第8話 ダークサイドに落ちた市長

 休憩時間に変な女が来たが、そんなこととは無関係に、オープンしたてのショッピングセンターは盛況だった。よく晴れた日曜日ということもあって、家族連れが続々やってくる。用意されたオープニングセールのチラシとティッシュは、思ったより早めになくなった。一歩の死角にまわってパンダの尻や足を蹴ってきたり、「あれ中に人がはいってるんだぜー」と聞こえよがしに叫ぶ子供が何人かいたが、それでもまあ楽なバイトではある。産まれた仔パンダのおかげでちょっとしたパンダバブルでもあり、身振りを大げさにするとかわいらしく見えるため、たまに一緒に写真を撮りたがる物好きもいた。開店記念の賑やかしとしてはこんなもんだろう。地方キャラ界の大立者、「ブナの森市」のブナっしーには及ばないが。

 時給千円+交通費支給のバイト代はあとから振込になる。一歩は脱いだパンダのぬいぐるみを段ボール箱に梱包して、店長のハンコをもらった終了報告書と一緒にバイト先に送る手配をすませると、従業員通用口から外に出た。これで今日の仕事は終わりである。

 ドアを開けた先で、さっきの女が一歩を待っていた。

「じゃ、来て」

「あの、えーと」

 調子が狂って、まともなリアクションができない。見知らぬ美女に誘われているシチュエーションは、喜ばしい状況と言えるのだろうが、誘われている理由と意味がよく分からない。ナンパじゃなかろうし、マイルドな拉致ですか?

「どうせたいした用事もなくて暇なんでしょ。ちょっと付き合って」

 女は振り返りもせずに、駐車場に向かってずんずん歩いて行く。仕方がないので優柔不断な様子を醸しつつ付いて行く。若干の不気味さを感じながらも、ちょっと興味をそそられたし、それに彼女の指摘の通り一歩は確かにヒマだった。

 映画やアニメならここで真っ赤なフェラーリとかレクサスとかいった高級車が劇的に登場するのだろうが、彼女が開けたのは特別なところが何一つない、普通の白いワゴン車のドアだった。車にあまり興味の無い一歩には何という車種か判別がつかない。役所とか営業車に良く使われる類いの、平凡車だ。

「早く乗って。」

 言われるまま助手席のドアをあけて、頭をぶつけないよう注意しながら彼女の隣に腰をおろす。今は通常サイズの頭に戻っているのだから格別注意はいらなかったな、と一歩は呑気なことを思いながらシートベルトを締めた。

 大須賀一歩は、昔から他人に「緊張感がない」とか「天然」などと言われる事が多かった。加えて、状況に流されやすい性質である。そんな自分を彼は、小さい事にはこだわらないという長所と認識している。

 平凡車は駐車場を出ると、ゆっくりと国道を東に向かった。埋立地を中心に発展してきた海側の地域と、江戸時代から続く古くからの宿場町だった内陸の旧市街とに大きく市域を分断する幹線道路だ。道沿いにはレプトンなど大規模な商業施設や大きいパチンコ店、家電量販店が立ち並ぶ。

 運転席の彼女は、無言のままハンドルを握っている。詮方なく助手席側の窓の外を向いていた一歩は、頃合いを見計らって口を開いた。

「すみません、ところでどちら様ですか?」

「問題はたくさんあるのよ」

 一歩の問いには答えずに、彼女は前方を向いたままで独り言のように話し始めた。

「例えばさっきの、八千五百万が埋まっているって話。あそこは元々市有地で、災害時の避難所を兼ねた公園を作る構想があったの。ところが長いことほったらかしだったものだから、不法投棄されたゴミが随分あって塩漬けの状態が続いていたのね。それが去年いつの間にか大手スーパーとの間で契約が取り交わされて、建築工事が始まったのよ。そしたら地面の中からゴミより始末に負えない有害物質が出てきちゃって、その処理にかかった費用が八千五百万円」

「ずいぶん高いですねえ」

「その処理費用を出したのは明日登呂市よ。入札じゃなく、随意契約でね」

「ずいいけいやく?」

 彼女は一瞬、助手席に座る一歩に眼をやると「ああ」と小さくうなずいた。

「地方自治体の公共事業はいくつかの契約方式があって、簡単に言うと随意契約、一般競争入札、指名競争入札のどれかで請負業者が決まるのよ。入札っていうのは、まあ一種のオークションで、通常は一番安い価格を提示した業者が工事を請け負う権利を得るわけ。普通はそれが一般的なんだけど、入札をやらずに、請負業者を最初から指定するやり方もあって、それが随意契約」

