
名前入りの幟を背負った候補者人形がテーブルに並べられる。
「再選を狙う米田候補に対し、無所属単独で対抗するはっとり候補、『象徴首長制』を掲げて新しい仕組みを市政に導入しようとしているアストロレンジャー陣営。この三つ巴の選挙戦プラス、米田候補を当選させまいとする元市議・軽石さんの活動という構造になったわけですね」
「そうだわねえ。米田くんは、相変わらず強い組織を持っているし、中央からの支援もありますね。はっとりさんは今まで以上に目立ってます。はっとりさんを知らなくても、トリンプ大統領を知らない人はいませんしねえ。アストロレンジャーさんと象徴首長制も話題になって認知度があがってるから、明日登呂の市長選挙は全国的にも注目されてきてるんじゃない?」
「ということは、残る四日間の選挙戦、ますます混戦模様になると見ていいんでしょうか」
「市民のみなさんにはとにかく投票にいってもらいませんとね。当日の日曜日に投票に行けない人は、期日前投票がありますから、どうぞ利用してくださいな。投票率が伸びなければ、組織の固い米田くんに有利です。みんなが投票に行ったら、いわゆる浮動票がどこに入るかで、行方が決まります。過去を見ると有権者の半分以下しか投票にいっていないけど、全国の注目度があがったことで、今回投票率は上がると予想してますよ」
甲斐と依田による"ゆっくり選挙解説"が続く。
ピコン、という効果音と共に、画面の左側に新たなウインドウが出現した。アストロノーツに参加している誰かが、スマホで動画を投稿したようだ。
「これは?ライブ映像ですね。あ、はっとり候補の選挙カーです」
派手な赤と青、白のカラーリングは、まさしくトリンプ服部の乗る選挙カーである。今日はパワードスーツ・ボンバヘッドも、巨大トリンプ人形も登場していない。しかし。
「なんですかこれは」
甲斐が素っ頓狂な声をあげるのも無理はない。トリンプ服部はいつもの濃紺スーツの上から、ロールプレイングゲームに登場する王様を思わせる、深紅のガウンをその身に纏っていた。頭上には、輝く王冠。画面の中の、はっとりの顔にズームが寄っていく。
「明日登呂市民の諸君。MAKE ASTRO GREAT AGAIN!はっとり十三であります。まず、皆さんにご報告することがある。私はっとり十三は、ミクロネーション国家アクアニア公国より叙勲を受け、正式に『アクアニア東方伯爵』の称号を得たものであります」
「はいー!?」
画面右上のワイプで甲斐が呆れる。
トリンプの横に黒いスーツのスタッフが現れ、両手で高々と額を掲げた。撮影者のスマホカメラがそれを拡大する。格式のありそうな紋章を透かし背景にして、流麗なペンタッチで何やら文章が書かれている。おそらく叙勲の書類なのだろう。昨日半田が行ったプレゼンテーションで、アクアニア大公マイク二世が言っていたシステムだ。アクアニアの玉璽なのか、仰々しい印影も押されていた。即日で入手出来ているところをみると、ダウンロードしたPDFを出力したものなのかもしれない。
「つまり、今日から私は『はっとり十三卿』を名乗れるわけだ。伯爵市長なんて、日本では前代未聞ではなかろうか」
トリンプ服部は王冠を脱いでうやうやしく礼をする。自慢のヘアスタイルが、王冠の重さでややひしゃげていた。
「もう、ほんとに自分が注目されてないと嫌なんだなあ、この人は。依田さん、どうですか」
「ここまでくるとむしろ好感が持てるわね。自分に正直で。あら、叙勲されたってことはこれからはあの方、名実ともにスタッフから『閣下』とよばれるのかしら」
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