第85話 選挙を止めるな

一夜明けた、金曜日。

本来であれば選挙戦6日目となるこの日、どの陣営も最後のスパートをかけるタイミングを迎えるはずだった。しかし、朝になっても街頭で投票を呼びかける候補者の姿は見られない。ビラを配る運動員も、またスピーカーで名前を連呼する選挙カーの影もない。

代わりに、選挙の当事者である米田なおき候補、アストロレンジャー候補、はっとり十三候補の各陣営の代表者が、明日登呂市役所3階の大会議室に集合していた。


「はじめに私から、昨日の地震による被害の概況を簡単に報告致します」

会議の冒頭で口を開いたのは、明日登呂市の防災監理官だ。

「まず人的被害ですが、死者数ゼロ。転倒や落下によるケガを負った方が16名、幸いなことにいずれも生命にかかわるものではありません。なお、この中には選挙カーで移動中に被災された米田前市長と、運転手の方が含まれています」

会議に列席している一歩は、レンジャースーツではなく私服姿で左腕をさすっている。病院に行くことなく夜通し動いていた彼は、16名のケガ人の中にはカウントされていなかった。


「また家屋の倒壊はなかったものの、ブロック塀および植栽レンガ等の崩落が分かっているだけで132ヶ所、車両やバイクの損壊6件、室内家具の損壊多数となっています。店舗・事業所が被った損害の状況はまだ把握できる状況にありません」

一歩の隣でうなづくはっとり十三は、昨日までのスーツに代わって服部工務店のロゴが入った作業着を着用していた。その向かい側の席では渋い表情の造田剛三が、腕組みをして話を聴いている。入院中の米田の代理という立場で参加しているのだ。


他に会議に参加しているのは、明日登呂市の総務部長、企画部長、副市長。そして選挙管理委員長の淡路というメンバーだ。「臨時民間アドバイザー」の名目で、元市役所広聴広報課長の肩書を持つ小尾和人も同席している。

「地震に伴い液状化現象が市内海側の地域を中心に広範囲で発生しており、上下水道管にガス管、地中埋設電線が寸断状態です。現時点で判明している水道の破断は84ヶ所。この影響でおよそ2万世帯が断水しています。同様に停電世帯数も8200件に上っています」

報告を読み上げる監理官の横で、職員がホワイトボードにも数字を記入していく。

「大病院には非常用電源設備がありますが、中小の医院や老健施設では不安を訴える入所者の方も少なくありません。一般のご家庭で困っている市民も大勢いるでしょう。一日も早い復旧と、それまでの暫定措置が急務です。そこで先ほど午前8時12分、県を通じて国や近隣自治体、そして自衛隊への支援協力を要請しました」


配られた資料を読むこともせず、集まっている誰もが監理官の説明を傾聴していた。

「駆け足ですが、状況は概ね以上です。詳細については、職員専用グループウェアでデータを共有していますので参照してください。こちらにおられる小尾元広聴広報課長よりご提供いただいたデータです。おかげで、地震発生から15時間という異例の早さでここまで実態をつかむことができました」

監理官が着席する。次いで淡路委員長が起立した。


「選管の淡路です。時間がない。要件を手短に申し上げます。ご承知のように、今わが市は市長選挙のただ中にあり、その投票日は明後日です。しかし今回の災害で、予定通り投票を進めることはおそらく無理だろうと思われます。市民の方もそれどころではなく、望ましい投票率を得るのは難しいでしょう。非常に残念ですが、公職選挙法57条の規定に基づき本選挙の投票は延期、繰り延べとしたい。皆さんのご了解を、」

「それはダメだな」

淡路の言葉を遮り、造田が声をあげる。

「なぜです」

「過去に繰延投票が行われた前例は、私も承知している。だがそのほとんどが、台風の直撃で投票所に足を運ぶことができなくなった事象によるものだ。今回は人的被害も少なく、当日の移動も困難とは言えない。告示から既に6日が過ぎている。再投票となれば、大切な税金を再び使うことになる。職員も準備を進めてきたんだ、このまま実施すべきだと思うね」


造田の言い分は一見もっともだ。だが、と一歩は思う。予定通り投票を行ったら、状況はおそらく米田に有利になる。選挙中に負傷した米田には同情票が集まるし、地震という不測の事態に際し、未経験の新人がトップに就任することへの不安もあるだろう。さらに、投票率の低下は現職有利に働くはずだ。歴戦の造田が、そこに気付かないはずはない。


