第90話 復活の日
芦川駅前にこんなに人が集まったのは、一体何年ぶりのことだろう。改札前から商店街に続く人の波は駅前広場だけでは吸収できず、駅舎内のホームにまで伸びている。
入口付近に滞留しないよう、スタッフが道に出て商店街のアーケードへと列を誘導する。だが広場の真ん中に、かのパワードスーツ“GHD507・ボンバヘッド“が鎮座しており、誰もがその勇姿を撮影しようとスマートフォンを構えるために、行列はなかなか解消されなかった。
ボンバヘッドは白をベースに、赤青緑に塗装されていた。まるでロボットアニメから飛び出してきたかのような極彩色だ。操縦席には誰も搭乗していない。背中に巨大な幟を背負っていて、そこには「芦川駅前商店街・復活大博覧会」の文字が躍っていた。
液状化災害のなか、投票率62%を記録した奇跡の明日登呂市長選挙から、2年の歳月が流れていた。就任してすぐに開かれた臨時の市議会冒頭で、米田市長は所信表明を行った。
明日登呂市の「公式ヒーロー」アストロレンジャーを“アストロメイヤー“と改名し、市民の意思を象徴する「象徴市長」に任命したいこと。
アストロノーツを中心とした、市民の行政参画システムを導入すること。
次年度より予算エキスポを実施するべく、まずは市役所の現場職員全員から意見を聴くアンケートを行うつもりであること。
そして、それらを含む新しい自治の仕組みを法的に担保する、かつてない形の「自治基本条例」を一年かけて検討、成立させることを目指すという内容だった。
以前米田に付き従っていた一部の議員からは強い反発が起こったが、数ヶ月後に任期満了で実施された市議会議員選挙の結果、米田市長の新方針を支持する候補者の上位当選が相次いだ。特に、2年前の市長選挙に触発されたと思われる若手や女性、高齢者候補の初当選が目立ち、新旧の議員に大幅な入れ替わりが生じた。
もっとも、トップで当選を果たしたのは「フラットな立場で課題ごとに是々非々を問う」と訴えかけた、元職の軽石だいちであった。
米田市長は、三百人委員会の轍を踏まないよう議会に「自治基本条例特別委員会」を設置し、並列してアストロノーツ上に市民会議を設立。アストロメイヤーこと大須賀一歩にその議長職を委ねた。一歩は広い知見を求めて、“ホン自民党“に参加した市外のさまざまな人々にも協力を呼び掛けていった。
特別委員会と市民会議はネットとリアルの双方を駆使して条例案を練り上げ、10ヶ月ののち軽石だいちを筆頭とする委員会からの議案として、議会に上提した。
明日登呂市自治基本条例は満場一致で可決、ついに米田市長と一歩たちの夢見た、市民本位の新生アストロシティが誕生したのである。
その間、旧「アストロQ団」メンバーたちの働きも、また目覚ましいものがあった。
ミスターこと小尾和人は、地震対策時の臨時民間アドバイザーを辞した後、カレーハウスのオーナーに戻るつもりでいた。しかし米田と玲奈の二人に引き止められて、明日登呂市の「まちづくり担当副市長」として迎え入れられた。行政と民間の両方の視点を持つ幹部職員として、彼には期待がかかっている。カレーハウス「ゴン」の経営は諏訪部の孫娘、理恵が切り盛りすることとなった。
メンバー最高齢の依田のばあちゃんは、なんと子供たちに生徒会や児童会の目的と仕組みを教える「市立・初めてのガバナンススクール」校長に就任した。学校に学級委員がなぜいるのか。学級委員はクラスで何ができるのか。そうした背景がこれまで教育の現場であまり説明されてこなかったために、多くの子供たちがそのポジションを単なる名誉職だと勘違いしている。校則が学校の法律に相当するものであり、やろうと思えばそれを改めたり、新しく作ったりすることができること。ただしそれには民主的な手続きが必要なこと。だから選挙があること。学校生活を通して民主主義のプリミティブな姿を実感してもらうスクールを発案したのは、市長選の際に模擬投票を実施した市内中学校の生徒会だ。
