第29話 立候補、できるのか?

「おお、本当に来おったな。だが遅い!届け出一番乗りはワシがいただいたぞ。わはははは」

 濃紺のスーツに真っ赤なネクタイ。いつもに増して複雑怪奇に整えられた頭髪は、なんとマッキンキンのゴールドだった。例の大統領そっくりに仕上げている。アストロレンジャーと向かい合う様は、立候補の届け出というよりハロウィンの仮装パーティーだ。

「まあしっかりやりたまえ。健闘を祈っとるよ」

 服部は一歩の両肩をポンと叩き、右手をヒラヒラさせながら去っていった。完全に大統領が憑依している。書類鞄を抱えて後ろに従う二人の男は黒いスーツに黒いサングラス。片耳にはイヤホンまでつけていた。

「どうぞ」

 室内からかけられた声に促され、親方を先頭に一歩たちも部屋に入る。

「本日はお世話になります。第九回明日登呂市長選挙の、立候補届出に参りました。候補者本人が届出書と通称認定申請、供託証明書を持参しております。よろしくお願いいたします」

 立て板に水の如く口上を述べながら、甲斐が一歩の脇腹を肘で突く。

「ん?」

「書類。早く出して」

「あ、そうか」

 一歩は右大腿部にあるボタンを押した。カシャッと音がして、大腿部外側のカバーが開く。レンジャースーツには、当然のことながらポケットがない。かと言ってこの姿でバッグやポーチを持ち歩くわけにもいかないので、ちょっとした小物などは大腿部に収納するよう作られているのだ。

 カバーの内側から書類を取りだし、応対に出た係官に提出する。

「拝見致します」

 一歩と同世代くらいの若い係官は丁寧に書類を受けとると、記入事項を慎重に確認し始めた。

 選挙に関する事務手続きをスムーズに進めるため、本来であれば立候補を予定している者は、告示日より前に事前審査を受けるのが普通だ。選挙の開催が決まると、選挙管理委員会は説明会を開催し、立候補に必要な書類と要件等の情報をまとめて、候補予定者やその代理人に通知する。そして届出書類を提出させる前に前もって審査を行い、不備がないかを確認するのだ。立候補に必要な書類や条件が揃っていないと、最悪の場合届け出が受理されず、立候補できないこともありうる。そうした事態を未然に防ぐため、どこの自治体でも等しく事前審査というプロセスを行うのだ。しかし今回、一歩たちは効果的に後出しジャンケンを出すため、事前審査を受けずにぶっつけ本番で臨んでいた。「市民の会」代表として説明会に出席したミスターはもと市役所の幹部だし、玲奈たちスタッフは選挙の仕組みを十分精査している。昨夜も公職選挙法と首っ引きで不足しているものがないか、よく確認してきた。それでも、ぶっつけ本番は緊張感がある。

「大須賀一歩さん。本籍・現住所共に明日登呂市内ですね。年齢は満三十一歳、供託金も問題なくお納めいただいていますね。はい」

 供託金の百万円は、ミスターが用意して法務局に入金していた。

 係官はもう一通の書類、通称使用届を手にすると、一瞬固まって「ええと、ですね」と言って居並ぶ面々の顔を見た。

 通称認定申請というのは、本名と異なる名前で選挙に立候補する場合に提出するものだ。この届を出すことで、芸名やペンネームなど本名以外に広く知られている名前を使って選挙活動を行うことができる。

「本選挙において使用する通称を『アストロレンジャー』とする、ということでよろしいんですね」

「はい」

 奇天烈な名前で選挙に出馬した前例は、過去にいくらでもある。アストロレンジャーという通称使用が却下されることはないはずだ、とミスターも玲奈も言っていた。

「この通称を大須賀さんが日常継続的に使用していることを示す、添付資料をご提出いただけますか?」

「もちろんです」

 一歩はアストロレンジャーの写真付き名刺と、広報あすとろのコピーを係官に渡した。広報は、例のミスターが取り寄せた十二年前のものだ。

「これだけですか?大須賀一歩さんがアストロレンジャーとして活動していることをもっと客観的に、明らかにできる資料はお持ちではないでしょうか?」

「おう、そりゃ俺たちが請け負うよ。何しろこいつは毎日こんな格好で市民と交流してるんだ。大須賀一歩はアストロレンジャー、こりゃ間違いないぜ」

 田野親方が後ろから口添えする。

「それはわかりますが、もう少し証拠性のはっきりした書面資料はありませんか」

「辞令がありますよ。ハイこれ原本」

 甲斐が手にした封筒からクリアファイルを取り出した。

「辞令書。大須賀一歩殿。右の者を、明日登呂市特別広報部長『アストロレンジャー』として任命致します。市の発展と知名度向上のため、大いに活躍を期待します。明日登呂市長、米田なおき。どうです、これなら文句ないでしょ」

 ファイルをつまんで係官の前に付き出す甲斐のドヤ顔は、まるで容疑者宅で捜査令状を出す刑事のようだ。

「うむ。ということは、だ」係官の後方、肘付き椅子に座って成り行きを眺めていた男が立ち上がり、カウンターまで出てきて言った。

「アストロレンジャーとは公務員に準ずる公職、しかも広報部長という役職者ということになるのだな」

 一瞬の間を置いて、甲斐が「あ」と小さく叫び、手にした辞令書を引っ込めようとした。けれども肘付き椅子の男がしっかりファイルをつかんでいるので、一ミリも動かすことができない。

「申し遅れた。私は当市の選挙管理委員長を拝命する、淡路だ」

 何だか無駄に威圧感のある男だ。気配がゴゴゴゴと音を立てているような感じすら漂らせている。

「地方公共団体の機関から任命、委嘱の辞令を受けた者は、実質上の公務員である。故に、公職選挙法に基づき、在職のまま立候補することはできない。つまり、だ、大須賀一歩くん。君は立候補すると同時に、その辞令に書かれたアストロレンジャーという職位を失うのだ。すなわち、通称認定の根拠そのものがなくなる」

「ええっ。それは困ります」

 予期せぬ事態だった。誰か何とか反論してくれないか?

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