第60話 プランBその4 地域通貨PIMBY
「市民の会メンバーの半田イチ子です。本自民党にも一般市民党員として、参加を予定しています。本日は明日登呂市に対する、ある政策提案を携えて参りました。どうぞよろしくお願いいたします」
半田は普段、句読点なしの猛烈なトークを仕掛けてくる。アストロ市民フォーラムでの選挙事務所レポートでも、その特徴はまんべんなく発揮されていた。それが今回は、人が変わったかのように落ち着いた、ゆっくりとした喋りに変化している。背筋もピン、と伸びている。これが甲斐の言う、半田の"ビジネスモード"というわけだ。
あいさつを終えると半田はPCの画面を開き、足元のコネクタにケーブルを接続する。先ほどまで「
「皆さんは、地域通貨というものをご存じでしょうか。もうかなり以前から、わが国各地の自治体や商店街組合などで導入がなされていますので、今さら、と思われる方も少なくないでしょう。例えば早稲田・高田馬場で2004年から進められている『アトム通貨』などは、代表的な成功例として知られています。アトム通貨は一定の基準を満たすことで入手でき、指定の店舗で現金の代わりに使用できます。使用期限があり、決められた期間で使いきること、地域経済の還流に特化していること、地域のほか環境や教育、国際への貢献に寄与することが取得につながり、モチベーションになること、などの特徴を有しています」
よどみなく説明を進める半田を横目に、一歩はプライベートモードで甲斐に話しかけた。
「やっぱりいつもの半田さんとは全然違いますね。地銀の元経営企画部長、って本当なんですか」
甲斐は観客席を見ながら、素知らぬ顔で手元に置いたPCのキーボードを操作する。ヘッドセットマイクをつけてはいるが、壇上で無駄話をして半田のプレゼンを邪魔しないよう、チャットで応えるつもりのようだ。
アストロレンジャーの視界に、チャットウィンドゥが開く。
本当だよ。当時は女性初の部長職として、地元で結構話題になったらしい。古い体質の地銀だから、女性活躍のイメージと新規事業の模索を狙った、思い切った人事だったそうだ。地域通貨や環境関連企業の支援、持続可能性活性化イベントやそれとリンクした金利優遇商品など、いろいろ研究していたようだね。
「そうだったんですか。ただのイヌネコおばさんだと思ってましたよ」
うちのメンバーは、マルチタレントが多いんだよ。田野さんだって、なかなかのエンジニアだけどリサイクルショップやってるでしょ。ミスターも地方政治に取り組みながらカレー屋やってるし。オレだってこう見えて格闘技の心得があるしな。
「え?甲斐さんが格闘技?想像つきませんが」
中学のとき通信教育で北斗神拳二級取った。うしゃしゃしゃ。
画面に流れる「うしゃしゃしゃ」の文字を見ながら、聞くんじゃなかった、と一歩は思った。ステージでは半田の説明が続けられている。
「明日登呂市で導入する地域通貨は、基本的にデジタル通貨とします。紙の通貨発行は、印刷や配布に関するコストだけでなく、偽造防止や流通管理にかなりのエネルギーを注がなくてはなりません。そこで思い切ってデジタルオンリーにしようと考えています」
「わたしのような年寄りでも扱えるようになるかしら」
壇上に座った依田のばあちゃんが、手をあげて半田に質問を投げかける。聴衆もそこは気になるところだろう。
「皆さん、今でも鉄道系の電子マネーやコンビニのカードで決済されていますでしょ。入り口とシステムさえしっかり構築してしまえば、難しくないと思います。ブロックチェーンを通じてアストロノーツと連携し、モバイル端末で流通することを想定しつつ、既存の電子マネーともリンクしていけるよう、規模の拡大を目指していきます」
「はい」
明日登呂新聞のコマガタが挙手をする。
「地域に限定しながら規模の経済を目指すというのが、ちょっとよくわかりませんが」
「そうですね。この地域通貨は、明日登呂を核としながら、リアルとバーチャル双方での空間的経済圏を構築するものです。モニターの画面をご覧ください」
モニターに、地域通貨の概念を示した図が表示される。
「地域通貨はもともと、地域内での経済活動を促進し、資金の域外流出を抑制する目的を持っていました。使える期間とエリアを限定することで、その地域内経済を活性化しようというわけです。しかしこのことは一方で、その通貨を使う人や使える場所を狭めてしまう要因にもなります。地域の経済に限定して活性化させようとする『閉鎖性』と、規模のメリットを活用して実用性を高め、普及推進の原動力となる『流動性』が相反してしまうのです」