明日登呂政界の生き字引である依田が校長として招へいされ、講師には現役の市議会議員や象徴市長アストロメイヤー、また一歩と憲法9条軍の議論をした東田など民間人も多数起用されている。生徒総会の運営ノウハウや質問の仕方、議案提出の手続き方法など、児童生徒の自治の仕組みは驚くほど地方自治のそれとよく似ている。若年層の政治離れを防ぐ一つのやり方として、教育にできることがまだまだありそうだわ、と依田校長は語る。
ファシリテーターが本職の甲斐は、日中は本来の仕事に勤しんでいる。そして夜間や休日に、ミクロネーション国家連携の情報を配信する動画チャンネル「MINNA TV」をせっせと更新し続けていた。日本国内はもとより世界中からアクセスされ、コメントが寄せられているそうだ。翻訳は半田イチ子が手助けしている。
その半田はと言えば、古巣の地銀と組んで超地域通貨“PIMBY“拡大に向けた、ネット銀行の設立準備に多忙な毎日を送っていた。PINBY利用に参加を希望する小国家や地域、企業、個人が僅かずつだが増えているからだ。あの造田剛三すら、興味を示しているという。
そうそう、造田剛三は市の随意契約への参加を米田市長から断られ、「身内贔屓だ」と市役所に怒鳴り込んできたそうである。居合わせた依田ばあちゃんに「あなた、これからもゴネるなら、昔私に書いたラブレターの全文を動画で公開しちゃうわよ。それでもいいかしら」と諭され、以来すっかり大人しくなっているという噂だ。米田陣営の後援会長の職からも、いまは息子ともども退いている。
市民の行政参加やガバナンススクール、PIMBY銀行設立など新しい試みを進めるには、情報を媒介するインフォメーション・テクノロジーが不可欠である。それを一手に引き受けるのが、田野と宇堂のバロ研、VAROM研究所だ。アストロノーツのシステム維持とアップデート、ミクロネーション国家への技術指導、PIMBYの流通管理と金融提携、彼らの目前にはやらなければならない仕事が山ほど積まれた。二人だけでは到底回らず、出身校である高専や大学に声をかけて人材を募ったりしている。そこに助け舟を出したのが、老Tuberことタコ大家と、スワニーの美佐江の二人である。
タコ大家は老齢ながら、新しいことにチャレンジする好奇心と柔軟性を持ち合わせていた。美佐江も神社でのじゃがいもフライ出店以来、すっかり元気を取り戻している。二人は明日登呂の街に、同じように能力を持ちながらそれを活かせずにいる高齢者が、たくさんいる事に気が付いていた。今までのシルバー人材センターは、除草や剪定、片付け仕事程度の仕事しか請け負わなかったが、今の時代は高齢者の大半が多様な職業経験を有している。彼らはそれを活用することで個人にやりがいをもたらし、同時に社会に役立てることを目指して、団体を設立したのだ。それが「一般社団法人プラチナ人材センター」である。
代表理事は諏訪部美佐江とタコ大家が2名で務めており、大家は事務局長も兼任している。市内に住む引退技術者のみならず、経理や資料作成、プレゼンテーション、文書作成のノウハウを持つ者や、海外勤務経験者、趣味の域を越えた手芸や模型製作などのクラフト作成、スポーツや武道、釣りなどのエキスパートなどが集められ、一人ひとりのポートフォリオが作成された。そして適性ごとにバロ研をはじめ各所に派遣され、業務の一翼を担っていった。
プラチナ人材センターが軌道に乗り始めた頃、我らが元アストロQ団は、ある大仕事に取り組み出した。芦川駅前商店街の再活性化事業である。
彼ら元アストロQ団の活動拠点は、カレーハウス「ゴン」奥に隠された秘密基地だ。バロ研の建物はリサイクルショップ「ジャワス」の隣だし、タコ大家の八百屋やかつて「スワニー」だった店舗も商店街の中にある。オワコンと呼ばれ、時が止まってしまったかのようなこの元“芦川銀座“に、もう一度古の活気を取り戻したいと願っていたのは一歩だけではなかった。
