第53話 モノクロームの記憶
「ほんとだ。意外ときれいに片づいてるじゃないですか」
主がいなくなりいくらか荒んだ状態を予想していた一歩は、タコ大家が鍵を開けた通用口から「お惣菜のスワニー」の元店舗内に入るなり、感嘆の声をあげた。ヘルメットは脱いだ状態で脇に抱えたままだ。
「まあ、オレにとっても思い入れがあるからな。諏訪部んとことは、家族ぐるみの付き合いだったし。時々来て埃を拭いたりする程度なんだがよ」
道具や調度は、あえて処分せずに当時のままにしてあるのだ、という。店主が亡くなってからも、その奥さんである美佐江さんがしばしばやってきては、調理器具の手入れなどをしていたのだそうだ。
「最近はみいちゃんも足が弱くなって、あんまりこっちに来れなくなってたんだが、そうかい。若ぇ頃の記憶が入り混じるようになっちゃったのか」
大家が寂しそうにつぶやく。
タコ大家の経営する八百屋の店先で、一歩はここに来た理由を説明した。諏訪部家の祖母、美佐江さんが一時的に行方不明になったこと。バスに乗って芦川駅前に行くつもりが、記憶が混乱して明日登呂駅前の交番で保護されたこと。一歩を「ダンジュウロウ」と呼んだこと。美佐江さんの代わりに、自分が店の様子を見に行く役目を買って出たこと。
すると、タコ大家が「スワニーの物件ならオレが管理してるぜ」と鍵を取り出して見せてくれた。外から様子をうかがうだけでも、と思っていた一歩は、そのおかげで店内に足を踏み入れることができたのだ。
廃業したスワニーに電気は通じておらず、シャッターを閉めたままの店内は暗い。さすがのアストロレンジャーも赤外線暗視装置までは装備していないため、しばらく経って目が慣れるのを待つほかない。
やがてうっすらと中の様子が見て取れるようになると、古いカレンダーや昭和の柱時計に交じって、壁に色あせた小さな写真が何枚も貼ってあるのが一歩の目にも確認できた。
1メートルほどもある大きなくす玉から、ビニールらしい無数のテープが下がっている。商店街の全盛期、夏の祭りで通りを埋め尽くしていた七夕の飾りつけだ。電飾が施され、紙や発泡スチロールで思い思いに意匠を凝らした手作りのオブジェがいくつも並んでいる。
その中にひときわ古びた、白黒の写真があった。歌舞伎でよく見る衣装をまとった、大きな七夕飾り人形。その前で、同じポーズをとって笑っている10才くらいの男の子と女の子が写っていた。
「そりゃあオレとみいちゃん、ここんちの婆さんだよ。60年も前だが、こん時のこたあよく覚えてる。みいちゃんの母親が九代目海老蔵、先々代の市川團十郎だな、のファンでよ。七夕んときに襲名披露の助六を作って飾ったんだ。杏葉牡丹の紋付も、 桜に匂う仲ノ町…」
大家が突然、妙な節回しで時代がかった言葉を発した。
「どこで覚えたんだか、オレが声色で助六の台詞を真似したらみんな大受けでよ。男前で評判の團十郎を、意味も分からずガキのオレがやるんだからな。それ以来諏訪部んちからはずっと團十郎って呼ばれてた」
「なるほど。やっぱりジャガイモを届けるダンジュウロウって、大家さんだったんですね。って、じゃオレ大家さんに間違われたってことですか?ええー、それはないなあ」
「うるせえよ。オレだって元からこんなタコ親父だったわけじゃねえんだぜ」
助六の写真の横には、やはりモノクロームで小山に向かって伸びる石段と、神社の鳥居が写る写真が貼られていた。道に沿って並木が植えられている。おそらく昔の、芦川神社参道だろう。
その時、突然壁に掛かっていた柱時計から、ボーンと響くような音がひとつ、暗い室内に鳴り響いた。
「うわっ、びっくりした」
がらんとした元店内の空間に、寺の鐘のような余韻が残る。しかし、柱時計はとっくに時を刻むのをやめていたはずだ。その証拠に、長針も短針も文字盤の上で微動だにしていなかった。
「ゼンマイだからな。久しぶりに人が動いたもんだから、少し振動が伝わったんだろう。たまにあることだ」
大家が一歩に向かって苦笑いを浮かべる。だが、一歩は振り向いた姿勢で時計をにらんだまま、固まっていた。
「なんだよ、スーパーヒーローのくせに、幽霊でも怖がってんのかい」
「あ、いえ、ちょっと。いま何だか、何かを思い出しかけたような…」
「何かって、なんだ」
「わかんないんです。ただ、何かがこう、頭の片隅から湧き上がってくるような感じがして」
一歩は柱時計を見つめていた視線を、壁に貼られた数葉の写真に戻して言った。
「この当時の芦川商店街は、本当に賑わっていたんですね」
「ああ。芦川銀座、なんて呼ばれたもんさ。日本の高度成長期だ」
この部屋に入ってからの大家は、自分の店にいた時とうって変わって、寂しそうだった。
「商店街がオワコンだなんて前からわかってた、って言ったがな。そのこと自体は、オレにゃどうしようもなかった。商売を続けることはできたものの、次々閉業する街の衰退は、一人じゃとめられねえんだ」
大家の声を耳にしながら、一歩は壁の写真をじっと見つめる。そして暗い店内を見渡すと、しばらく無言でたたずんでいた。
大家も横に立ち、一歩の視線をなぞる。まだ健在だった時の「お惣菜のスワニー」の様子を、その脳裏に描いているかのようだった。
一歩がふと我に返る。
「あれ?いま何時ですか?」
大家が腕時計のデジタル表示を見せる。時刻は18時を回っていた。
「しまった、神社に戻る時間をとっくに過ぎてる」
諏訪部に電話をかけようと、一歩は右大腿部のケースを開けて自前のスマートフォンを取り出した。
「あちゃー、バッテリー切れかよ」
ならばこっちで、と抱えたヘルメットを装着する。ポーン、と軽快な音がしてバイザー画面が明るく起動した。
途端に、いくつものAR画面が眼前に展開する。
「うわっと」
よく見れば、そのいくつかは緊急度Aを示す赤い点滅が付与されていた。
その中のひとつ、ツンデレナからの音声メールをクリックすると、普段の30%増しの音量で玲奈の声が再生された。
「そんなところでいつまでも、一体なにやってるのよ!緊急事態発生。すぐゴンに集合して!」
添付されたネットニュースの記事を読んで、一歩は「はぁ?!」と間の抜けた反応を示した。
同じ頃。
芦川神社境内の「帰ってきたひだまりカフェ」で、諏訪部美佐江が孫の理恵と二人、お茶を飲んでいた。先ほどまでネット放送されていた市長選のメガ雑談会は、総務政務官の共謀罪発言を受けて司会の二人が抜け、後を任された理恵が一般観客をまとめて、うまく収拾をつけていた。
「はあ。初日からいろいろ大変だなあ」
ため息をつく理恵の横から、坊主頭の小学生が顔を出した。
「おねえちゃん。これあげる」
彼が差し出したのは、ハンバーガーチェーンのフライドポテトだ。いつ顔見知りになったのか、彼は放送中も祖母の話相手になってくれていた。
「おばあちゃんも」
「おや、ありがとう」
美佐江はニコニコ笑いながらポテトを受け取り、口に運ぶ。
途端に、その表情が真顔になった。
「どうしたの?」
心配そうにのぞき込む理恵に、
「これ、じゃがいもね。今の子供は、こんなものをポテトフライだと思ってるのかい」
と静かにつぶやいた。
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