第79話 人のせいにしちゃえばいいじゃん

「伯爵。憲法前文をもう一度よく読んでみてください。私たち日本人は第二次大戦終結後、世界に先駆けて、戦勝で浮かれた連合国よりもいちはやく平和を実現する思想にたどり着いているんです」

モニターに映し出された東田の視線は、あくまでも真っすぐだ。まるでステージを通り抜け、会場に集まった聴衆たちを真正面から見据えているかのように。


「武力による問題解決は、勝者と敗者のどちらも幸福にしない。そのことを、私たちは全世界の人々と共に自覚したのではないですか。それが『人間相互の関係を支配する崇高な理想』です。そしてもう戦争はやめよう、と決意した人類の『公正と信義に信頼して』『安全と生存を保持しようと決意』したのです。『専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去』するために」

「大層な理想だな。その結果、戦争はなくなったか。確かにわが国は大戦後80年間、戦争には直接巻き込まれておらん。しかし世界は違うだろう。21世紀も1/4が過ぎようと言うのに、いまだ軍事力に依存している。アンタの言う『崇高な理想』は、誰にも理解されとらんのだ。残念ながら、武力の廃絶は人間には不可能だ」

言葉を切って、はっとり伯爵は立ち上がった。


「よいか、国家は感情では動かない。しかし、感情を利用するんだよ。内外の状況を冷徹に分析し、他国への侵攻が十分自国の利益に結び付くと判断すれば力づくで国境を越えてくる。その前提として、『こいつらは何をするかわからない』『この国ならやりかねない』と他国に思わせておくことが効果的なのだ。だからこそ、我々も『いざとなれば武力を行使するぞ』という態度を崩してはならんのだ」


会場に集まった人々は、誰もが固唾を飲んで壇上を見つめている。市長選挙の余興のつもりでたまたま立ち寄った聴衆も少なくないのだが、パネラーの真剣な言葉や表情に影響されたのか、いつしか話に引き込まれてしまったようだ。


「人類はそこを乗り越えなければなりません。平和主義を掲げ武力を放棄した日本がいま再び軍備を公認したら、私たちは結局暴力による国家同士の殴り合いを克服できなかったことになってしまう。平和憲法は『日本はもう戦争をしません』という宣言ではなく、『人類はもう戦争をしたくない』という決意の表明なんです」

画面の中の東田は、どこまでも落ち着いている。しかし、当初に比べ表情に力がこもっているようだ。そこには、はっとりの意見は絶対に容認できない、という強い意志が感じられた。


会場が静かにざわつき始める。


・言ってることはわかる。でも、今の東アジア情勢を鑑みれば武力放棄は無理だ。いや、無茶でしかない

・東田さん、よくぞ言ってくれました。戦争と貧困をなくすのは、人類の悲願です。そのきっかけを日本が創りましょう

・ならず者国家は本当にやりかねないんだよ。伯爵だってウクライナやガザを例に出してるじゃないか

・伯爵、意外によく分析してるよな

・平和主義をかかげる日本の話を、他国も国連も誰も聞かない。聞かせるためには強い武力を持つ必要がある。これ矛盾、というかどうすりゃいいの、って話じゃん?

・子供のころ、亡くなった祖父母から空襲の話を聞きました。曾祖父は東京大空襲で命を落とし、曾祖母は焼夷弾の雨の中を命からがら生き延びたそうです。そんな記憶を持つ人々がもうほとんどいない今だからこそ、戦争の無残さを忘れてはならないと思います」


「おい、アストロノーツのスレッドに反応がどんどん上がってきてるぞ」

PC画面をモニターしていた田野親方がそう仲間に呼びかけると、宇堂も自分のスマホから顔をあげて「こっちもだ」と答えた。

「SNSでも意見の応酬が始まってる。いままで漠然と交わされていた自衛隊や軍備の話題が、きっかけを得て盛り上がっているようです。一歩くんのブレスト企画、注目されてますよ」


「あの」

見解が平行線をたどる東田とはっとりの間に、壇上に立つ一歩が割りこんだ。

「平和憲法は、普遍的な理想だと思います。その理念のもとで、日本はずっと戦争から距離を置くことができた。でも、世界はそうじゃないんですよね。なら、人類が戦争廃絶できないのは、それをやめられない他の国々のせいにしちゃったらいいんじゃないでしょうか」


「はあ?」

ゴンの裏選対で、玲奈が声を上げる。


「人のせいにする、とはどういうことだ」

はっとりの力のこもった視線が一歩をとらえた。ステージ奥の画面からは、東田が無言で見つめている。会場の聴衆も、ジャワスの面々も一歩の真意を測りかねていた。


「自衛隊は今の状態では憲法違反、だから憲法を変えて正式な軍にするべきだ、というのが政府与党の立場ですよね。他国の傘に頼らず、自分たちで国を護るために。でも世界が軍縮に向かい、武力を紛争解決の手段にしないと決めるのなら、そんな必要はないわけで」

「その通りだ。だが現実はそうはならない」

「だから、日本はあくまでも平和主義を掲げ続けるんです。武力根絶を世界に呼びかける根拠として。ただ、他国が軍備を放棄しない以上、自衛隊はなくせない。それは戦争をやめないあなたたちのせいだ、と」

「そんな理屈が通りますか。違憲という宙ぶらりんのまま、自衛隊を残すんですか」

「憲法を現実に合わせて変えなくたって、現実の方を憲法に合わせればいいじゃないですか。9条は国際平和を実現するために、陸海空軍その他の戦力を保持しないという趣旨の条文ですよね」

正面に向き直り、一歩はステージにすっくと立った。


「自衛隊は、その名を『憲法9条軍』に改称すればいいんです」

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