商店街単独での再活性化事業は、成功する事例があまり多くない。そこで一歩たちは、新生明日登呂市におけるさまざまな改革と、液状化災害からの復興を集大成する、一大博覧会の開催を企画した。象徴首長制をはじめとする地域活性化の新機軸をアピールするイベントを全市域で同時に行い、そのメイン会場を芦川駅前商店街に置くことにしたのだ。そして今日、オープン初日を迎えた「芦川駅前商店街・復活大博覧会」は、芦川駅始まって以来の集客で賑わっている。
「えー、商店街入り口の広場に飾られているこの大型ロボットが、市長救出で大活躍したパワードスーツ、通称ボンバヘッドです。」
いつぞやの市長選討論会と同じ、きらびやかな漫才師ジャケットに身を包んでマイクを握っているのは甲斐元治だ。その前で、取材に訪れた在京テレビ局のクルーがカメラを構えている。
「ボンバヘッドはプロトタイプ、試作機のためこれ一台しかありません。が、同機をベースに量産を予定している"アストロボーイ"が、会場内のヒーロー館でお披露目されています。のちほどご覧いただきましょう。ではどうぞこちらへ」
甲斐はテレビクルーたちを、商店街の中へと導いた。商店街には以前から営業を続けている店もあれば、博覧会を機に新しく開業した店舗もある。どの店舗も外観は昭和の雰囲気を残す、ノスタルジックなたたずまいを見せていた。それぞれの店舗の軒先には、大きな七夕飾りのくす玉が、通りに沿って掲げられている。
「ああこの七夕飾りですか?ではこちら、タイムスリップ館に入ってみましょうか」
甲斐の案内でクルーが連れてこられたのは、2軒分の店舗をつなげてスペースを広くとった建物だ。甲斐の言葉通り、正面に掲げられた看板プレートに「タイムスリップ館」と書かれている。
中には、モノクロやセピア、褪せた色のカラー写真が数多く展示されている。博覧会の企画に合わせ、市民たちから広く集めたものだ。あのスワニーの店内に貼られていた写真もその中に混じっている。写っているのは、表に掲げたくす玉と同じような七夕飾りだ。芦川駅前が元気だった頃、夏祭りの度に競って作られた七夕飾りが、博覧会を機におよそ30年ぶりによみがえったというわけである。
往時の商店街をパノラマ写真で再現したパネルの前には、昭和の高度成長期に使用されていた電話や洗濯機、冷蔵庫にステレオなどの実物家電と、その頃発売されていた洗剤や食品類のパッケージが並べられている。元商店主たちが秘蔵していたものもあれば、協賛するメーカーから提供された品物もあった。木製のステレオが奏でているのは、クレージーキャッツのレコード盤だ。
その隣の古いブラウン管型テレビでは、白黒の特撮番組が再生されている。躯体は1970年代のものだが、画面のみ液晶に変えてDVDを流しているそれは、言うまでもなく田野親方の手によるものだ。
「タイムスリップ館の呼び物は、この『マボロシ商店街』です」
胸を張って甲斐が示す一角には、三畳ほどのブースがしつらえてあった。既に何人かが列を作って、自分の順番が来るのを待っている。ブースの中でヘッドマウントディスプレイを付けていたのは諏訪部の祖母、美佐江だ。
「まあ、まあ」
美佐江がVRで没入している映像世界は、50年前の芦川銀座である。市民から提供された無数の写真や8ミリフィルム、報道写真や市役所に保管されていた資料などからバロ研のチームが3D映像を起こし、最も活気のあった芦川商店街を再現した。
このノウハウはパッケージ化され、全国の商店街に販売を予定している。県や国の助成金を原資の一部とし、やがてはアーカイブ化して日本中を巡回することまで視野に入れた壮大な計画だ。
