第80話 進め!憲法9条軍

「憲法9条軍」構想。

それは、夜を徹して資料を読み漁り、ポストイットを駆使して頭から煙が出るほど考え抜いた末に到達した、一歩なりのアイデアだった。

「9条を含む日本国憲法が制定されたのは、僕が生まれるよりずっと前のことです。だから当時のことは想像するよりほかありませんが、『戦争も軍隊もやめる!』なんて宣言は、当時としては相当インパクトがあったんじゃないでしょうか」


会場に集まった人々、そしてオンラインで視聴している人々は「一体何を言い出すんだ」と面白がってくれてるだろうか。そう考えながら、一歩は言葉を続ける。

「日本の平和主義は、戦後の復興と高度成長と一緒になって、僕たちに力を与えてくれました。戦争に注ぐエネルギーを、発展に向ける方がはるかに幸せで、生産的です。ところが世界の方はそうじゃなかった。日本に原爆を落とした戦勝国はその後も『平和のために』世界中で戦いを続けました。東西は軍拡競争をやめず、人々を救うはずの宗教でさえ争いを助長しました」


明日登呂駅前近くの路上。

米田なおきは選挙カーの助手席から左腕を伸ばし、満面の笑みを浮かべて沿道の市民に手を振っている。だがハンドルを握る運転手も、後部座席でアナウンスを続けるウグイス嬢も、いや陣営スタッフの誰一人として、彼がスマホにつなげたイヤホンから密かに一歩の話を聴いていることに、気がつく者はいなかった。


「だから、もう一度平和憲法にインパクトを取り戻し、力を与えるんです。単に『世界が平和でありますように』と祈る時代は終わりました。祈りや理想を超えて、現実に戦争を廃絶させるための具体的なロードマップ、マイルストーンを日本が示すんですよ」


会場は静まり返っている。

しまった、これは失敗かなと一歩が思ったとき、東田が口を開いた。

「具体的なロードマップ、ですか。かなり難しいですよ。歴代政府もできなかったことを、一体どうやって作り上げるつもりですか」

「ありがとうございます。そここそが、人類の知恵の結集しどころです。一人ではできません。まず『ホン自民党』の仕組みを使って、シンクタンクを創設します。MINNAこと『ミクロネーション国家連携』の力も借りて、参加してくれる国々で条約を締結します。戦争廃絶に向かっての現実的な取り組みを、日本のリーダーシップで世界に呼びかけるんです」

我が国の技術開発力やシステムの信頼性は、世界的な評価を得ている。自動車や建設といった基幹産業、僅かな遅れも見逃さない鉄道網の管理システム、IOTの普及を下支えしたTRONプロジェクト。世界に冠たる経済発展を遂げたその頭脳と愚直なまでの勤勉さがあれば、戦争廃絶は夢物語ではない、と一歩は主張した。


「そこで、『憲法9条軍』です。憲法の理念に則って戦争廃絶を呼びかけるのに、微妙な立場の自衛隊では整合性がとれません。ところが、その存在の根拠を憲法9条に求めるとしたならば、あら不思議、あっという間に合憲に早変わり」

「ちょっと待って。戦力不保持を掲げる9条と、軍事組織の存在は矛盾しますよ」

東田は眉を寄せて、壇上の一歩に反論した。


「繰り返しますが、9条にはこう書かれているんです。『国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』」

東田が再び、先ほど共有した条文をモニターの画面に映し出した。


「そうですね。ということは、この文言に整合すれば軍を持つことが可能になるわけです。僕が想起する憲法9条軍は、平和憲法の理念を実現するために、一時的に存在する軍隊です。紛争解決や威嚇の手段としてあるのではなく、戦争をやめない他国に対する監視と抑止、あなたがた国際社会のせいで軍備を持たざるを得ないという、圧力として存在するのです」

東田の両眼が、僅かに見開く。


「そして日本が主張する戦争廃絶に世界が合意し、軍縮が達成されたとき、憲法9条軍はその役目を終えて消滅します。軍隊になるのです。9条を背景とし、9条のために存在し、9条のもとで消滅を目指す。そのために日本の政府と国民は、戦争廃絶に向けての最大限の努力と活動を宣言する。これこそが本当の意味での『積極的平和主義』です。そうは思いませんか?」

一歩は会場に集まった人々と、オンラインの向こう側で視聴しているすべての視聴者に向かって呼びかけた。


客席の片隅から、パチパチと手を叩く音がした。一歩と観客たちが音のする方に目をやると、力強く拍手をしているのは一人の老婦人だった。スワニーの諏訪部美佐江だ。隣に座った理恵は驚いた顔で祖母を見つめていたが、やがて自身も笑顔で拍手を重ねた。

拍手の輪が、周囲に伝播して拡がってゆく。首を傾げたり、席を立って帰ろうとする者も中にはいたが、観客の多くは壇上の一歩に温かい視線を送っていた。


「アンニャロー。みんなの意見が聞きたいなんて言って、結局最後にいいところをぜんぶ自分で持って行きやがった」

舞台袖に引っ込んでいた甲斐が、横で見守っていたミスターに話しかける。

「私も驚いています。やりますね、一歩さん。正直ここまでの成長を見せてくれるとは、思いませんでした」


「わっはっは。面白い。面白いぞ、大須賀一歩。いや、アストロレンジャー。」

はっとり伯爵は大股で近づいてくると、一歩の手を取ってブンブン振り回した。握手のつもりらしい。

「そういう出鱈目な発想が、時代の革新には必要だ。軍縮と非武装に関しては吾輩は反対だが、面白いのは大好きだ。市長になったら、お前さんを市政アドバイザーとして採用しよう」

出鱈目さでははっとりさん、あなたの方が上ですよ。そう言いかけて、なんとか思いとどまる一歩であった。


一歩さん、と後ろから呼ぶ声がする。振り向くと、モニターの中で東田が苦笑していた。

「まいりましたよ。まだ憲法9条軍に納得したわけじゃありませんが、確かに伯爵の言う通り、アイデアとしては面白い。アストロノーツの元になったネットの掲示板、あれを作ったのは実は私なんです」

ネットを介して誰もが自由に討議ができる、クラウド型のプラットフォーム。それがアストロノーツだ。そういえば、300人委員会で使われた掲示板がそのルーツだったな、と一歩は思い出した。東田はその設置者だったのだ。


「どこまでできるかわかりませんが、ホン自民党のシンクタンクに私も参加させてください。微力ながらそのお手伝いがしたい」

「ありがとうございます!東田さんが参加してくれるなら、とても心強いです」

「しかし、道は遠いですよ。この世から本気で戦争をなくそうなんて、並大抵ではできませんからね」


「不思議ですねえ。あんな頼りない感じなのに、なぜか彼の周りには人が集まってくる」

「それも政治を志す者に、必要不可欠な資質です。一歩さんには、間違いなくその天分がある」

甲斐とミスターがこっそり交わした会話は、一歩の耳には届いていなかった。

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