第30話 計画通り。

「い、いやしかし、この辞令は十二年も前のものでして。ずっと勤務しているわけじゃなくて、ええ確か、非常勤や臨時の公務員なら在職のまま立候補できるんじゃなかったかな」

 甲斐が焦って早口になっている。

「ほう、十二年も前の辞令なのか。では日常的に使用している通称の根拠としては、いささか心許ないと言わざるを得ないな」

 甲斐が両の手のひらで自分の口をふさいだ。いまさら遅い。

「おい、まさか米田市長からレンジャーの立候補を受理するなと、通達が出とるんじゃないだろうな」

 田野親方が口走った次の瞬間、淡路委員長の顔色が変わった。

「馬鹿者!選挙管理委員会を何と心得る。ただの選挙事務屋と思ったら大間違いだ。公職選挙法に基づき、公平公正に選挙を運営するという崇高な目的の下に設置された公的機関。それが選挙管理委員会だ。我々こそは正しい選挙の番人である。その委員長となれば法的に市長と同格、市長の指示権限の及ぶところでは断じてない。見損なうなっ」


ニャー。

 部屋の空気がビリビリ震えるほど緊張の極みに達したかと思ったその時、半田が抱っこしていたネコのチューイがゆるーく鳴いた。

「お尋ねしますが、明日登呂市では『アストロレンジャー』という商標を、特許庁に登録申請なさってますでしょうか?」

 全員が静まり返ったその虚をついて、半田イチ子が冷静に言った。

「商標登録?それは市役所法務部の管轄だ。我々の知るところではない」

「特許庁のデータベースを調べました。おそらく出されてはいないはずです。当方はアストロレンジャーの意匠権と共に、既に特許庁に商標登録を出願しました。権利者は彼、大須賀一歩です」

「何だと」

「こちらが商標出願書受理の控えです。大須賀一歩がアストロレンジャーを名乗る法的根拠の資料足りうるかと思いますが。いかがでしょう」

 書類を受け取った淡路委員長はそれを凝視すると、にやりと笑った。

「成程。ふっふっふ。そういう事ならば、まあよかろう。通称認定申請を受理しよう」

「やった!」

 甲斐の顔が明るくなる。

「あの、ではお名前はアストロレンジャーを使用するということになりますが、そのマスク、ですか?ヘルメットですかね、かぶると顔がわからなくなってしまうのですが、選挙活動はそれで行われるんでしょうか」

 淡路委員長の後ろから、若い係官が顔を出して一歩に問う。

「マスク。うん。だってこれがアストロレンジャーの正式なコスチュームだもん」

 一歩は抱えていたマスクを頭に装着した。内蔵コンピュータの起動音が静かに響く。マスクには改良が加えられていて、起動スイッチが脱着と同期してオン・オフするようになっているのだ。

「しかし、それでは中の方が本当に大須賀一歩さんかどうか、すぐには分からないということになりませんか?」

 ARディスプレイに、若い係官の氏名と職歴などの基本情報が表示された。顔認証システムは、市スタッフの人事データベースともリンクしているのだ。これを使えば、市職員全員の顔と名前、職務が一致する。就任した際には威力を発揮することだろう。

「その通りだ。そんな扮装で神聖な選挙に出ようなどと、大須賀一歩、貴様いい度胸だな」

 淡路委員長が一歩を睨みつけた。ゴゴゴゴゴ。

「我々が規範とする公職選挙法には、候補者の容姿扮装等に関する規定はない。よって、ヘルメットだろうとヒョットコのお面だろうと、選挙活動において制限を加えるものではない。好きにしたら良かろう」

 そう言って、淡路委員長は再び口の端を歪めて笑った。

「おい、七つ道具を渡してやれ」

「あ、はい」

 若い係官がカウンターの下から取り出した箱を、田野親方が受け取る。箱には、いくつかの書類や標札、表示板が入っていた。

「これは選挙事務所となる場所の入口に掲示が義務付けられている標札です。こちらは選挙運動用自動車に掲出する表示板、街頭演説時に演説者が着用する腕章です」

 係官が中身を説明する。立候補届け時に交付されるこれらは、俗に立候補の『七つ道具』と呼ばれていた。大層なものではない。ペラペラの紙や布、木片でしかないが、これを表示せずに選挙運動をすると違反になるのだ。

 受け取り確認の書類に署名、捺印をする。

「大須賀一歩。昨日の討論会は私も聞いていた。政策内容に関して私は論評する立場にないが、日本は基本的にどのような主義主張であろうと、言論思想の自由を保証する国だ。己の信ずる道を、心行くまで進むが良い、若者よ。ただし、選挙違反だけはするな。少しでも違反があったら、すぐに私が飛んでいくぞ」

 淡路委員長は熱風のような気配をまといつつ、背を向けて去っていった。

 ごめんなさい淡路委員長。オレ何となく流されるまま立候補しただけで、そこまで熱い思い入れがあったわけじゃないんですよ。でも、頑張ります。

 ちょっぴり反省した一歩をよそに、「これで良し。すべて、計画通りである」と甲斐が汗を拭い、ホッとしたように呟いた。

 嘘つけコノヤロ。半田の懐で、またチューイがウニャーと鳴いた。

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