ブースの上に吊られている大きなハリボテは、歌舞伎の助六を模していた。ダンジュウロウのタコ大家がまだ子供の頃に飾られたという、あの思い出の七夕飾りだ。製作したのはプラチナ人材センターの模型名人チームである。たった一枚の白黒写真とタコ大家の記憶をもとに、細部まで見事に復元した逸品だった。完成した助六を見て、大家は思わず涙したらしい。
「続いてお隣は『ヒーロー館』でございます」
ヒーロー館と題されたその店舗では、白く輝くアストロレンジャーの衣装が店頭で出迎える。この日大須賀一歩は、レンジャーの上位互換機「アストロメイヤー」のマスクとスーツを身に着けていた。外見上は腕と足、そしてマスク中央にラインが一本入った他に、大きな違いは見当たらない。ただ以前に比べて、メイヤー版の方はウェアラブルデバイスとしての基本性能が向上している。アストロレンジャー版のスーツはヒーロー館の目玉として店頭に飾られ、演算装置やメモリを搭載したマスクの方は館内のガラスケースに収められた。
「ご覧ください、われらが象徴市長・アストロメイヤーが自ら来館者にサービスしております」
甲斐の示した先で、アストロメイヤーはさまざまにポーズをとり、また子供たちと肩を並べて、親の構えるスマホの被写体となっていた。その後ろには、伝統ある特撮番組の制作元・東王の全面協力によって、歴代の「仮面レンジャー」等身大フィギュアが並んでいる。中でも10作目の「ネオジェネス」は、陸海空の3体がジェネソードを重ねて掲げるクライマックスシーンで構成されており、本作品がアストロメイヤー誕生のきっかけとなったことを解説するエピソードが、パネルで示されていた。
「やあ、取材の皆さんですね。象徴市長のアストロメイヤーです。今日はお越しいただき、ありがとうございます。私たちアストロシティの魅力と、新しい地方自治の可能性をぜひメディアで伝えていただければと思います。それではどうぞ、よろしくラジャー!」
テレビクルーの前で見栄を切る一歩は、今やすっかりヒーローの風格を醸している。パンダのぬいぐるみでティッシュ配りをしていた当時とは、まるで別人だ。
「そしてこちらが、さきほどお話しした量産型のパワードスーツ、アストロボーイです」
再び甲斐がマイクを手にして、クルーの注意を惹く。重厚感のある巨大なボンバヘッドに比べると、アストロボーイはその昔デパートの屋上に設置されていた、子供向けの乗り物にも似たサイズ感だ。安全性を重視し、キャタピラ部分は外見のみで実際には駆動しない。透明のキャノピーをガルウイングのように跳ね上げて、搭乗者はボックス状の椅子に腰かける。マボロシ商店街と同じようにヘッドマウント式のVRディスプレイを被ると、目前に複数枚のバーチャルパネルが出現する仕組みになっていた。アストロレンジャーが使いこなしていたシステムを改良して、初心者や子供にも扱えるように標準化したものだ。
「USBメモリに収めたシチュエーション・データをチェンジすることで、いろいろな体験がシミュレートできるようになっています」
ヒーロー館には3体のアストロボーイが陳列されているが、対応するUSBメモリの数はもっと多い。消防や災害救助、海中探索に火山調査、空中飛行のような、生身のままでは経験できないようなことを疑似体験するのが、アストロボーイの目的なのだ。製作に当たったのは、バロ研と服部工務店の技術開発部門である。このアストロボーイもまた、博覧会終了後に全国の自治体に貸し出される予定だ。子供たちに先進技術に対する興味関心を高めてもらい、未来の人材を育成するねらいがあった。
売店はキャラクターショップになっている。アストロレンジャーとアストロメイヤーのフィギュアを始めとするグッズ類のほか、2年前に協力ボランティアに集まってくれた他地域キャラたちの商品も買うことができる。一番人気はなぜかボンバヘッドのプラモデルだ。
「よろしければ、次のパビリオンにご案内します」
