第49話 選挙事務所レポート
蒼い波の向こうに遠くかすんでいた街並みが、見る見るうちに近づいてくる。白く泡立つ波打ち際を越え、移動する視点はさらなる高みへと上昇していく。道路が見える。橋が見える。工場や民家、ホテルにマンション。縦横に行き交う車やバス、そしてこの地で生活を営む、年齢性別様々なたくさんの人々。
ドローンのカメラは明日登呂の街の姿を映し出し、緑拡がる公園の上空までやってくると、そこで静止した。
著作権フリーの音源からダウンロードした軽快なジングルが流れ、画面がホワイトアウトする。入れ替わりに「市長選メガ雑談会 in アストロ市民フォーラム」の文字が現れた。拍手が鳴り響く。
「はいっ、という感じで、美しいアストロシティの街並み映像から始まりました、今夜の生配信。市長選メガ雑談会、in アストロ市民フォーラムの第一回でございます。司会はおなじみ、私、甲斐元治と」
「こーんばんは。解説のよーだー、です」
「この番組は、いつも投票率の低い地方選挙というものに対して、少しでも関心をもっていただこう、ちょっとでも選挙を楽しんでもらおう、という趣旨のもとに、公職選挙法をよぉぉーく読み込んで、ですね。決して違反にならない範囲で、あーでもない、こうでもない、とみんなで楽しく『雑談』を繰り広げちゃおう、という、画期的なコンセプトで企画されました」
「公職選挙法って、変な法律なのよねえ。走ってる車から演説しちゃダメ、自転車に候補者の名前を書いちゃダメ。選挙事務所でお茶ならいいけど、コーヒーは出したらアウトだなんて。みなさんご存じかしら」
「そう、そういう疑問質問、ご意見ご希望、こんな選挙はどうかしら、どこそこの候補者はイケメンだった、あいつの政策はひどかった、など何でもしゃべって、しゃべり倒して一人でも多くの有権者と共に、日曜日の投票になだれ込もうというのが狙いです」
芦川神社内特設ステージに設けられた、司会者ブースに座る甲斐と依田のばあちゃん。ステージ中央にはスタンドマイクと椅子がいくつも並び、下手側には境内の様子が映し出された大画面モニターが鎮座している。
ステージ前には観客席が用意され、めいめい勝手に陣取った人々がビールやら焼きそばやらをつまみつつ、ステージを眺めてはわいわいと語らっていた。選挙イベントというよりも、ビアガーデンかお花見か、といった風情だ。
「さて、何が起こるかわからない、シナリオのないドラマというかまあ、まんま選挙のドキュメンタリーになると面白いと思っているわけなんですが、まずは市長選情報センターの様子を見てみましょうか。諏訪部さん?」
「はい。こちら情報センターの諏訪部です」
ステージ上のモニターに、ヘッドセットマイクをつけた諏訪部嬢が映る。祖母が戻って安心したのか、表情にすっかり明るさが戻っていた。
「さきほどご提案がありました市長選挙の写真コンテスト。早速何人かの方が、撮った写真を持ってきてくださいました」
諏訪部嬢の後方には真新しいボードが設置されており、そこにプリンタ出力された写真が数枚張り出されている。ホワイトハウス事務所で両手をあげるトリンプ服部、選挙カーから手を振る現職の米田。アストロボートで颯爽と街を走る姿は、われらがアストロレンジャーだ。神社の下で撮ったらしい、選挙ポスター掲示板の写真もあった。
「皆さん、いい感じですね。市長選情報センターでは、今回の選挙に関するあらゆる情報をご用意しています。縁日みたいに盛り上がっていますから、ぜひお立ち寄りください。選挙のお写真をお持ちいただいた方は、『帰ってきたひだまりカフェ』でドリンク一杯プレゼントです」
諏訪部の横から短パン坊主頭の小学生が顔を出し、画面に向かって両手ピースのポーズをとる。そのまた後ろでは、椅子に座ってにこやかにお茶を飲む、諏訪部の祖母の姿が映っていた。
「ありがとうございます。ひだまりカフェも、なかなか盛況になってきたようですね。さあ、本日の予定でございますが、この後まもなく『明日登呂の未来を考える市民の会』が記者会見を行うとのことで、地元マスコミや市民の方々が集まっていらっしゃいます。三名の候補者の方々、そして行方がわからない軽石さんも、ご覧になってましたらぜひ、こちらにご参加ください。参加資格はございません。どなたでも、どうぞ」
「記者会見まで、まだちょっと時間があるようね。候補者の事務所の様子はどう?、誰か呼んでみたらいかがかしら」
机上に並ぶ、ディフォルメされた候補者人形の頭をポンポンと叩きながら、依田のばあちゃんがつぶやく。
「そうですね。でははっとり事務所前に行っている、こちらは半田さんですね。半田さん、聞こえますかあ」
ひだまりカフェを映していたモニターの画面が変わる。ピンク色をした柔らかそうな、三角形の正体不明の物体が大きく映し出された。ピントが合わずぼやけているが、よく見るとなにやら細かく動いている。
「お団子?」