あんたの腹は分かっている、とばかりに、淡路委員長は造田を一瞥する。

「実は会議の前に、病院の米田さんに会ってきた」

淡路の言葉を聞いた造田が、目を見開く。


「米田さんはただ一言、市民の思いを大切にしてやって欲しい、とだけ言われた」

「そうですか。米田さんらしいですね。では私から」

ミスターが立ち上がった。

「市役所の各課宛、明日登呂新聞社宛、芦川神社の市長選情報センター、アストロノーツ。電話やメール、FAXほかあらゆる手段で、市民から問い合わせが届いています。選挙はやるのか、投票に行きたいが投票所は開くのか、期日前投票に行ったが無効にならないのか、等といった内容です」

ミスターは机上から厚さ5cmほどもある紙の束を取り上げた。

「市民の皆さんは、今回の選挙の行方に関心を示しています。ここでその思いが途切れてしまうのは、非常にもったいないことです」


「しかし」と淡路委員長は反論する。

「心情としてはわかりますが、現実的に考えて困難だとは思いませんか。災害の対応をしつつ、市内39ヶ所の投票所に人員を割くのは無理というものでは」

副市長が総務部長、企画部長と小声でなにやら話している。副市長はやがて「投票所周辺への駐車は制限されます。また、周辺道路は一部車の通行を規制しなければなりませんから、誘導が必要です。通行の安全を確保するための人員も不足します」と告げた。


やはり難しいのか、という空気感を破ったのは、はっとり十三だ。さすがに胸の勲章は今日は外している。

「本日早朝から、我がグループの社員が総出で投票所周辺道路の整備と保安活動に就いております。ボランティアではなく、出勤扱いでな。ただし、選挙権を持たない市外在住者のみ。市内に住む者には、自宅の安全確保を優先させてます。とはいえ、被災が大したことないからとボランティアを申し出る者もおるようで。よろしければ、手伝わせますぞ」


「ありがとうございます。助かります。ボランティアのお問い合わせは全国から市の方にもいただいておりまして、破壊された道路やレンガ、縁石等の除去、滞留汚泥の除去清掃、道路の迂回誘導、危険箇所の保全等に人手が必要です。洗浄のための水の確保やボランティアの方々の休憩・宿泊施設の用意、食料品の用意など、受け入れ体制を現在全力で整えています」

答えたのは、総務部長だ。監理官が尋ねる。 

「受け入れ準備が整うのに、どのくらいかかりますか」

「2日、いや明日中にはなんとか」


なんだか外が騒がしい。人が大勢集まっている気配がしている。一歩のスマホから、着信音が響いた。

「一歩さん、ジャッカー帝国のカイゼルです」

ヒーローサポート企業の代表で、アストロレンジャーに協力してくれている星野だ。

「いま会議中ですよね。ちょっとそこの窓から、外を見てもらえますか?」

スマホを耳に当てたまま、一歩は席を立って窓際に移動する。


「おお?なんだこれ」

一歩の声にはっとりが反応した。

「どうした……ははあ、こりゃあまた」

会議に参加していた全員が、窓際に集まり外を見下ろす。

建物に面した広場に、思い思いの扮装をした着ぐるみたちが集結していた。


黄色いウレタン製の丸っこい衣装で飛び跳ねているのは、ブナの森市のキャラクター『ブナっしー』だ。その隣に姿勢よく立つヒーローは、赤いマスクと両肩に桜モチーフをあしらい、漢字の「五」をデフォルメした紋様で身を飾っている。五街道市の『イツカイザー』だった。

“リアルを極めし車エビの化身“『轟エビ太郎』と、がざみモチーフの萌えキャラ『がざみん』は、山口県宇部市からやってきた。

その他にも、宇宙超人ネイバー、ミナミキューマン、夢戦士マイハマン、うどん戦隊メンメンジャー、アサリの妖精あっさり君。日本各地を代表するご当地ヒーローやキャラクターの面々を中心に、30名あまりの集団が一堂に会している。その中に、カイゼル総統こと星野の姿もあった。


「みんな今回の市長選挙で明日登呂市に注目してくれてたんですよ。地震が起こってすぐ、応援に行こうという動きがSNSで生まれまして」

スマホを手にしながら、星野は階上の一歩たちを見上げる。彼がうなづくと、ブナっしーとがざみんが、頭上に手づくりの横断幕を広げた。

そこには、こう書かれていた。


がんばれ明日登呂!

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