第87話 黒幕

米田市長は、一歩の父親・大須賀直樹と同じ高校に通った同級生だったのだそうだ。名前が同じなのがきっかけで友人となった彼らは、それぞれ別の大学に進学し、就職した後も交流を続けていた。


今から30年ほど前は、日本も世界も大きく揺れ動いた時代だった。ボスニアでは内戦が続き、一方で長く争っていたパレスチナのPLOとイスラエルが、相互に歩み寄りの姿勢を見せていた。日本国内では大型不況が深刻さを増し、企業のリストラが常体化した。自民党が下野し、細川連立政権が成立したのもこの頃だ。若き日の米田と一歩の父は、酒を酌み交わしては社会と自分たちの関わりについて、大いに議論したものだった。

やがて二人とも結婚をし、子供が産まれた。二人とも自分たちが育った明日登呂の街に暮らして、自らと子供たちの未来のために働いた。

そして、ある事件がきっかけで米田は政治の道を志すことになる。


「明日登呂は、大きく発展するときを迎えていた。だが急激な変化は、何かしらのしわ寄せをもたらすものだ」

懐かしむような、寂しいような複雑な表情を浮かべて、米田は語る。

「芦川の岸辺には、毎年桜が咲いた。風に舞う花びらが、花筏となって川面に敷き詰められるのを私たちは、いや市民は楽しみに眺めていたんだ」

しかしある年、桜の木々が予告もなく伐採されることが決まった。実際には市の予算計画に掲載されていたのだが、そのことを問題視する議員もいなければ、関心を持つ市民もいなかったのだ。米田と大須賀直樹は桜を残そうと署名活動を行ったが、行政は粛々と計画を進めるのみだったという。


「自分や友人、家族の住むこの街のことについて、自身があまりに無関心だったことに愕然としたよ。そして国や世界のことを語る前に、自分の足元を見る大切さにようやく気づいたんだ」

米田は無所属の市民派として政治の世界に足を踏み入れ、市議、県議と順当にキャリアを重ねる。そして12年前、明日登呂の市長に初当選したのだった。

「君の父、直樹にも手伝ってもらい、共に故郷を良い街にしていくつもりだった。ところが私が市議になってすぐ、不幸な事故が起こって彼は突然他界してしまった。彼の思いも一緒に背負って、私は未来と希望のある明日登呂を創る決意をした」

桜伐採事件の教訓から、米田は事前に情報を把握し、多くの人脈を活かして政策を実行することが重要だ、と学んでいた。街の声を聞いて行政に何が期待されているのかを知り、実現に向けた協力態勢を支援者や地元企業に求めた。一期目は夢中で走り抜け、次の選挙も強力な支持を取り付けて再選された彼は、いよいよ改革に本腰をいれる。それを象徴するものが、「三百人委員会」だった。


「三百人の市民委員が取りまとめた答申は、非常に意義深い内容だった。だが、そこに思わぬ落とし穴があった」

市民たちで構成する三百人委員会は、基本的に市長との利害関係を持たない。彼らは純粋に、自分たちの希望や要望を反映させて答申を行った。そしてその内容は、しばしば公的事業に参画する事業者の利害とは、相反するものとなったのだ。

「パブリック・サーヴァントというのは、市民の言う事をただハイハイと聞いていれば良いものではない」

これは、当時から市長の後ろ楯となっていた造田剛三の言だ。市として事業を円滑に進めるためには、地場の産業界や県、国の協力が必要だ。そこには、影響力を持った企業の経営者や組合、既存の政治家に、まとまった票を持つ各種の圧力団体がいる。目指す政策を展開するために、そうした存在に支援や協力を求めれば、彼らもまたその見返りを期待する。一期目で米田が築いた人脈は、二期目では彼を縛るしがらみに変わっていった。三百人委員会の答申は骨抜きとなった。


そう言えば、と一歩は思い出す。市長選討論会ではっとりが「パブリックサーヴァント」の言葉を口にしたとき、米田は露骨に不快そうな表情をした。あれは昔の自分を連想したからなのか、と。


市民のために動くはずが、それを実現しようとすると別の利権に絡め取られていく。米田がその構造に気付いたときには、もはや身動きが取れなくなっていた。

「いや、今さらそんな愚痴を言ったところで、どうにもならないがな。別れた妻からは、それで亡くなった大須賀さんに言い訳が立つの?と何度も非難されたよ」

米田は三期目を待たずして、離婚した。政治家としてはマイナスだったが、スキャンダルでないため支持の低下にはつながらなかった。むしろ、市長はもはや“市民派“ではない、という評判の方が問題だった。


「次の選挙で私が落選したとしても、今のままの構造を温存したら、誰が市長になっても大差はない。根本的な改革が必要だと考えた。そこで思い立ったのが、君の演じたアストロレンジャーだ」

一歩がご当地ヒーロー・アストロレンジャー役に応募したとき、米田はすぐに「親友の息子だ」と分かったらしい。顔立ちや体つきが、生き写しだったのだ。他の応募者が来ないうちに採用を決めた。そして新たに設置した公聴広報課に一歩を預け、市民との交流の接点として活躍させた。天然だが素直な性格の一歩は誰からも愛され、市役所内での評判も悪くなかったと米田は言った。


しかし三百人委員会の調整と、造田興産を始めとする取り巻き企業との折衝に追われた彼は、アストロレンジャーどころではなくなっていた。三期目に入りいよいよ雁字搦めとなって、そこで米田は我が娘を呼び出した。

娘の名は、大川玲奈という。両親の離婚時に既に成人していた彼女は、母親の苗字を名乗っていた。思春期に母の隣にいて、変わっていく父親に対する反発もあったのだろう、と米田が言う通り、彼女は政治学部で市民政策を学び、大統領選の現場を体験するため海外に留学していた。帰国してすぐ、何年かぶりに父から呼ばれたのだ。


そして、米田からある計画を聞き、仰天することになる。それが「象徴首長制」だった。

「アストロレンジャーは、明日登呂の自由と正義のシンボルだった。これだ、と思った」

日本国の元首たる天皇は、我が国の象徴として存在する。ならば、都市の首長がその象徴であることも、また可能なのではないか。特定の一人に権力が集中しない統治システム。これなら、手間はかかるが利権に傾くリスクがなくなる。


玲奈は半信半疑ながら、このプランに乗った。自身も考え続けていた「市民自身による統治」の可能性を、象徴首長制に感じ取ったからだ。そしてそれを最も劇的に世に出す方法を考え抜いて、アストロQ団こと「明日登呂の未来を考える会」に接触し、大須賀一歩を巻き込んだのだ。


「やっぱりそういうことでしたか」

話を聞いて、一歩はため息をついた。

「なんとなくですが、米田さんから今回の選挙に対する気迫が感じられなかったんですよ。はっとりさんや、出馬を辞退する前の軽石さんの方がパワーがあった。それに本気で僕らを妨害するつもりなら、いくらでも機会があったと思います。しかし、邪魔をしてくるポーズだけで、具体的な横槍はほとんどなかった」


ドアの陰で、花瓶を抱えたままの玲奈が二人の話を黙って聞いていた。

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