第50話 アストロ予算EXPO
甲斐がモニター上の宇堂と会話を交わしている間に、ステージ中央のスペースに入ってきた人物がいる。ミスターと、PCを携えた田野の親方だ。観客席前列に集まっていた地元マスコミの取材陣が二人にカメラを向け、フラッシュをたく。テレビの報道で見かける記者会見ほどの人数ではないが、これまで明日登呂ではあまり見られることのなかった光景だ。それに釣られてか、足を止める一般客も放送前に比べて増えている。
「それでは、準備が整ったようですので、これより『明日登呂の未来を考える市民の会』主催の記者会見を行います。会見の模様はメガ雑談会の一部としてリアルタイムでネット配信すると共に、明日登呂市長選・市民フォーラム特設サイトにアーカイブいたします。ご覧になりたい方は、登録していただければいつでも視聴が可能です」
言い終わった甲斐がステージ中央に目を向けると、ミスターが軽くうなづいた。
「ではここからは、『明日登呂の未来を考える市民の会』代表の小尾さんにバトンを預けたいと思います」
「こんにちは。皆様にはお忙しい中をご参集いただきまして、誠にありがとうございます。『明日登呂の未来を考える市民の会』という市民団体で、代表を務めさせていただいております、小尾和人と申します。私たちはその名の通り、市民自身の手で街の未来を築いていこうという趣旨のもとで、米田市政二期目に設置された三百人委員会からスピンアウトしてできた、独立系の集団です。既にwebサイトやSNSなどを通じてリリースしておりますが、このたび『象徴首長制』というアイデアを掲げ、提案させていただきました。今回の市長選挙ではぜひこの考え方を市政に反映していただこうと候補者の方々に呼びかけており、現在のところアストロレンジャー候補のご賛同を得ることができました」
実際にはアストロQ団こと「市民の会」が、大須賀一歩という個人に仮面を被せ、象徴としての役割を負わせているんだけどね。甲斐が小声でつぶやいた。もちろんヘッドセットマイクのスイッチは切ってある。
「象徴首長制の根本的な理念は、主権者であり当事者である明日登呂の市民が、熟議を進めることによって自ら市政を司っていくことにあります。これまで我が市では他の自治体と同様、行政トップの市長と、審議を行う議会の議員を選挙で選び、両者に市政を付託する『間接民主制』の仕組みを採っていました」
県や市町村など我が国の地方自治体は、長らくこの二元代表制という統治システムによって運営されてきた。しかし、市長にせよ議員にせよ、投票する者からしてみれば政策や考えが自分と完全に一致する候補者など、まず現れるはずもない。マニフェストを読んでみても、ある案件に関しては同意できるが、別の問題については異論がある、などということはいくらでもある。それでも、有権者は選挙公報に記載された候補者の中から、誰に投票するのかを選ばなくてはならない。悪い言い方をすれば、細かい不一致は妥協して、いくらかマシだと思われる人物を選出するほかに選択肢はないのだ。
「本来的には、直接民主制が望ましいのです。けれども、それは現実的には不可能でした。数多ある政治的課題に対し、全市民が内容を理解したうえで議論を進め、合意を形成していくなどということは、どう考えても無理だったのです」
「そこでだ。こいつを見てくれ」
ミスターの言葉を引き継いで、田野の親方が机上のPCを操作しながらマイクに向かって話し出す。
「これは俺たちが、いや私たちが開発を行い、試験運用してきた『アストロノーツ』という協働プラットフォーム・ツールだ。もとい。です」
田野の親方は見かけによらず理系のエンジニアなのだが、廃品の再生を生業とするリサイクルショップの経営者でもある。相方の宇堂もそうだが、彼らは概念を図やチャートで表現し、プレゼンテーションするテクニックに長けていた。
・アストロノーツには多数の登録ユーザーが同時にアクセスできる
・テキストや画像、動画やファイルなどを参照したり共有したりできる
・タイムラインやスレッドをツリー状に展開していくつもの課題を並行して討議できる
・課題の相関や全体像をビジュアルでイメージできるため、理解しやすい
・デジタルだけでなくリアルな対面集会や、紙媒体による情報の拡散・共有も併用する
