第68話 造田剛三、参戦
その男は市民フォーラムのステージ前、観客席の最前列中央に座っていた。
モスグリーンの仕立ての良さそうなスーツに、黄色いストライプの入った同色のベストを着用している。白くなった総髪は綺麗に後ろへなでつけられていた。腕を組み、首をやや下に向けて両眼を閉じている。70はとうに過ぎているであろう老齢にしては、脚の長さが際立っていた。開き気味にした両足の膝の位置が高い。その先で鈍く光る茶色の革靴も、一目で高級品とわかる品物だった。
他の観客たちは、その男から少し距離をおいた席に座っている。真っ当な職業でなさそうな不穏な雰囲気を男から感じ取って、皆本能的に警戒しているのかもしれない。
「寝てるのかな」
「いやいやまさかわざわざ出張ってきてそれはないでしょいまにカッて目が開いてのけぞり気味に呵々大笑するんじゃないかしら」
「なんすかそれ」
ステージ横の隙間から、甲斐と半田が客席をうかがいながら小声で話す。
「何しにきたんだろ」
「そんなの知らないわよやだ殴り込みかしらちょっと甲斐くん聞いてきてよこんにちは本日はお日柄もよくご機嫌いかがかなんか言ってさ」
「だからなんすかそれ」
「や、これは。造田さんではないですか」
拝殿の参道側から市民フォーラムにはいってきたミスターが、モスグリーンスーツの男に気づいて声を掛ける。造田は閉じていた眼を開き、鷹揚にミスターに視線を向けた。
「ふん、広報課の小尾か。相変わらずつまらん小細工を弄しているようだな」
「元、ですよ。私がいたのは公聴広報課です。皆さんの声を聴くのが先です」
「小理屈だ。気に入らんが、まあそれはどうでもいい。今日は君らの好きな、議論をしにきた」
「おや、そうですか。それは我らも望むところです。米田さんもご一緒ですか?」
造田がギロリとミスターを一瞥する。
「市長は選挙運動中だ。こんなところで油を売ってる暇などない」
「今は市長ではありません。米田候補です」
「小賢しいな」
造田は腕組みをしたまま、再び目を閉じた。
「…というわけで、本日はっとり候補は、アクアニア公国の伯爵位叙勲と同時に、新党『民主共和党』の設立を発表しました。これに対しネットではハッシュタグ『#伯爵祭り』が始まり、一部で大盛り上がりしています」
「リツイートを含めると、半日で2,000を超える関連ツイートが発せられてるのね」
甲斐依田コンビによる選挙実況が配信されている間も、彼らの目の前に居座る造田剛三は微動だにせず、腕を組み瞑目している。
たまりかねた甲斐が時折チラリと造田の様子を伺うのだが、造田の方はまるで意に介していない。
「対する米田候補は、駅や公民館、自治会集会所前など市民の集まる場所でスケジュール通りに街頭演説をこなしています。こちらが米田候補のマニフェスト、政権公約集ですが、基本的には市の中期計画をなぞりつつ、『広く市民の声を聴き、地域産業の発展と創出を目指す』という地道なスローガンを訴えています」
カメラの前に甲斐が米田マニフェストの表紙をかざす。手前に並ぶ候補者人形の手にも、それをミニサイズに縮小したものが貼り付けられていた。横に並ぶはっとり人形には、赤いマントが着せられている。
「はっとり伯爵とアストロレンジャー、二人の派手な対抗馬に比べると、米田くんは候補者としては正統派に見えるわね」
「はい。自ら『唯一のまともな候補者』というスタンスを前面に押し出して、他との差別化を図っているようです。しかし注目すべき点もあります。義理と人情のしがらみ選挙だった過去の市長選と異なり、今回は政策論議が争点になりつつあります」
「『市民の会』とアストロレンジャー候補の連合による、象徴首長制を中心とした政策提案ね。これに対し米田候補は否定的だったけど、論点が明確になるのは、有権者にとってポイントが可視化されるから良いことだと思うわ。いつまでも選挙カーで名前を連呼して、駅頭で『本人』タスキかけて握手して回る選挙を続けてたら、投票率だって上がらないわよねえ」
「その通りです。さてそこで、本日は意外や意外なゲストの方が、この会場に来てくださいました。我がアストロレンジャー陣営と政策議論をしにきた、とおっしゃられているのは、造田興産代表取締役で米田候補の後援会長でもいらっしゃる、造田剛三氏です。どうぞ、ステージまでお越しください」
会場最前席に座る造田に、不意打ちのように甲斐がマイクを向ける。腕組みをしたまま造田は、怯むそぶりすら見せずに鼻で笑った。
「今日はな、観客としてあんたたちと議論を交わそうと思ってやってきた。だからここでいい。誰が何を言ってもいいのが、市長選メガ雑談会とやらなんだろう?それからな、私はもう米田市長の後援会長ではない。取締役社長の座と共に、後援会長も後進に譲って、今は単なる楽隠居だよ」
先ほどまで放っていた無言の圧力をことさらに脱ぎ捨て、人当たりの良い老爺を装おうとしているように、造田は笑顔を見せている。しかしそのためにむしろ迫力が増していることに、おそらく本人は気が付いていない。
「ええ。今の米田候補の後援会長は、米田興産の現社長である、剛三さんの長男ですね」
いつの間にかステージの席についていたミスターが甲斐に向かって発言する。瞬間、造田の眉間に凶悪な印象の縦皺が寄ったのを、配信カメラは逃さなかった。会場内で手持ちで撮影しているのは、田野親方だ。
「私が米田陣営に与していようといまいと、それはどうでもいいことだ。有権者として、疑問に思うことを直接ぶつけにやってきた。それを聞いて他の有権者がどう判断するのか。どうだ、そういうことをあんたたちはやっていきたいんだろう?」
「大歓迎です。これまで明日登呂市政財界の重鎮だった造田さんと、これからの市政について公開議論ができるなんて、こんな機会は願ってもありません」
甲斐の言葉を聞いて、造田の眉間に再び皺が刻まれた。
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