第54話 街宣車がやってきた
芦川商店街は、相変わらず寂れている。
通路を歩いている人間は一人もいない。一歩の視線の少し前方、シャッターが閉じられたどこかの店先で、古い毛布にくるまった犬が一匹、寝そべっているだけだ。
素顔でジャージ姿のままの一歩がゆっくりと辺りを見回すと、ほぼすべての店のシャッターが降りている。アーケードの天井は何か所かが破れており、蛍光灯も点灯していない。真横の柱に設置されたガス灯を模した照明器具は、不規則な間隔で点いたり消えたりを繰り返している。
ふと、破れた屋根の隙間から、陽光が差し込む。通路にぺったりと顎を付けて伸びていた犬が、立ち上がって首を二、三遍振り、光に向かってオン、と鳴いた。
一歩の左側に位置する店のシャッターが、開く音がする。振り向いてみれば、大家の八百屋だ。にこやかに笑いながら、ゆっくり通路に歩み出てくる。
右手側の店のシャッターが、続いて開いた。中から諏訪部家の祖母と孫娘が、やはり笑みを浮かべて姿を現した。
微笑んで迎える一歩の後ろから、背の高いネイティブアメリカンが顔を出す。映画で見たような、酋長の地位を示す豪華な羽飾りを頭に載せて。
シャッターを開けて通路に出てくる人の数が、どんどん増えてくる。宇宙服のような銀色のスーツを身に纏う男性。伝統衣装にレイを首から提げた、ハワイアンの女性。ロシアの民族衣装、アフリカの民族衣装、商店街の通路はいつの間にか十数人の様々な人々でいっぱいになっていた。
長いテープを無数に垂らした巨大な七夕飾りのくす玉が、集まった人々と一歩の眼前に現れる。その向こうから、テープの束をかき分けて、輝くボディーのアストロレンジャーが登場した。
レンジャーはゆっくりと一歩に近づき、目の前までやってくると右手を差し出す。それに応えるように、一歩も右手を前に出し、二人はがっしりと握手を交わした。
途端、組んだ手首から光が拡がり、レンジャーの姿が一歩に重なるように溶け込むと、そのまま姿を消した。光が収まると、そこは既に商店街ではなく、上下に長く続く古い石段の、中腹あたりだ。
大家や諏訪部家の二人、ネィティブアメリカンに宇宙服らの一行を引き連れて、アストロレンジャーに変身した一歩が石段の頂にやってくる。
眼下に川や道路、街の建物が見える。遠くには、陽の光を反射して輝く湾岸が拡がっていた。
ふいに、風が吹いて木々の葉を揺らす。枝の間から何かが落ちてきて、レンジャーのヘルメットを通過し一歩の額にパシッと衝突した。
「大丈夫?」
テーブルの向かい側に座った玲奈が、一歩の顔を覗き込む。二人の間には、丸まった書き損じのメモ用紙が転がっていた。一歩の額にぶつかった物の正体だ。
「んあ?」
どこで何をやっているのか、状況を見失っていた一歩は、自分がいまゴン裏のミーティングテーブルに座り、PCを開いて作業中だったことをようやく思い出した。
「眠かったら、ちゃんと横になったら?向こうの部屋に仮眠用のソファーがあるんだから」
ツンデレナにしては、優しい口調だ。
「ありがとう。でも、会見は午後イチだから。あんまり時間ないよね」
一歩の言葉に、拳で左の頬を支えたまま玲奈は軽くため息をつく。
「あのね。あなたの健康状態を気遣って言ってるんじゃないの。午後の会見はとても大事だし、選挙戦はまだ続くのよ。マスクで見えないからって、居眠りされちゃ困るわけ。運転中はなおさらね」
玲奈の言うことも、もっともだ。一歩は右手の親指と人差し指で、両の目頭をつまんでから眼をしばたたかせた。
