第84話 Community Continuity Plan
「ええ、わかりました。それではよろしくお願い致します」
ミスターこと小尾和人はそう言って電話を切った。
明日登呂市役所2階の大会議室に設けられた緊急災害対策本部・情報分析分室は、ひっきりなしにかかってくる電話への対応や人の出入りで騒然としている。忙しく立ち回る市役所の職員は、ほぼ全員が防災用の作業服を身に着けており、その上にそれぞれの担当職名が記された反射ベストを着用していた。小尾ほか分室スタッフが着ているベストには「情報分析班」の文字が書かれている。
「防災監理官」の表示があるベストを着た初老の男が、部屋に入ってきた。
「小尾さん。いかがですか」
「いまガス会社の担当者と話したところです。もう少し時間はかかりますが、協力は得られそうです」
小尾は机上のPCを指さして、監理官に示した。
液晶画面に、アストロノーツのウインドウが開いている。市内全域の地図が表示されており、その上に赤や青のピンが無数にマーキングされていた。その中のひとつ、赤いピンをミスターがクリックすると、横に小さく別画面が開いて画像が現れた。海浜公園で一歩が目撃した、地上から1メートルも浮き上がったあのマンホールの写真だ。その近くの、別の青いピンをクリックする。今度は陥没した路面から水が湧き出している道路の様子が、短い動画で表示された。
「アストロノーツの会員から、画像や動画が時刻と位置情報付きでレポートが次々と送られてきています。液状化の度合いや分布、配管の損傷などはこのシステムによって一目瞭然になります」
「このデータとガス会社、水道局などが持っている地中配管マップを組み合わせれば、破損被害の状況が把握できる、というわけだな。グーグルアースや住宅地図との重ね合わせで、液状化で変形した地中の動きと、それに由来する建物の傾きも検証が可能だ。すごい使い方だな」
市役所勤務時代の小尾と面識があったらしい監理官は、画面を見つめたまま唸る。
そうしている間にも電話やメールによる情報が続々ともたらされ、室内に用意されたホワイトボードはメモで真っ黒になっていった。反対側の壁に掲示された市内地図の上にも、ポストイットが一枚、また一枚と増えていく。
「ご存じの通り、民間にはBCP、Business Continuity Planという概念が定着しています。危機管理の一環として、リスクに対し計画的な事業の継続を図るためのプランです。自治体の場合は事業だけでなく、むしろ非常時においていかに住民の生活を維持するか、という視点が必要です。ライフラインを担う企業や行政が連携して、Community Continuity PlanすなわちCCPを確立しなければなりません」
説明を続ける小尾の席に、若い職員がA3版の大きなファイルを持ってやってくる。
「小尾さん、明日登呂のハザードマップです」
おおありがとう、と応えてミスターはファイルを開いた。今回は津波や洪水のおそれはなかったが、地震による被害に一定の法則性が見込めるのならば、今後ハザードマップに項目を追加する必要性がある。
「米田前市長を乗せた救急車が、現地を出ました!」
やや離れたところから、女性職員が叫ぶ。その場にいた全員が、安堵の声を漏らした。小尾もほっとしたように椅子の背もたれに身を預け、大きく伸びをする。
「さて。しかし、これで選挙どころではなくなってしまったな」
「こちらはアストロ市民フォーラム。芦川神社境内からお送りしています」
司会者席に座る甲斐は、いつもの派手な衣装とは一変して濃紺の衿付きシャツをまとっている。見ようによっては、行政が用いる防災作業服にも似ていた。
「本来であれば市長選挙の情報をお伝えするところなんですが、予定を変更して本日夕刻に発生した、地震に関する放送を行います」
「びっくりしましたね」
隣に座った依田の前には、何も置かれていない。愛用の湯呑と共に、以前並べられていた市長選立候補者の人形たちも姿を消していた。
「はい。明日登呂市の震度は5強。地震の強さを表すマグニチュードは7.0でしたので、その割には比較的弱かったと言えるかもしれません。しかし、市内は埋立地を中心に液状化の被害が大きく発生しています」
甲斐は手元のPCを操作して、放送中の画面をアストロノーツに切り替えた。
「私たちのプラットフォーム、アストロノーツにアクセスしていただくと、市内の被害状況がご覧いただけます。液状化の影響がどこでどんな風に生じているのか、どこの道路が通れなくなっているのか、などがこちらを見ればわかるようになっています。またハッシュタグ『#アストロノーツ』をつけてSNSに投稿してもらえれば、我々のボランティアスタッフがその情報をアストロノーツに反映させます。水が出ない、下水が流れない、ガスがつかないといったライフライン系の問題、病人がいる、家が傾いている、などのSOSもOKです。ただし、個人情報の扱いには注意してください」
「市長選挙の情報センターを設置していた芦川神社には、飲料水やプロパンガスなどが多少置いてあります。困った方は、こちらまで来てくださいね。それから、自治会や公民館の皆さんにお願いしたいのは、災害備蓄品の内容公開です。どの地域に何がどのくらいあるのか、アストロノーツで共有してもらえたら、利用しやすくなりますから」
市議を長年務めていた依田のばあちゃんの呼びかけだ。自治会の重鎮になっているであろう地域のお年寄りが反応してくれるとありがたい、と甲斐は思った。
「小尾さん、やはり近隣自治体の中では明日登呂が最も地震の影響を受けているようです。すぐにでも給水車や仮設トイレの支援を県に要請したいのですが、アストロノーツのデータを使ってもよろしいですか」
分室では、対策会議から戻った監理官がミスターに相談を持ちかけていた。
「もちろんですとも。必要に応じてエクセルなどに落としたものをお渡しします。いつでも言ってください」
「ありがとうございます。ところで、選挙はどうですか。米田さんも病院ですし、投票所も使えないのでは」
「仕方ありません。被災対策が優先です」
ミスターは常と変わらない、穏やかな表情のまま答えた。
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