第35話 市長選情報センター

 自転車程度の速度で走行していると、沿道を行く人や対向車線の車が、みな一様に「おや」という表情でレンジャーを見つめてくる。幟やたすき掛けがなくても、見た目で一見してアストロレンジャーだと分かるからだ。携帯端末で写真や動画を撮影する者も少なくない。選挙カーを仕立てて市内を走り回ったり、要所で演説を行ったり、という一般的な選挙活動を、レンジャーの陣営は今回やらないことにしている。これは、ツンデレナこと我らが選挙参謀、大川玲奈が立てた戦略だ。

「日中はできるだけアストロボートで市内を走り回って。とにかく目立って、存在を印象づけること。あとは私たちがやります」

 昔、ほとんど選挙運動をやらずに当選し、国会議員や知事を歴任した候補者がいたのだそうだ。タレントとして抜群の知名度を誇ったその候補者は、選挙ポスターを掲示する以外はほとんど何もせず、選挙期間中をずっと自宅で過ごしていた。にもかかわらず、毎回トップの得票数を誇り、次点に大差をつけて当選を繰り返した。選挙運動をやらない、というそのスタイル自体が、ニュースバリューを得て主にマスコミを通じて拡散されていったらしい。インターネットのない時代、テレビや新聞などメディアの影響力は今よりもずっと大きかった。従来の政治家にない「何かやってくれそう感」を、メディアを使って醸成することに成功したのだ、と玲奈は言う。

「今回の選挙ではそこを重点的に攻めて、明日登呂変革の『風』を吹かせます。今までの選挙とはとことん違うことを世間に広くアピールします」

 象徴首長制という新しい考え方は、斬新なだけに理解するのに手間がかかる。それを有権者にわかってもらい、なおかつ短期間で浸透させるのは難しいんじゃないか、と漠然ながら一歩も考えていた。にわか仕込みの候補者である自分がそれを負うのは、どう考えても無理というものだ。

 玲奈たちは検討を重ね、選挙期間中の活動を三つに分割することにした。まず、象徴であるアストロレンジャーは、とにかく目立って人々の印象に強く残ることを目指す。その姿は一目瞭然だから、名前を書いた幟や、連呼するだけの選挙カーはむしろ不要だ。期間中、街のあちらこちらに出没して、存在感を強く印象づける。

 象徴首長制をはじめとする具体的な政策の説明については、その推進母体である「明日登呂の未来を考える市民の会」が担当する。そのために、一般的な選挙事務所を設置する代わりとして、全候補者の政策資料や市の刊行物を集めて、ワンストップで市長選に関してのあらゆる情報が閲覧できる「市長選情報センター」を設ける。

 選挙で適切な候補者を選ぶためには、いま市政にどんな問題点や課題が生じているのか、を知る必要がある。だが、それを普通の市民が自分で調べるのは容易ではない。そこで、この「市長選情報センター」だ。案内役としてコンシェルジュを置き、調べたいことがあれば関連する情報を提示できるようにする。アストロノーツにアクセスできるPCも現場に複数台設置し、過去ログの閲覧と同時に仮パスを発行して、システムへのログインを許可し、市民らによる意見の交換と集約が市政に反映される過程を実体験してもらう。

 また、会場には誰でも自由に意見の表明や討論参加ができる「市民フォーラム」ステージを併設、マスメディア以外にも広く取材を許可し、「市民の会」は毎日そこで記者会見を行う。具体的な政策の解説や質疑応答を通じて、象徴首長制の理解浸透に努めようとするものだ。

 三つ目は、その市民フォーラムからインターネット配信する、ライブ中継である。国政選挙では、中央のキー局が特別番組を編成し、情勢分析や解説、開票速報などを流すのが常だが、地方選挙、とくに市町村レベルではテレビ放送などほぼないに等しい。だがインターネットメディアなら、極端な話、スマートフォンとスタジオがあれば動画放送が可能だ。市長選に関する話題を毎日配信して関心を高め、投票率の向上に貢献しようという目的もある。

 選挙戦初日の日曜日、玲奈からはまず各陣営の選挙事務所と、明日登呂駅前広場など市民が多く集まる場所を廻るよう言われていた。他のスタッフは市長選情報センターに集合、集まる市民らのフォローと夕方の記者会見準備に備える。玲奈自身は各方面に指令を出すべく「ゴン」の隠し部屋に待機する構えだ。

 ふいに、花火の上がる音が聞こえた。何の花火だろうと思っていると、バイザーに仕込まれたヘッドフォンから、宇堂の声が聞こえてきた。

「レンジャー、宇堂です。聞こえますか」

 アストロボートの走行中は、安全確保のため視界を遮るARウインドウや動画の表示が、自動的にオフになる。外部との通信は、マニュアルモードで選択しない限り音声のみで行われるのだ。レンジャーはアストロボートを路肩に停止させ、集まる人々に手を振りつつ答えた。

「こちらレンジャー。ただいま米田事務所から芦川方面に少し移動した、大通り沿いです」

「今の花火、聞こえましたか。あれ、服部さんの事務所開きの合図だったようです」

「事務所開き?一ヶ月くらい前から稼働していませんでしたっけ」

 選挙に際して設置される選挙事務所は、選管から「七つ道具」を支給されるまで開くことはできない。しかし、告示より前の期間でも、「選挙の事前運動」にならない範囲であれば、政治活動の拠点として設けることは可能だ。

「確か、閉鎖したマンションのモデルルーム跡地を事務所にして、先月オープニングのパーティーをやりましたよ」

 不動産事業を展開する服部は、募集が終了した自社物件のモデルルームを改装して事務所を設置していた。事務所開きの案内ハガキを市内中に配ったため、少なからぬ市民がその存在を知っているはずだ。そして何日か前に建物の周囲に仮囲いが巡らされ、上部に掛けられた薄い白布からうっすらと「はっとり十三」の大きな文字が透けて見えるのが、SNSなどで話題になっていた。告示前に候補予定者の氏名を表示するのはアウトなのだが、一応「覆い隠してある」という言い訳で、事前運動との指摘を免れる。選挙時にはよくあるやり方だった。

「それがね。凄いことになってるんですよ。そこから遠くないですよね。行けますか?」

 宇堂の問いかけは、薄笑いを堪えているような気配を含んでいた。

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