第74話 商店街と、戦争と

引き出された模造紙ロールに、色とりどりのポストイットが貼り付けられている。同じように、床の上にもカットされた大きな模造紙が波打っており、細かく言葉が書き込まれたポストイットの周りには、矢印や丸囲みなど様々な記号や文字が踊っていた。破いて丸めたと思しきコピー用紙が足元にいくつも転がっている。テーブルの奥の方には、アストロレンジャーのグローブとベルトが無造作に放置され、その横のPCチェアーにはレンジャースーツが、あたかも座っているかのように置かれていた。


「なによこれ」

楕円テーブルの手前側には開かれたままのファイルやコピー用紙、そしてそれらと一緒に汚れたマグカップと、コンビニのおにぎりやパンの空き袋が散乱している。

裏選対秘密基地のミラードアを開けて入ってきた玲奈は、室内のあまりの散らかり具合に人知れず嘆息した。

フロアに横たわっている、奇妙な人物。ジャージに黒いパーカーを着て、頭にだけアストロレンジャーのマスクを装着した大須賀一歩だ。玲奈がスリッパをはいた足でその右腿を小突くと、「ん」と小さく声を上げて、一歩は億劫げにわずかに頭を上げた。

「ああ、おはよう」

「おはよう、じゃないわよ。なに、この惨状。夕べもここで夜明かし?近いんだからアパート帰ればいいじゃない」

「んー」

「だから、んー、じゃなくて。食べたゴミくらい片づけなさいよ」

カップや皿を流しに持っていく玲奈の声を聴きつつ、一歩は被ったままのマスクを脱ぐ。

「あいててて」

マスクを着けたまま固い床で寝たためか、首筋を寝違えたらしい。右手でうなじをつかむように揉んでいると、湯呑を二つ手に持った玲奈が戻ってきた。

「はい。起き抜けはコーヒー紅茶より、白湯がいいよ」

「ありがと」

椅子を引いてテーブルに付くと、玲奈が隣に座ってきた。白湯を飲むその横顔を、一歩は無言で見つめる。


「…なに?」

「え?いや」

「ここしか座れないじゃない。どこも紙やら物だらけで」

部屋の惨状は、一歩が一晩中調べ物をしたり、アイデアを書き出したりしていたせいだった。確かに、散乱する物品に加えてテーブルに移動したノートパソコンの電源ケーブルや、プリンターの配線などが邪魔していて、座れるスペースがほぼなくなっていた。

「あのさ」

「だから、なによ」

「戦争って、何で起きるのかな」


( ゚Д゚)ハァ?

玲奈の顔に、ネットでたまに見かける古い顔文字にも似た表情が浮かんだ。

「昨日いろいろ考えることがあってさ。みんなの意見や考えを背負って市長になるのは大事なことだと思うんだけど、その前にこの街に住む一人の人間として、一体なにがやれるんだろう、って」

「で、それが芦川商店街の再起動プロジェクトなの?」

「えっ、何で分かったの」

「分かるわよ、それ見れば」

玲奈が顎で壁に貼られているロール模造紙を指し示す。

模造紙には、「芦川商店街を再起動する」と書かれたポストイットを中心に「個人が所蔵する古い写真」「商店街や店に関係するもの、こと」「昭和の街並み」「変えるべきこと」「変わらないこと」「ミクロネーション万国博」「拡張現実」「バーチャルリアリティ」「メタバース」などといった、さまざまな単語の付箋紙が並べられ、線で結ばれていた。

「この商店街はさ、ゴンのようにずっと変わらないところもあれば、諏訪部のおばあちゃんの店みたいに時が止まってたり、かと思えば大家さんの八百屋や親方のジャワスなんかは、時代に合わせてそれなりに変化してるじゃん。店の持ち主やお客さん次第でいくらでも違う可能性があると思うんだよな。ネットとPIMBYを使って外国からリモートで出店することもできそうだし、ここに想い出をたくさん持っている市内の人たちから、古い写真や映像を送ってもらう、なんてのも面白いよね。選挙写真コンテストみたいに」

「商店街の活性化策ってさ、安易なアイデア倒れが多いのよ。空き店舗を若い人に安く貸すだとか、シャッターに絵を描いてもらうとか。日常的にそこで買い物が発生するシステムができなけりゃ、お客なんて集まらないわ」

芦川駅前でアストロレンジャーと握手!と書かれたポストイットをひらひらさせて、玲奈が嘆く。

「何だか楽しそう、って理由でテーマパークみたいに訪れる一時的なお客さんも、いなくはないと思うよ。それと、毎日ここで買い物してくれる地元のお客さんの、両方を定着させないと難しいと思うんだ。そのあたりまだ構想の段階なんだけど、アストロノーツにスレッドを立てて議論してみたいんだよね」


カラカラン、とドアベルを鳴らして、誰かがカレーショップに入ってきた。営業中の看板は出しておらず、店内照明も落としてあるため来店客ではない。ミラードアを回転させて顔を覗かせたのは、甲斐だった。

「おっとっと」

テーブルに並んで座る二人の姿を認めた甲斐は、そのまま踵を返し後に続いていたミスターの肩に手を置くと、「回れ右」の方向に体を回して、無理やり外に押し出した。

「ちょっと、甲斐さん」

「や、まあその、たまには他で朝飯食いません?ここんとこ忙しすぎて、余裕なかったじゃないですか。最近海沿いに新しくできたパスタ屋の、シーフードランチがイケてるそうですよ。そこ行きましょう、そこ」

「ランチにはまだ少し早くありませんか」

「そんなことないって。そうだ、バロ研の二人も誘って、敵の選挙運動の視察も兼ねて、行きましょう行きましょう」


入ってこない甲斐を訝しみつつも、玲奈が一歩に尋ねる。

「それと戦争と、何の関係があるわけ?」

テーブルに片肘をつき、伸ばした人差し指と親指でこめかみの辺りを支えるようにして一歩に顔を向けた玲奈の髪が、重力で片側に拡がっている。

「それはまた別の話で、いや、別ってわけじゃないか。造田さんが、国政もやるならそういうことも考えろ、って言ってたじゃん。はっとりさんも核武装すべきだ、みたいなこと言ってたし」

「市長選挙とはあまり関係ないけどね」

「昨日の生配信が終わったあと、アストロノーツに市民ユーザーからコメントが入ったんだよ。街に街宣車が来るのも、海の向こうから軍隊やミサイルが来るのも、招かれざるものの不当な侵入を防御し、排除しなければならないのは同じことだ、ってね。現状を不安に思ってる人は結構多いんだよ。憲法改正や緊急事態条項、集団的自衛権をめぐる議論が必要なら、みんなはどう考えるのか、聞いてみたいなって思って」

玲奈は考えをめぐらすように、部屋の天井の方へ視線を向けた。

「で、泣きながら戦うヒーローのアストロレンジャーとしては、どうしたいわけ?」

「まず明日のメガ雑談会でリモートのブレインストーミングをやりたいんだ。ミスターにはもう話をしてあって、いまアストロノーツで参加者を募ってるところ。自分なりのアイデアも、みんなに聞いてもらいたいし」


PC上に開かれたアストロノーツに、メッセージ着信のランプが2つ点灯している。それに気づいた一歩は、パッドを操作して着信画面を開いた。

「ブレストの参加希望が来たよ。ああ、コメントを送ってくれた人だ。ぜひ有意義な議論がしたい、って書いてある。もう一人は、っと。うわ、これはっとりさんだ」

メッセージ画面の最後の行には誇らしく「民主共和党党首・アクアニア公国東方伯爵 はっとり十三」と名前が記されていた。


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