昨夕、共謀罪疑惑のニュースを知ってゴンに急行した後、一歩はメンバーから「プランB」なるものの説明を受けた。今までも大概無茶な選挙活動だと思っていたのに、プランBはそれに輪をかけた荒唐無稽ぶりだった。まだ準備が整っておらず、市長選を勝ち抜いたあと時間をかけて進行する予定であったのを、今回の事件で今日、急遽前倒しで発表することになったのだ。
だから、メンバー全員が時間に追われていた。一歩も後追いで計画を理解しながら、夜通し参考用のデータを収集したり、上がってくるプレゼンテーションのファイルに目を通したりしなければならなかったのだ。
ずっとレンジャースーツ姿でいるのもさすがに体が窮屈になり、いまはジャージの上下姿だ。
高齢の依田ばあちゃんは帰宅したが、残りのメンバーはそれぞれゴンで作業を続けるか、バロ研にその身を移動していた。
公職選挙法にアストロノーツの過去ログ読破、市の主要課題の把握や条例の勉強と、ただでさえ頭のメモリーが不足気味なのに、またまたプランBの浮上で一歩の頭はキャパシティオーバー寸前だった。
「やっぱり少し、休ませてもらうわ」
そう玲奈に声をかけ、奥の部屋に続くドアのノブに手をかけたとき、周囲が急に騒がしくなった。
かなりの大音量で、勇ましい行進曲が聞こえてくる。高鳴るトランペットの音色に載せて、男声のコーラスが重なるそれは、右翼団体がよく街宣に用いるものだった。
「日本の国家体制をぉ。根本から破壊しようと企てるぅ、民主主義に偽装した秘密結社はぁ、この国から出ていけえ!」
行進曲に勝るとも劣らない、大きくひび割れた声は拡声器によるものだろう。
「なに?」
玲奈が眉をひそめて立ち上がる。隠し扉が開いて、ゴンの店からミスターが声をかけた。
「駅前に、威力団体の街宣が来ているようです。選挙の妨害行為ですので、警察の取締の対象になります。通報しましたから、すぐいなくなりますよ」
「オレ、行ってみます」
ジャージ姿のまま店を飛び出した一歩に、
「ちょっと!」
と玲奈が続いた。
「あいつら、仲どうなのよ」
朝からカレーの皿を抱えた甲斐が、スプーンを片手に見送る。
あまり広いとは言えない芦川の駅前に、見慣れない黒の大型ワゴンと、派手なトラックが停車していた。黒のワゴンには白い大きな文字で「日本国土民族会議青年部」と書かれている。ルーフ上に据えられたスピーカーから流れているのは、先刻より周囲を騒がせている勇壮な行進曲だ。
「ネットを用いたぁ、象徴首長制などという、まやかしの政治システムはぁ、住民投票制度、果ては外国人参政権導入へと道を開くものでありぃ、我が国主権をぉ…」
今どきはとんと見かけなくなった、一昔前の威力抗議活動だ。しかし、現場に到着した一歩と玲奈の視線は、もう一台のトラックに注がれていた。
スターズ・アンド・ストライプス。こんなラッピングを施した車両は、明日登呂市ではあの人物以外にはあり得ない。
「は、はっとりさん?」
なぜはっとり候補のトラックが、街宣車と一緒にいるのだろう。市長の座を争っているとはいえ、トリンプ服部はレンジャー陣営に好意的な態度をとっていたはずだ。
「どういうこと?」
玲奈が派手なトラックを見つめながらつぶやく。
その瞬間、トラックの運転席から黒服サングラスの二人が降りてきて、後部の観音扉を開き始めた。重そうな鋼鉄の扉が全開になり、荷台に積まれていたそれが姿を現す。
「な…」
一歩も玲奈も、言葉を発することができなかった。そして、大音量でがなり続けていた街宣車のスピーカーも、やはりそれを目撃したのだろう。怒鳴り声が止み、行進曲のトランペットだけが駅前にひたすら流れていた。
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