アストロメイヤーが甲斐と共に、テレビクルー隣の建物へといざなう。
パビリオンと称したものの、そこはもちろん元は単なる仕舞屋だ。カラオケボックスだった建物の一階と二階を改装したその館は、「ドリーム館」と名付けられていた。
「子供たちがいろんな職業を体験するアミューズメント施設がありますよね。ここはその、大人版です」
ホン自民党や憲法9条軍など、アストロノーツの討議システムから生まれた構想は数多い。市長選挙後、注目度のあがったアストロノーツは拡張版が作られて、日本中から地方の自治や創生に資するアイデアがたくさん寄せられていた。「大人の職業体験テーマパーク」もその一つで、若いころに夢見ていながら現実では叶わなかった職業に、ここで就くことができるのだ。
館内にいるのは、いずれも50代より上の男女、見れば70代80代と思しき人々もいる。カラオケ時代の各ブースを利用して、ゲームデザイナーやミュージシャン、カーレーサーなど憧れだった仕事を追体験するサービスは、かなり本格的だ。それぞれプラチナ人材センターに登録された元プロや、専門的に学んでいる学生などがサポートにつき、2時間から半日程度のコースでアウトプットまで完了させる。ゲームデザイナーは作った作品をスマホのアプリとして販売することができるし、ミュージシャンも音源をネットにダウンロードしたり、配信することが可能だ。お望みならばCDかカセットテープに録音するオプションも用意されていた。カーレーサーの場合は実際にレーシングスーツとヘルメットを着用し、3Dシミュレータでコースを走る。短い時間だけでは物足りないと思ったら、何回か通い続けて一層の上達を目指せる。
和菓子職人やパティシェが希望なら、ドリーム館を出て実際の商店街にある和菓子屋やケーキ屋に赴き、お菓子作りが楽しめる仕組みになっていた。こちらは販売することができないが、お土産として持ち帰り「おじいちゃんが作ったケーキだよ」と孫を喜ばせるのはOKだ。ほかにもタコ大家の八百屋での、YouTuberデビュー体験も用意されている。
今後はリクエストを受け付けて、企業の協賛を募り職業のバリエーションを増やしていく予定だ、と甲斐が説明した。
続く「エコノミクス館」「CCP館」には、明日登呂以外の自治体からの視察団が多数訪れていた。エコノミクス館でPIMBY銀行のATMを操作しながら、ミクロネーション国家連携との経済協力体制を熱く語っているのは半田イチ子だ。CCP館では災害時のコミュニティ維持について、情報テクノロジーを活用した具体的な明日登呂での対応をミスター小尾がクールに解説している。視察団はこの後、小中学生を対象としたガバナンススクールを見学するためアストロプラザの会場へ移動することになっていた。芦川駅前商店街とアストロプラザ、そして海浜公園と明日登呂駅がシャトルバスで結ばれており、来訪客は市内を巡回して他の展示や観光、食事、買い物などが楽しめる。アストロプラザでは「予算エキスポ」に関する展示ブースもあり、市の職員がプレゼンテーションを担当していた。
一日だけでは回り切れないコンテンツに対応すべく、海側のホテルに宿泊してもらうこともプランのうちに入っている。商店街単体ではなく、明日登呂市全体で次世代型の地方自治モデルを示しながら、継続的な経済効果を期待する。これが一歩たちの企画した「芦川駅前商店街・復活大博覧会」だった。
翌日、朝はまだ早いというのに芦川駅前には旧アストロQ団の主要メンバーが顔を揃えていた。それだけではない。タコ大家も諏訪部の二人も、米田市長や軽石議員もやってきた。皆、誰かを待っているようだ。
駅前のロータリーに、白い車が停車している。ドアにもたれてスマートフォンを耳に当てているのは、パンツスーツ姿の大川玲奈だ。電話の相手がなかなか出ない様子で、眉を寄せて厳しい表情になっている。