甲斐が発した言葉にかぶさるように、「こらこらこらこらだめチューイちゃんだめだーめよ」と甲高い女性の声が響いた。GoProで撮っているらしいカメラがやや遠ざかると、首をかしげながらペリドットカラーの大きな目でこちらを見据える、白いロン毛のネコが正面に陣取っていた。
「ごめんなさいねえやっぱりネコちゃん抱っこしながら撮影ってできないわねしゅるるって腕から降りちゃって。あたし撮ってよほら素敵でしょかわいいでしょって、そうなのかわいいのよこの子」
「半田さーん。あのー、はっとり事務所の様子は」
「あそうそうはっとりさんよね、えーとあこんにちはなんかすごいお兄さんいるわねあのはっとり候補はいま事務所にいらっしゃいますか?」
半田が声をかけたのは、例によってSPを模した黒服サングラスの一人だった。ホワイトハウス事務所の前で、正面を向いて足を開き、手を後ろに組んで直立不動で立っている。そろそろサングラス越しだと辺りが見えづらくなる時間帯のはずである。
「閣下はいま遊説に出ておられます」
「閣下ぁ?」
フォーラムの甲斐と現地の半田が、同時に声を上げた。依田のばあちゃんは愉快そうに「ほっほっほ」と身体をゆすって笑っている。
「大統領閣下、ってことか。徹底してるなあ」思わず発した甲斐の言葉をマイクが拾って、モニター画面から再生した。
「すみませーん、こちら市民フォーラムより生配信中の、市長選メガ雑談会、司会の甲斐、と申します。その出で立ちははっとり事務所の方ですよね。ちょっとお伺いしたいんですけれども」
黒服サングラスのSPは無言でうなずきつつ、右耳に嵌めたイヤフォンの位置を軽く直した。もっとも、甲斐の声は半田が持つスマートフォンの、ライブ動画配信を通じて現場に伝わっている。黒服がつけているイヤホンは、はっとり事務所の連絡用のものだ。
「さきほどは大変ゴージャスな事務所開きの様子を、拝見させていただきました。事前に花火が上がっていたようですが、選挙運動に花火は禁止なんですけど、そのへんはいかがなご認識でしょうか」
黒服サングラスは動じる様子もなく、無言を貫いている。ややあって、イヤホンから指示が出されたのか「花火は無関係です」とだけ答えた。
「あ、そう。あれははっとり候補とは関係ないんですか」
「公職選挙法第140条ね。禁止されているカネや太鼓、ラッパにサイレンなどを用いて気勢を張る行為、の中に花火も入るのよねえ。じゃ、何ならいいのかって言うと、はっきりした基準はないのよ」
「あららあらまあじゃクルマに乗っけた巨大はっとり人形とかホワイトハウスでシュプレヒコールなんかもけっこうグレーゾーンじゃないですかどうなんですか」
ばあちゃんの解説を受ける形で半田が黒服にカメラを向けて詰め寄る。尻尾を立ててチューイが黒服の足元にじゃれる様子が、モニターに映し出された。
「勤務中ですので、失礼します」
表情を変えずに一言発すと、黒服は事務所内へと足早に消え去っていった。
「ありゃま」
半田の持つGoProが、薄暗くなった街のストリートに面した「はっとり十三」名の看板付きホワイトハウスをとらえている。物珍しさに集まった人々が、スマートフォンで動画や写真を撮影していた。
「ええー、まあこちらはこんな感じでーすはっとり候補がお戻りになったら、あ、閣下?どっちでもいいかお見えになったらまたお話しをうかがってみたいと思いまーす」
画面が切り替わり、カメラは米田陣営の選挙事務所を近景で映し出した。テレビレポータ―のようにハンドマイクを手にしているのはバロ研の宇堂だ。
「こちらはアストロプラザ横の、現職市長米田候補の選挙事務所です。実は先ほど報道の趣旨をご説明して、取材の許可をお願いしたのですが、残念ながら協力が得られませんでした」
画面左端に立つ宇堂が、後方の米田事務所の方を振り返る。壁に「必勝」と書かれた大きな為書きが何枚も貼られ、花と片目のダルマが長机に置かれているのが見えた。古くから続く、王道の選挙事務所スタイルだ。中年から老齢の男性が十数人、忙しそうに立ち回ったり、談笑する様子が見て取れた。
「宇堂さん、米田市長は、いや選挙中だからもう市長じゃないのか、米田さんはいま中に?」
「いえ。まだ八時前ですから、市内を廻っておられます。この時間だと、海側のマンションエリアですね」
甲斐はPC上のアストロノーツを操作して、米田の現在地を調べた。SNSから時間帯別にあげられた目撃情報が、マップにプロットされている。市民が撮影するライブ映像が小さなウインドウで立ち上がった。路上に幟を立てて、ビールケースの上でマイクを握る米田の姿が、そのままステージモニターに転送される。
「米田氏は八時過ぎてからも、こちらに戻らず明日登呂駅前で辻立ちの予定です。法律ではマイクを使わなければ、遅い時間でも制限なく演説が可能ですから。帰宅する勤め人や学生さんにアピールを欠かさない、選挙慣れした現職らしい戦略です」
「なるほど、わかりました。いずれインタビューの機会を持ちたいですね。ありがとうございました」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます