第78話 自衛隊廃止論

「なんだか地方選挙とは思えない話になってきたなあ」

リサイクルショップ「ジャワス」横に設けられた「VAROM研究所」、通称バロ研の作業デスクに陣取った田野親方が、腕を組みながらモニター画面を眺めてつぶやいた。

「いいじゃないですか。もともと中央政界レベルの話に首を突っ込んで、明日登呂市長選を全国区の話題にするつもりだったんですから」

熱湯を注いだマグカップにティーバッグを添えてテーブルに配っているのは、田野の相棒、宇堂健太郎だ。テーブルには二人の女性、半田イチ子と依田のばあちゃんが並んで座っている。

「そうよそうよどうせならこういうおっきな話でもうみんなを巻き込んじゃってさ。飲み屋なんかでもよくやってるじゃないオレに言わせりゃ防衛なんてものはウンヌンカンヌンて、そういうのみんな意外と好きなんだからさ。あでもこの人?黒いポロシャツのなんか理屈っぽいけど言ってることはなかなか冷静じゃない」

「そうねえ。服部くんも過激なようで、結構考えているのよねえ」

「とはいえ、いま上がっている話題はなかなかセンシティブですよ。軍事力として自衛隊を認めるか、ということと現在の憲法との整合性は長く問題とされてきましたが、国民の前で政治家が明確に議論することはあまりなかったんですから」

「一歩のやつ、ブレインストーミングだなんて言ってたがどう収まりつけるつもりなんだろうな」


「もう一点、重要なので掲げておきますが、憲法前文もこの問題に深く関係してきます」

黒ポロシャツの男はそう言うと、第九条の文言に続けて次の画面を共有表示した。


日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


「む。旧連合国の手による押し付け憲法だな、これは。『平和を愛する諸国民』とは、要するに第二次世界大戦に勝利した国々のことであって、負けた日本はその指導のもと粛々と従え、というわけだ。ところが、再び東アジア情勢が危うくなると手のひらを返して、警察予備隊、自衛隊という事実上の軍事力を備えさせた。安全保障条約と共にだ」

伯爵はっとりはもはや挙手することもなく、画面をにらみながらマイクに向かって声を上げた。

「こんな旧式の、現代情勢から取り残された前文や条文を後生大事にしておるから、我が国は国際的なプレゼンスを発揮できずにいるのだ。一刻も早く、改正しなければならない。私が市長になった際は、市議会に憲法改正の要請決議案を提出して、政府に働きかけることをお約束しよう」

正面のカメラに向かい真面目な表情で訴えるはっとりの顔が、巨大モニターに大きく映し出された。


「私の考えは違います。この前文は、敗戦国・勝利国の別なく普遍的な価値観を表したものです。軍人・民間人合わせて310万人という多大な犠牲を払った日本、全世界では人口の2.5%を上回るおよそ8,000万人が亡くなったのです。悲惨な戦場だけでなく、空襲や原子爆弾により市井の人々も数多く犠牲になりました。戦後の日本人が、もうこんなことは御免だ、と考えたのはごく当然のことだと思います」

「では聞くが、ならばどうして自衛隊を容認したのだ。我々は軍備も戦争も放棄した、だから自衛隊は設立しない、とはっきり言えばよかったではないか」

黒ポロシャツの発言を受けて、はっとりが反論する。


「それは……残念ながら敗戦から間もない当時の日本には、それだけの発言力がなかったからでしょう。成長を遂げ、産業や経済の発展により先進国となった今ならば、それを主張することが可能です。世界ではいまだ、あらゆる地域で紛争が続いている。しかし人類は、その知性で軍事によらない問題解決の道を見つけることができるはずだ、と思っています。いったいいつまで私たちはこの愚行を続けていくのか。もういい加減、暴力を伴わない解決策を実行できて良いのではないか、ということです」

「無理だな。机上の空論、理想論に過ぎん。ピストル持った強盗に、お前さんは『話せばわかる、帰りたまえ』と説得できるのかね」

「国家間の戦争を、警察レベルの犯罪行為に矮小化した比喩で表現するのはあまりに稚拙です」


「なんだと」

「ストップ。お二人とも、ブレストじゃなくて論戦になってますよ。落ち着いてください」

静観していた一歩が黒ポロシャツとはっとり伯爵の間に割って入る。

「いったん整理させてください。はっとりさんは日本の安全保障と世界平和を実現するために、国家としての発言力を増していくべきだ、と。そのためには憲法を変えて自衛隊を国際貢献平和軍に進化させる。核軍備も視野に入れる。そうおっしゃるわけですね」

「その通りだ」

「一方こちらの方、失礼しました、東田さんでしたね」

一歩は改めてモニター画面に表示された黒ポロシャツの男のプロフィールを確認し、その名前を呼んだ。アストロノーツを用いたビデオ会議のフォーマットには「市内在住 東田勝 56歳」と公開ログイン情報が書かれていた


「はい。東田です」

「東田さんのお考えは、日本は憲法制定の精神に再び立ち戻り、武力を用いた戦争に依存しない解決の道を、非戦を掲げた国家として世界各国に呼び掛けていくべきだ、というものですね。ということは、自衛隊は廃止するお考えなんですか」

「当然そうなります。すぐには難しいでしょうが、戦争と軍備による問題解決を放棄する、という思想を掲げるリーダーとして、事実上の軍隊である自衛隊を維持したままでは説得力がありません」

「愚か者っ。東アジアには日本の4倍の軍事費を投入する国や、核実験やミサイル発射を繰り返す独裁国家が存在するのだぞ。ウクライナを見よ。ガザを見よ。それらに対して手ぶらで、アンタは一体どう対抗するというのだ」

はっとり伯爵の一喝が巨大モニターを揺るがした。

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