・象徴首長は重要な討議にコミットし、マジョリティとマイノリティ双方の主張を理解すると共に、課題解決を促進するべく広報・広聴に努める
PCの画面をモニターに映して、田野親方はアストロノーツを使った熟議の概念をわかりやすく説明していった。
「こうやって政治的な課題を徐々に、徐々に収斂させていくんだ。AIなんかじゃできないんだよ。人間が頭と言葉を駆使して、より良い街を創りたいっていう熱意も込めて、進めるんだ。その大勢の想いを理解して共有する市長が、議会と一緒になってもう一度議論しながら、現実のものにしていくってわけだ。わかるかい、これが『象徴首長制』なんだよ。でございます」
紙コップのビールを手にテーブルで雑談していた一般客たちが、いつの間にか田野の話に聞き入っている。
「とは言え、これは最終的に目指すべき姿。理想像です。なかなか一朝一夕にはできないことだと思っています。まずは現行法の範囲内で、可能なことから始めなくてはなりません。自治体統治と運営のありかたを定める法令として、『自治基本条例』というものがございます。ロードマップとしては象徴首長制を盛り込んだ制度設計を進めて、条例化するのがスタート地点と考えます」
田野親方からマイクを受け取り、ミスターが続けた。
「それと並行して、実際にやれることはどんどんやっていきます。自治体がその年に展開する事業は、たいへん広い範囲に及びます。どんなことをどういう優先順位で、どんなバランスで進めるかを決めるには、何が必要だと思われますか?」
突然話を振られた前列の一般客女性が、えっわたし?と戸惑いつつも「計画、とかですか」と答える。
「その通りです。具体的には、予算案の編成ですね」
モニター画面を指さしながら、ミスターは立ち上がって解説し始めた。記者会見というより、セミナーのような雰囲気だ。
「自治体の予算は毎年秋に役所の各担当部署が、来年度の事業をどう展開するか、方向性を示すことから始まります」
モニターには「予算編成の一般的なフロー」と題されたチャート図が表示されている。
「おおまかな方針から徐々に精緻化していき、何をいくらの予算で進めたいか、という金額の入った見積りを描き出します。各部署から出されたこの見積りを市の企画課が精査し、細かい部分をやり取りしながら、次第に精度を高めていきます。こうして作られた下案が幹部や市長に提示され、査定を経たのち『当初予算案』として確定するのです」
当初予算案は「広報あすとろ」や市のwebサイトなどでも公開される情報だ。場合によりパブリックコメントなどで市民から意見を募り、最終的に議会での審議・議決がなされたのち、晴れて成立となる。しかし、文字と数字がぎっしり詰まった当初予算案をじっくりチェックする市民はほとんどいない。そもそもそんな時間がないからこそ、議員や役人に任せているのだ。関心があったとしても、自分の住む地域に関する項目や、目立った大きなテーマについてぐらいで、実際パブリックコメントも十数通寄せられれば良い方だった。
議会は議会で、予算案が通らずに執行が停滞するなどという異常事態はほぼ起こらない。反対多数で成立見送り、なんてことになったら公園の枝一本、動かすことすらできなくなるからだ。さらに予算に関する審議は「賛成か反対か」の一括で行われる。部分的に「これは良いがこれは問題だ」という議論はなされないため、議員としては多少不本意であっても賛成に回らざるを得ない。何か問題が表面化するのは、大抵予算がついて計画が進められる段階になってからなのだ。それまでは市民は予算についてよく知らずに過ごし、議員は具体的な口出しができずにいるのである。
「これでは市民の手による市政、と言ったところで、私たちは計画に関わることすらできません。そこで私たちは象徴首長制の導入にあたり、新たなイベントの開催を実現させたいと考えました」
ミスターが甲斐、依田、そして田野親方の順に目でコンタクトをとる。親方がPCのマウスをクリックすると、モニターにゆっくりと大きな文字が現れた。
「アストロ予算EXPO」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます