第75話 公開ブレインストーミング
黒服の従者を引き連れて、はっとり卿はリモートではなく、芦川神社の市民フォーラムにリアルに登場した。従者のジャケットの左ラペルには明日登呂市の市章と、アクアニア公国の紋章が輝いている。はっとり卿本人はと言えば、出所不明の大時代な勲章を濃紺スーツの左胸に提げて、ひとり悦に入っていた。
「19世紀フランスの本物だぞ。見事な意匠だろう。スタッフに命じて、専門のアンティークショップを探させたんだ」
いやはっとりさん、それ偽物じゃないですか。本物のアンティークかもしれないけど。アクアニア太公が下賜したんじゃなければ、いくら立派でもそれはフェイクでしょ。
口には出さずに、一歩は心の中でツッコミを入れた。
「アクアニアから来週には正式な勲章の授与があるらしいがね。メールに添付された画像を見たら、これがペラッペラの安いやつでなあ。ドンキで売ってそうな。仮にも伯爵がつけるからには、それなりの品格がなけりゃまずかろうよ。そうだろう?」
うーん、はっとりさん。人としては憎めない、いい人なんだけどなあ。
「えー、この日曜日に告示された明日登呂市長の選挙戦も、今日で5日目を数えます。本日の市長選メガ雑談会は、市内に住む大須賀一歩さんからご提案をいただきまして、公開ブレインストーミングを企画しました。テーマはなんと『日本の安全保障』です。それではまず、提案者である大須賀さんに基調講演を、嘘ウソ、提案の趣旨を張り切って説明していただきましょう」
いつもの調子で甲斐が司会役を務めるステージに、一歩は素顔で立っている。アストロレンジャーのマスクを被ってであれば、大勢の聴衆を前にするのも慣れていた一歩だったが、素の状態でプレゼンに臨むのは初めての経験だ。緊張感で声が裏返りそうになるのを抑えて、一歩は壇上から言葉を発した。
「こんにちは。大須賀一歩と申します。縁あって今回の市長選挙にも関わってますけど、今日は明日登呂に住む一人の市民として、ブレインストーミングの提案をしたいと思い、ここに来ました」
ステージ後方の液晶モニターには、アストロノーツの画面が映っている。リモート参加者である市内在住の男性のライヴカメラと、文字のみで参加する者のコメントが表示されるテキストウインドウだ。
「なんで討論じゃなくてブレストか、ってことなんですけど、いろんな人のいろんな意見が聞きたいんです。討論って、割りと話が噛み合わないことが多くないですか?それってたぶん、それぞれがベースに持つ知識の量だとか、偏りだとか、あとは仕事や環境、家族や友達の影響なんかで立場が固まっちゃってるせいだと思うんです」
手元の紙資料を意味もなく開いたり閉じたり、一歩の様子は落ち着かない。売れないとは言え一応は役者のはずだが、今日ばかりは与えられた台本がなく、当然マスク経由のカンニングもない。話し始めても緊張は解けないが、すべて自分の言葉で進めなければ意味がない、と一歩自身が決めていた。
「特に、どうやって戦争をしなくて済むのか、どうすれば平和な世界が実現できるのか、っていうようなシンプルだけど大きなテーマは、議論より先に、色々な考え方を知りたいと思います。自分にない見方や発想を知って、それをみんなで共有することが、議論のスタート地点になる、と思うからです」
集まった人々から、拍手が沸いた。初めてアストロレンジャーの姿で人前に登場した、アストロプラザでのおざなりな拍手とは違う、確かな感情が込められたものだ。一歩はそう感じて、少しだけ気が楽になった。
「いま一度ブレストのルールを確認しておきます。他人の意見を否定しない。思ったことは反応を気にせず言ってみる。他の意見への乗っかり、付け足し、いただきも大歓迎。この3つです」
モニターに映った男性が、一歩の言葉を受けて静かにうなづいている。髪にやや白いものが混じり始めた、50代半ばという印象のその男は、黒い綿のポロシャツにグレーのジャケットをさらりと羽織っている。高級品ではなさそうだが、細身の顔立ちにそれがよく似合っていた。
「よし。では吾輩から見解を述べさせてもらうとしよう。よろしいかね」
客席から見てステージ左手、パイプ椅子に座ったはっとり卿がさっそく手を挙げ、指名を待たずしてスタンドマイクに歩み寄る。
「吾輩は以前から、友好国との同盟関係を維持しつつ、わが国独自の防衛軍備を持つ必要がある、と考えておる。これを阻んできたのが、憲法九条だ。これがあるために自衛隊は活動を制限され、近隣の国家には舐められる。有事の際は友好国の軍事力に頼らざるを得ない。これでは主権国家とは言えんではないか。アクアニアでさえ、軍隊を持っておるぞ。大公殿下が空軍司令兼ヘリコプターパイロットで、ライフルを一挺装備しているだけだがな」
破顔して聴衆を見回すはっとりだったが、笑う者は少ない。ジョークの反応はいま一つのようだ。
「まあ、つまりだ。家に強盗が入ってきて抵抗しない者はおらんだろう。財産や家族を守るためには、バットでもゴルフクラブでも持って、戦わなけりゃならない。実際、自衛隊は軍隊だ。なら憲法を改正して、国を守るために戦えるようにしてやらにゃいかん。核ミサイルで脅しをかける国に対しては、こちらも核武装の用意があることを見せつけてやらねばならん」
はっとりは笑顔を納め、真顔を見せた。
「我が国は、技術的には核保有が可能だ。宇宙ロケットは飛ばせるし、プルトニウムも持っている。核実験なぞせんでも、その力が潜在的にあることは既に世界の常識だ。だが、残念なことに抑止力になっとらん。武力行動が認められていないからだ。日本を攻めても割に合わんぞ、損害の方が大きい、と相手に思わせてこそ抑止が働くんだ。ゆえに、西部劇のガンマンのようにだな、『それ以上動いてみろ、貴様のどてっ腹に風穴があくぜ』と恫喝できるように憲法を変えるべきなのだ」
ここが見せ場と心得たのか、腕を伸ばし指を立て、はっとりは大きな地声をさらに響かせる。
「ウクライナを見たまえ。1994年12月7日だ。米英、そしてロシアと共に「ブダペスト覚書」を締結し、当時世界第3位の威容を誇った核武装を放棄した。大国の口車に乗ったのだ。その軍備はすべてロシアに渡った。それで領土保全と独立主権が保障されるはずだったが、その後起こった事態はどうだ」
聴衆はしん、と聞き入っている。モニター画面の男性も、一歩も言葉を発しようとはしない。発言を遮らないというブレストのルールに従っているのだ。チャットのテキストウインドウだけが、はっとりに同調するコメント群で埋め尽くされていく。
「私が言いたいのは、それだけだ。領土と国民を守るのが、政治家に課せられたノブレス・オブリージュなのだ」
そう締めくくると服部は胸を張り、満足そうに自席に戻った。
一人称が「私」に戻っているあたり、演説に力が入り"伯爵"という選挙用の擬態を忘れてしまったようだ。食えないオヤジだが、やはり憎めない、と一歩は思う。
次は自分が、と思い前に進み出ようとしたそのとき、モニター画面の男が挙手をして発言を求めた。
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