モニター画面が「課題」を示すスライドに変わる。
「利用可能範囲の拡大」という文字と、「信用度の裏付け」という文字が双頭の矢印で結ばれている。
「本構想での地域通貨は、第一段階では明日登呂市域に限定しての利用を想定します。既存通貨単位、つまり日本円ですね。利用者は初めに、円を原資としてモバイル端末の地域通貨マイページに、等価でチャージします。そしてそれを市内の加盟店での支払い時に使用します。加盟店はできるだけ増やしていきたいと思いますが、地域活性や環境意識などの理想論だけではなかなかメリットが感じられず、拡大には困難を伴うと推測されます。そこで、明日登呂市における各種料金の支払い、例えば施設利用推進公社が管理する施設の利用料、市営プール使用料、公民館使用料、市民大学受講料、市営住宅家賃、市民税、法人市民税などに充てられるようにしたい、と考えます。いずれは、市内の事業者が支払う給与の一部をデジタル地域通貨で支払えるよう、その価値と認知度を高めたいと思います。そこまで行けば、既存の交通系・流通系デジタルマネーとの連携が現実的になります」
そりゃ無茶だ、という声が会場から上がった。全国紙やテレビ局などの取材陣だけではない。集まった一般の人々も、そんなことできるのかよ、という顔で半田を見ている。
「無茶かもしれません。しかし、やってみる価値はある。どこでも使える通貨にすれば利便性は増しますが、それだとそもそも日本円と変わりがなくなってしまう。ですから、あくまで限定的な流通通貨でありつつも、日本円にない特徴を持つことを目指せばよいわけです」
「日本円にない特徴って、地域通貨にですか?」
コマガタ記者が質問しかけたとき、モニターの画面が一変した。
「Hello! HANNDA san,Nippon no minasan」
大小10ほどのスクエアに分割された画面の枠内に、それぞれ外国人らしいバストショットが映っている。インターネット回線を利用した、テレワーク会議の標準的なフォーマットだ。分割画面の中には、芦川神社のアストロ市民フォーラム中継、すなわち半田のプレゼン風景も混じっている。
「Thank you for joining us today, You guys look beautiful.」
ステージ正面に設えたカメラに向かって半田が手を振ると、他の画面に映った全員が笑顔で手を振り返した。
「紹介するわね。彼ら、彼女らは海外のPIMBY賛同者たちです」
「ピンビー、ですか?」
「ああ、ごめんなさい。PIMBYというのが、私たちのデジタル地域通貨の基本単位です。コマガタさん、NIMBYというのは、聞いたことがあるかしら」
「…いえ、すみません、勉強不足で」
「ううん、大丈夫。知ってる人はあまりいませんから。NIMBYは"Not In My Back Yard"の略で、『うちの裏庭には来ないでね』って意味です。例えばごみ処理場とかホームレスシェルターとか、社会的に必要なのは理解できるけど、うちの近所に作るのは勘弁してよ、って態度のことを指す言葉ね。そうやって押し付けあってると、いつまでも問題が解決しないという難しい状況が生じます」
画面の中の様々な人種、年齢、性別の人々がうなづく。その中の白人男性が何事か話すと、下に日本語で「そうそう」と字幕が現れた。発言が自動で翻訳される仕組みなのだ。うなづいているところを見ると、半田の日本語もそれぞれの言語に訳されてあちら側の字幕に出ているのだろう。
「PIMBYはその逆の概念です。"Please In My Back Yard"、みんな嫌かもしれないけど社会のことを考えたら、受け入れた方が得だし、むしろ面白がっちゃおうよ、という精神を表す造語ね。まあデジタル地域通貨は、あんまり嫌がられる性格のもんじゃないんだけど、よくわかんないことも進んでやってみよう、ということでこの名称を取り入れました」
興が乗ってきたのか、普段の半田の喋りが垣間見える。
「それはわかりました。それでこちらの皆さんは、どういった方たちなのでしょう」
当然の疑問をコマガタが発する。
「そうね。じゃ改めてご紹介するわ。彼ら彼女らは、PIMBYをグローバルなブリッジ通貨に展開してくれる、『ミクロネーション国際連携』の仲間たちです」
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