第66話 スワニーのじゃがいもフライ
皮をむいて芽の部分を丁寧に取ってから、大きめのじゃがいもは1/4に、小さいのは1/2にカットする。塩、胡椒と小麦粉をまぶし、串に刺して衣をつける。油は目と耳で温度を見極めて、早すぎず、遅すぎず、ちょうどのタイミングでカラリと揚げる。
スワニーのじゃがいもフライは、ただそれだけのシンプルな惣菜だ。それでも、じゃがいもを細切りにせずごろりとしたまま揚げるスタイルは、商店街がまだ元気だった当時でも珍しかった。
「評判に目を付けた商社の人が、何度もマッシュポテトを売り込みにきたけど、全部断ったのよ」
美佐江が孫の理恵に自慢する。理恵にしてみれば、子供のころから何度も聞かされてきた話なのだが、「やっぱりほんものじゃないとこの食感は出せないものね」と毎度同じ相槌を打つ。
「はい。できたから、ひとつ食べてごらん。昨日のお礼よ」
揚げたての串を、香りにつられてテントまで見に来ていた子供に美佐江が手渡す。
明日登呂駅前から理恵に連れられてきた美佐江に、ファストフードのフライドポテトを一切れくれた、あの坊主頭の小学生だ。
「そのままでもおいしいけど、ウスターソースとケチャップとお醤油があるから、好きなのをかけて召し上がれ」
美佐江の言葉が聞こえたのかどうか、坊主頭がそのままじゃがいもフライの串にかぶりつく。
「うんめぇー。はひはひ、あちい」
目を丸くする小学生を見て、満足そうに大笑いする美佐江。後ろで理恵と八百屋の老人が顔を見合わせて微笑している。
「あんたさあ。一度家に来て、お父さんにちゃんと報告しなさいって言ったじゃない。どうして来ないのよ」
芦川神社境内の市民フォーラム観客席では、レンジャーの衣装を着けたまま、一歩が母親から叱られていた。
「いや、告示からずっといろいろあって忙しくてさ。行かなきゃとは思ってるんだけど」
市長に立候補していながら、30過ぎてまで母親から叱責されるなんて。どうにも情けない思いを抱えて、一歩は苦笑いで答えるほかはなかった。
気を利かせてくれたのか、半田や甲斐など他のメンバーは境内の違う場所に散っている。夕刻からは再び動画配信が予定されていたし、市民らを迎えてのメガ雑談会も日に日に参加者が増えていた。候補者であるはずの一歩以上に、他のスタッフも忙しく駆け回っているのだ。
「とにかく、一旦着替えていらっしゃい。そんな恰好じゃ落ち着いて話ができないわ」
母は、首から上以外全身レンジャースーツ姿の一歩に言った。
「選挙運動中だからこれでいいよ。脱着が結構面倒だし」
「ダメよ。その姿じゃ注目されるでしょ。ヒーローは普通素顔をさらさないのよ。素に戻るんなら、全身私服になってなきゃ。そういうけじめ、大事よ。有権者は細かいところほど、しっかり見てるんだからね」
「前にも言ったけど、選挙のことわかってんのかよ?」
「こう見えても、選挙カーに乗ってウグイス嬢やったことだってあるわよ」
「マジか!」
そんな話初めて聞いたぞと思いながら、一歩は渋々社務所に着替えに行く。
一歩の父は、彼が小学校低学年の頃に他界した。OA機器メーカーの技術職として取引先に向かう途中、大型車両の事故に巻き込まれたのだ。その後は母親が女手一つで一歩を育てた。高校までは公立に通った一歩だったが、勉強はさほど得意ではなく、国公立の大学に進むほどの学力には達することができなかった。それでも、母が学費を積み立ててくれていたおかげで、私立の大学に進学できた。
一歩の母は、独身の頃から楽器メーカーが経営する音楽学校の専属講師を続けていた。父親の保険金も多少あったためか、片親でもそれほど苦労したという記憶は、一歩にはない。ただ、そんな訳で母親にはずっと頭が上がらない思いでいる。
「ずいぶんと盛況なのね」
私服で戻ってきた一歩と並んで歩きながら、母が言う。確かに、お祭りの時と同じくらいの人出だった。拝殿の前に市民フォーラムとステージがあり、参道を挟んだ反対側に市長選情報センター、その隣が「帰ってきたひだまりカフェ」だ。
境内の空いたスペースにはたこ焼きや大判焼き、ラムネにりんご飴などの屋台が出店している。まだライブ放映前にもかかわらず、フォーラムもひだまりカフェも、席はほぼ埋まっていた。情報センターに数台設置されているPCの前にも、何人か市民が集まっている。情報センター入り口に設置されたパネルには、市民が持ち寄った市長選関連の写真がたくさん貼られていた。
「ほとんどはっとりさんじゃん」
やはり写真映えするのは、派手なトリンプ服部のようだ。ホワイトハウスに立つ姿をはじめ、ボンバヘッドから街頭演説をする様子など確かにユニークさでは群を抜いている。奇抜さではアストロレンジャーも負けていないという自負があったが、服部に比べ街頭での露出が足りなかったようだ。
最も枚数の少ないのは、現職の米田だ。定石通りの選挙戦は、今回に限っては二人の陰に隠れて目立たない。ただ、選挙カーの上で時に笑顔で、時に力強く訴えるその表情は、明らかにプロの手による写真だった。
「あらまあ、昨日はありがとうね」
ひだまりカフェのテントから、一歩に声がかかった。諏訪部の祖母、美佐江だ。昨日交番で一瞬顔を合わせただけなのに、一歩のことをしっかりと覚えている。
「あ、こんにちは。今日はお元気そうで」
本当に元気そうに笑う美佐江を見て、一歩もつられて笑顔になった。
「おう、食ってけよ。うまいぞ。オレのおごりだ」
八百屋のダンジュウロウ、一歩が住むアパートの大家が後ろから顔をだした。
「まあ懐かしいわねえ、スワニーさんのフライだわ。だめですよ、ちゃんとお支払いします。3本ください」
遠慮する美佐江に、母が無理やり代金を渡す。
「おばあちゃん、オレが誰かわかります?」
「昨日理恵ちゃんと一緒に、交番に迎えに来てくれたお兄さんよね。選挙に出てる。いつも孫がお世話になっております。選挙、頑張ってね。私投票に行くから。これ、一本おまけしとくわね」
一歩のことをダンジュウロウと間違えたことなど、まるで覚えていないらしい。紙に包んだ4本のじゃがいもフライと、醤油とソースの小パックを受け取って一歩と母は座る場所を探した。
カフェ内に設置されたテーブルとパイプ椅子は、やはり満席だった。
「こっちがいいわ」
母は長い石段を登り切った、見晴らしの良い場所にあるベンチの方へ歩いて行った。そのあとをついていく一歩は、ふとスワニーの店内で自分の内に湧きあがった妙な感覚、何かを思い出しそうで思い出せない、もどかしい想いを再び味わっていた。
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