第63話 落選運動
「ちょっとちょっとそんなこと言わずに一緒にやりましょうよおなんでなんで?軽石さんが参加してくれたら鬼に金棒っていうかベンケイにナギナタっていうか割れ鍋に綴じ蓋っていうかあれちょっと違うなとにかくとてもとっても心強いんだからねーえ」
半田の早口に、軽石の顔がほころびる。
「いや、ありがとう。私ごときをそんなに評価していただいてうれしい限りだ。だが、申し訳ないが遠慮させていただこう。私個人の気持ちとしては、アストロレンジャー陣営に加わって象徴首長制の実現を目指してみたい。はっとりのようなお調子者を当選させても意味がないしな。だがしかし、だ」
軽石は右手の風呂敷包みを掲げた。
「私はこれまで、議会でも米田市政を追及し続けてきた。公共事業の不透明な入札を巡る疑惑、土地や施設の譲渡と運用にかかわる疑惑、特定の事業者との癒着、出るわ出るわ、不正と疑惑の温床だ。二度とこんな人物を市長にしてはならない。だから、立候補して選挙運動をやる代わりに、米田の落選運動をやってやろうと思う」
「落選運動ですって?」
「あら、面白いわねえ」
甲斐が叫ぶのと依田のばあちゃんが感心する声が、一歩の耳に同時に届いた。
落選運動…
ARウィンドゥに語り掛け、一歩はwebに音声検索をかける。いくつかの信頼できそうな情報群が表示された。それらによると、落選運動とは特定の候補者を落選させる目的で行われる活動全般を指す行為だ。政治的な側面が強いものの、公職選挙法には関連する規定がないため、現行法では選挙運動上の制限がないらしい。投票日当日でも落選運動は可能だし、ビラを撒くことも規制されないようだ。
面白いわねぇ、という反応からすると、依田のばあちゃんは落選運動の何たるかをご存じなのか。すごいなあ、と改めて一歩は思った。
「幸いなことに、米田のライバルははっとりとレンジャーの二人いる。これが1対1の選挙だと、一方に対する落選運動がそのままもう一方の当選を推し進めることになるから、間接的な選挙運動とみなされかねないのだ。今回はその心配がない。ゆえに私は安心して、米田の落選運動に臨む。ただ、組織だってやるのは政治団体の活動になってしまうから、そこはグレーゾーンなんだよ。一人でやる分には、落選運動はフリーだ。風呂敷の資料を元手に、大いに米田の落選を宣伝してやるつもりだ」
落選運動の認知度は、近年徐々に高まっている。いくつかの選挙では既に成果をあげているし、これを受けて国政の場でも法整備を進めるべきだ、との議論が起こっている。
「これから駅や商業施設の前など、人の集まる場所でどしどし米田を落選させるための街頭演説をやってやろうと思う。本当はネットの動画サイトなんかもやりたいところだが、まあ、急な思いつきだからな。アナログでがんばるさ」
「軽石さん」
再び甲斐が声をかける。
「我々のライブ配信で、軽石さんの活動の模様を紹介しますよ。市長選挙にかかわるトピックの一つとして。それなら組織的な落選運動には当たらないでしょ。米田候補側のコメントも平等に取材しますから」
「そうか。そうしてくれれば、ありがたい」
「私たち軽石後援会は、本選挙ではこちらの陣営をお手伝いします。それが軽石さんのバックアップにつながると思うので。できることは何でも言ってください。ただ、次の市議選では軽石が再び立つでしょう。強力な市政チェッカーとして復帰を目指しますから、その時の市長がたとえ『象徴首長』になっていたとしても、手加減はしませんよ」
重戦車軽石とその支援者たちは、そう告げて神社の境内を後にした。
夜8時を過ぎると、拡声器を使った街頭演説はできなくなる。しかし、選挙運動自体が制限されるわけではない。大須賀一歩=アストロレンジャーは、少しでも市民の目に自らを印象づけようと、アストロボートにまたがって市中を低速で巡回していた。
予報通り、小雨がパラつき始めている。普通のヘルメットなら視界が悪くなるところだが、ボートに仕込まれた暗視機能付きドライブレコーダーが、バイザーにクリアな映像を送ってくる。まるで日中の道路を走行しているかのようだ。
一歩は、先刻の軽石の決意を思い返していた。彼は市民のために議会で米田を追及し続け、そして米田だけは再選させまいとして、一度は市長選に立候補の意思を固めていた。だが自分の演説を聞いて、その考えを変えたのだ。借り物の、一歩の内側から湧き上がった彼自身の言葉ではない、カンニングの演説に感銘して。
一見ハチャメチャなトリンプ服部、しかし彼は100%自分の信念で動いている。自分こそが市長になるべきだ、と誰よりも強く思い、落選し続けても私財を投じて、不屈の闘志を失わない。背後にあるのは、自分は間違っていない、という堂々たる強固な意志だ。
昨日の出陣式で遭遇し、「君には負けん」と一歩をとらえた米田の一瞬の視線も、また一歩の脳裏に鮮明に蘇る。
十二年前のアストロレンジャー任命式で、青年市長と期待されていた米田と笑顔で握手を交わした覚えが一歩にはある。長く在職する間に変節してしまった、と皆は言ったが、昨日のあの眼は鋭く澄んだ光をたたえていた。変わってしまったのかもしれないが、米田もまた自分を信じて戦っているのではないだろうか。
アストロボートの屋根を叩く雨音が強くなる。
翻って、自分はどうだ。
この何日か、頭が破裂するくらい勉強した。明日登呂のことや、政治の仕組みに関する知識も格段に増えた。
だが、それだけだ。軽石や服部、米田のような強く熱い信念がオレにあるのか。Q団メンバーのように、街をなんとかしたいと本気で考えたことが、これまであったか。大家さんは商店街の未来を憂えている。諏訪部のおばあちゃんは、街の歴史を今でも大事にその心にとどめている。
自分は、どうしてアストロレンジャーに変身しているのだろう。アストロレンジャーは、明日登呂の自由と正義を守り抜く"ヒーロー"ではなかったか。
わからない。必要とされているのは、象徴であるアストロレンジャーで、中身は空っぽの一歩くんで構わない。玲奈たちからは、そう言われてるのに等しいんじゃないだろうか。
灰色の道路が、雨で黒く染まっていく。
いつからだろう。自分の中に、何もなくなってしまったのは。オーディションに落ちて。バイトして。役者になるというのも、今となっては夢と言えるほど強い志ではなかったような気がする。空っぽだから、象徴の役をやってくれ、と頼まれれば、なし崩しに大勢の前に立ち、用意されたセリフをただ読み上げる。スーツを着込んで、小雨振る街をバイクでただ駆け抜ける。
カイライ、と玲奈が冗談のように言っていたことを、一歩は思い出す。傀儡とは、操り人形だ。自分の意志を持つこともなく、糸で操作されるまま動くことがそれに与えられた仕事だ。
自分の意志は、要らないのか?ピノキオはピノキオのままで、結局人間にはなれなかったのか?
混乱し、整理がつかない頭をレンジャーマスクに隠して、一歩はどこへ行くともなく雨の市中を走り続ける。
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