「すいませーん」
電動モーターの音を静かにうならせながら、アストロボートで滑り込んできた人物がある。誰あろう我らが象徴市長・アストロメイヤーその人だ。
「ちょっと。何やってんのよ。皆さんもう集まってらっしゃるのよ」
玲奈の声に、一同が声を上げて笑い出した。
「ごめん。夕べもアストロノーツで議論にのめりこんじゃって。気が付いたら万年コタツに突っ伏して寝てた」
アストロメイヤーの扮装で手を合わせて謝りながら、一歩は玲奈と白い車の後ろに悠然とたたずむボンバヘッドを感慨深く見上げる。
「はっとりさんも今ごろ空の上か」
アクアニア東方伯ことはっとり十三は、市長選挙後にその言の通り、世界議会設立に向けて精力的に活動していた。そして理想実現の第一歩としてまとめあげたミクロネーション国家連携-MINNA-の広域議会が国際的に評価され、なんとこの度「イグノーベル平和賞」を受賞したのだ。その際、本物のトリンプ元大統領からはSNSで受賞を祝う投稿がなされたという。
アクアニア公国で開催される受賞記念パーティーに参加するため、伯爵は夫人を伴って昨夜遅く出発した。市長選のときに見かけた長身の白人女性、あれが本当に彼の妻だったのを思い出し、一歩はついに吹き出した。
「大須賀さん。いいえ、アストロメイヤー。長旅になりますが、どうぞご無事で」
ミスターが前に進み出て、一歩に向かって手を差し伸べる。大須賀一歩・アストロメイヤーはその手をとって、師とも仰ぐミスターと堅い握手を組み交わした。
「じゃねじゃねじゃねー、毎日配信待ってるわよがんばってニャー」抱き上げたチューイの手を持って、半田がプルプルと動かしている。その横で田野の親方がなぜだか号泣していた。
「だってよお。あの阿呆がこんなに立派になりやがって…」
田野を慰める宇堂と依田は二人して大爆笑だ。
「いない間のことは任せておいてくれ。ま、アストロノーツがあればどこにいたって仕事はできるだろうけどな」
軽石もまた、アストロメイヤーに握手を求める。
液状化災害が起こったとき、明日登呂市を支援しようと全国からご当地キャラクターたちが結集して力を貸してくれた。そのおかげで、一歩と仲間たちは無事に選挙を完了させることができたのだ。そのせめてもの恩返しとして、一歩と玲奈、そしてカイゼル星野はいつか全国行脚をやろう、と決めていた。自分たち自身の手で、自分たちの街を創る。そんな方法があることを、身をもって示していきたい。象徴市長アストロメイヤーとして、西へ東へ、北から南まで巡り歩いて、地域の人たちと直に話がしてみたい。
まず目指すのは、ここ関東の地からは遠く離れた山口県の宇部だ。一足先に、コーディネートの目的で星野が現地入りしている。どうせなら鉄道を使わない陸路で、アストロメイヤーの勇姿を見せながら日本縦断を目指そう、その様子を動画で配信していこう、と提案したのは、玲奈だ。
「そろそろ出発するわよ」
白い平凡車のドアを、その玲奈が閉める。
「一歩くん」
スタートしようとアストロボートにまたがった一歩に声をかけてきたのは、米田市長だった。
「娘をよろしく頼む。はねっ返りだが、気持ちは優しい子だ」
「はい。って、え?」
とぼける一歩に、米田は優しく微笑みを返した。
「ふれーっ!ふれーっ!ア・ス・ト・ロ」
大仰な振り付けで声を張り上げているのは、例によって甲斐である。その場の誰もが抱いている、喜ばしくも寂しいような不思議な感情を、場違いな甲斐の声がうまく押し隠してくれている。もうしばらくすると、芦川駅前にまた大勢の人々が訪れてくるだろう。
のぼる朝日が玲奈の車とアストロメイヤーの白いボディを紅く染める。二人は西へ向かって、希望と共に静かに発進していった。
(※次回、最終話!)
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