第43話 ダンジュウロウ?
画面をタップし、電話をかける。直接頬を撫でる風が心地よかった。
「大須賀です。すみません、電話に気がつかなくて」
個人名義の電話だと、自然に本名が口をついて出る。
「あ、諏訪部です。あの、おばあちゃんが見つかりました」
「えっ。本当ですか。良かった。どこに?」
「明日登呂駅前の交番にいました。お巡りさんから電話があって、私もいま車で向かっています。」
「じゃ、僕も行きます」
スマートフォンを戻し、グローブとヘルメットを装着してアストロボートを発信させる。バスの順路に従ってこの先を左折、そのまま進めば明日登呂駅前に続く道に出る。
以前浅瀬だった場所を埋め立てて、人工的に造られた土地の上にできた新町は、整然とした区画で家々が並んでいる。古く狭い道路が複雑に入り組んだ芦川駅前辺りとは、だいぶ様相が違う。諏訪部の祖母は、一体何を思って明日登呂駅前までやってきたのだろうか。
民家が減り、代わりにマンションや店舗、駐輪場等が目立ってきた。それにつれ、道行く通行人の数も増えてくる。時折、自分に向かって手を振ってくれる人がいて、一歩も手を降り返す。駅前ロータリーまで来ると、交番の前に赤い軽自動車が停まっているのが見えた。諏訪部嬢の車だ。
速度を落とし、交番横の駐輪スペースにアストロボートを停める。交番の椅子に座る小柄な老婦人と、隣に立つ諏訪部の背中越しに、若い警官がレンジャーを見て一瞬ぎょっとするのが見えた。ヘルメットを脱いで脇に抱え、素顔で交番の中へ向かう。
「ええと、こちらの方は?」
警官が諏訪部に尋ねるので「大須賀一歩です。一緒におばあちゃんを探していました」と自己紹介した。
「だから私は自分のお店に行きたいのよ。駅前なのに、どうして商店街が、ないの」
諏訪部の祖母は、背筋も伸びていてしっかりした様子に見える。服装も聞いた説明の通りちゃんとしていて、呆けてどこかへ行方知れずになるような老人には見えなかった。ただ、銀縁眼鏡の奥にある視線が弱々しい感じがする。
「おばあちゃん、ここは芦川駅前じゃないの。お隣の明日登呂駅よ」
諏訪部嬢が祖母の肩に手を置いて、言い聞かせながら一歩に会釈をする。
「いつもの三番バスで駅まで来たのよ。なのに全然違うところに着いちゃって」
警官に話を聞くと、諏訪部の祖母はどうやら、芦川駅前に以前開いていた総菜屋の店舗に行くつもりだったらしい。家を出て川沿いをまっすぐ北上すべきところを、国道に沿って東へ東へと歩いてきたようだ。だいぶ歩いて疲れたところで、目撃証言の通り三番のバスに乗車した。彼女の記憶にある、市内循環の民営三番バスはとうの昔に不採算のため廃止されており、やってきたのはおさんぽ市民バスの三番系統だった、というわけだ。駅前行きでも、これに乗ったら芦川駅ではなく明日登呂の駅前に着いてしまう。そこには目指す商店街など、影も形もない。商店街がない、と彼女は自分から交番に飛び込んできたそうだ。交番では市の福祉課からの捜索依頼を受けとっていたため、諏訪部嬢に連絡がいったのだった。
「おばあちゃん。とにかく、一旦私と帰りましょう。お腹空いてるでしょ?」
「お父さんが待ってるから。そろそろじゃがいもフライの支度をしないと」
独り言のようにつぶやいた後で、諏訪部の祖母は「あんた、学校は終わったの」と諏訪部嬢に言った。
「お店、僕が見てきましょうか?」
腰掛ける諏訪部祖母の目の高さに合わせ、一歩がしゃがみこんで声をかける。
「あらまあ、ダンジュウロウ」
「ダンジュウロウ?」
思いがけない名前で呼ばれて一歩が面食らっていると「何こんなところで油打ってんの。じきにお客さん来るわよ。じゃがいもとりあえず3キロ、持ってきて頂戴」と肩を叩かれた。FRP製の外骨格プロテクターに指輪が当たって、軽い音を立てる。
「おばあちゃん、ダンジュウロウさんがじゃがいも届けながら、お父さんに言っといてくれるって。今日は任せて、とにかく帰りましょう」
ダンジュウロウが誰だかは知らないが、どうもじゃがいもを届ける人らしい。諏訪部嬢に調子を合わせて、一歩は詳細不明なそのキャラクターを演じることにした。
「ああ。お父ちゃんには俺が言っとくから、ゆっくりご飯でも食べておいでよ」
「あんた、相変わらずいい男ねえ」
祖母は笑いながら、左手でレンジャースーツを軽くはたいた。笑った顔は、童児のようにイノセントだ。目の光が明るくなっている。
「お店って、まだあるんですか」
諏訪部嬢に聞くと、何年も前に閉めてそのままにはなっているが、店舗そのものはまだ残してあるそうだ。看板も中の備品もそのまま、さすがにシャッターは閉めてあるという。
「えっ、本当に行くんですか?誰もいませんよ」
「そうでしょうけど、おばあちゃんに約束しましたから。様子だけでも見てきます」
芦川駅前商店街のどこかなら、アーケードを歩けばすぐ見つかるだろう。大家さんちで尋ねてみてもいい。
「本当にすみません」と諏訪部嬢は何度も頭を下げた。祖母はおとなしく助手席に座り「じゃあね」と一歩に手を降った。
二人を乗せた赤い軽自動車を見送って戻ろうとすると、レンジャーの周囲にはまたしても人だかりができていた。携帯カメラのレンズがいくつもシャッター音を響かせている。一歩は慌てて、抱えていたヘルメットをかぶった。アストロボートを道路まで引き出し、シートに跨がる。
「レンジャー、選挙演説は?」
「今日は演説、やらないんだよ」
「どこ行くの?」
母親に手を引かれた、まだ小さな子供が聞く。
「明日登呂の安心と自由を護るため、市内のパトロールに」
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