 車は進んできた幹線道路を北に曲がった。駅に向かう方角だ。この街には芦川と明日登呂、二つの鉄道駅があるが、通常「駅」と言った場合はまず明日登呂駅のことを指す。

前方の角に、ガラス張りの目立つ建物が見えてきた。

「多目的文化施設のアストロプラザ。あれも問題の一つだわ」

 一歩は、近所に住む誰かがそこで何かの個展だったか、発表会だったかをやるので案内状をもらったことがあったのを思い出した。内容をはっきり覚えていないのは、あまり興味が湧かず行かなかったからだ。

「ギャラリーに市民集会所、ステージ、音楽練習所、託児所があって、利用率はまあそこそこね。一階には障害者雇用を積極的に推進する民間団体が『ひだまりカフェ』を運営していて盛況だったわ。この春に契約を打ち切られるまで」

「あー、そうなんですか」

「営業継続を求める署名が二週間で六千名も集まったの、知らない?」

「んー、知らないです」

「そうか、知らない、か。うん、期待はしてなかったけどね、別にいいの。打ち切りの理由は、売上が伸びていないからっていう取ってつけたような理屈だった。月々の賃貸料は滞りなく支払われていたにも関わらずね」

 ここ明日登呂で署名運動が展開されるのは、実はそれほど珍しいことではない。埋立地に建てられたマンションや戸建住宅に入居した最初の世代は、それまでの勤め人人生からリタイヤする年齢を迎えている。そうした集団の中には、コミュニティの形成と維持に積極的に関わることで、地域社会に貢献したいと考える人々が少なからず存在するのだ。いわゆる「意識高い系の中高年」たちである。彼ら・彼女らは、大戦後の日本が成長していくなかで職業的スキルを積み重ねつつ、その傍ら消費者運動や反戦運動、環境問題等に関する様々な活動を形作ってきた世代でもある。もともと社会的な問題に関心を持って生活し、時間にも余裕のある中高年層が市民活動の中心を担う構図は明日登呂に限らず多いが、大都市に近く、高齢化が進むベッドタウンであるこの街では特にその傾向が強かった。

 その一方で、日々の生活に忙しく社会活動にあまり関心を持たない層も当然のことながら多くいる。数の上ではむしろそちらの方が主流派、サイレント・マジョリティであった。物言わぬ主流派の人々は、例えば政権与党が持ち出す法改正案等に事あるごとに反発したり、同様に市政に対しても批判的な眼を向ける「意識高い系の中高年」層とは距離を置いている。どちらかと言えば「何でも反対する面倒な人たち」と捉える気持ちの方が強いだろう。そうした背景にあってなお、二週間で六千名を集めた署名の数は、かなり多いと考えて良い。

「本当なら『ひだまりカフェ』に代わる次のテナント選定がなされているはずなんだけど、もう五ヶ月も空いたままになってる。だったら、せめて次が決まるまで営業続けさせれば良かったんだわ。明るくてコーヒーやパンがおいしくて、打合せするにも便利だったのに」

 ハンドルを握りながら、彼女は残念そうにため息をついた。

「そもそもアストロプラザの建設経緯自体、米田市長と関係の深い特定企業への利益供与ではないかって疑惑が持たれてるの。その『造田興産』こそ、レプトンの地中に埋まっていた廃棄物処理を随意契約で請け負った会社なのよ」

 視線の先に川が見えてくる。一級河川の明日川だ。架けられた橋を渡り、道は市域の西側、旧芦川町のエリアに入った。同じメインストリートを走っていても、明日登呂駅周辺に比べて風景が心なしかさびしく見える。

「初めて選挙に出た十二年前、米田市長はそれまでのしがらみ政治から脱却し、市民に寄り添う市政を公約に掲げて当選したの。そのときはちょっとした市民派の青年市長ブームが起きたらしいわ。でも、一期、二期と重ねるうちに、不透明で独善的な政策が目立つようになってきた。議会も市長に与する議員が主流派を占めているから、施策のチェックは事実上なきに等しいしね」

 選挙での投票率が以後四十%前後と低迷するなかで、有権者総数に対する米田市長の得票率は実際のところ二割に満たない。それでも、民主的に選ばれたのだから理はこちら側にある、とばかり造田興産という私企業に有利な形でアストロプラザの建設を進め、さらに巨額の廃棄物処理を随意契約で発注する。その一方で、市民が継続を希望する『ひだまりカフェ』をなかば強引に撤退させる。市長のこうした姿勢に対し、一部の市民からは「まるで、十分な議論を待たずに法案を次々通すいまの中央政権のミニチュアだ」という声も上がっていた。

「ダークサイドに堕ちた、って訳ですか」

 一歩の言葉に彼女は一瞬眉を寄せ、黙って不満げに口元を引き締めた。

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