『読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」』の3つの要点

 この「要点編」では、これまでトピックごとに部分的に引用・紹介してきたフィルムアート社の創作系書籍を一冊ずつ、押さえておきたい「3つの要点」にフォーカスして改めて紹介していきます。


 今回紹介するのはこちら。

書名:読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」


著者:カート・ヴォネガット&スザンヌ・マッコーネル=著

発売日:2022年06月25日|四六判・上製|616頁|本体:3,200+税|ISBN 978-4-8459-2003-7

本書を読み解くキーワード:プロット、書き出し、対立・葛藤、推敲、生計の立て方、心身のケア

レベル:初心者 ★★☆☆☆ 上級者



 今回は、偉大な作家による執筆指南本の一冊『読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」』を紹介します。カート・ヴォネガットは『タイタンの妖女』『スローターハウス5』などの作品で知られ、戦後アメリカを代表する偉大な作家として世界的にその名を知られています。日本でも絶大な人気があり、著作のほとんどが邦訳され、村上春樹を筆頭に多くの日本の作家に多大な影響を与えてきました。


 日本と違い、現在のアメリカでは「大学で小説の書き方を学ぶ」ことがメジャーになっており、著名な作家が講師を務めていることが少なくありません。


「今日では多くの作家が、作品を通じてだけではなく、教室で直接指導をしている。1960年代後半にアイオワ大学でヴォネガットが教えていた頃は、文芸創作で修士号を出している大学は3つしかなかった。しかし、卒業生たちが同じような講座をつくりはじめた1975年には、文芸創作を専門とする芸術修士課程は15に増えた。今日では200を超えている。」(本書より)


 本作『読者に憐れみを』は、ヴォネガットがアイオワ大学文芸創作講座で講師をつとめていた際に、学生に教えた小説執筆に関するさまざまなテクニックや心構えを、当時の学生であったスザンヌ・マッコーネルがまとめた一冊です。本文の大半はヴォネガットの言葉や著書からの引用で成り立っており、本書を読めば、まるでヴォネガットの授業を受けているような気分になります。


 ヴォネガットの授業を受ける前に、彼が1966年にアイオワ大学文芸創作講座の受講生へ送ったメッセージを紹介しましょう。


「人間らしく書くように。作家らしく書くように。」

――カート・ヴォネガット・ジュニア


■要点その①:「小説家のあり方」について


 本書には、小説執筆に必要な具体的で実践的なテクニックも紹介されていますが(要点②で紹介します)、前半部でまず読者の目を引くのが、「小説家のあり方(小説を書くことやその心構え)」について、繰り返し言及している点です。教師としてのヴォネガットが学生に教えたかったことをおおきく2つにまとめるならば、「小説を書く技術」と「小説家のあり方」であるといえるでしょう。

 私はこれまで、アイオワ大学での二年間の文芸創作講座や、シティ・カレッジ〔ニューヨーク市立大学〕や、ハーヴァード大などで教えてきたが、教師として人に教えるときは、作家志望の人間に教えたいとは思わない。教えたいと思うのは、強い気持ちを抱いている人、何かをとても気にかけている人だ。

――『読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」』

 何かを書いていれば、その人を作家と呼べるのでしょうか。私たちはかつてなかったほど書くことにいそしんでいる時代に生きています。ブログ、メール、チャット、SNSなど、誰もが何かを書いています。これで我々はみんな作家だといえるのでしょうか? 作家と作家でないものを区別するものは何なのでしょうか?


 ヴォネガットは自身の作品に小説家(あるいは小説家志望)の人物をたびたび登場させ、「作家とは何か」について語らせています。

「では、なぜあなたはご主人のことを作家と呼ぶのですか?」[……]

「書いているからです」女性は答えた。

「奥さん」ハリヤードはさとすようにいった。「それで通るなら、我々はみな作家ですよ」

――カート・ヴォネガット『プレイヤー・ピアノ』

「誰も彼も作家になれると思っておる」スラジンジャーは気取って皮肉っぽくいった。

「なりたいと思うのは罪じゃないでしょう」ミセス・バーマンはいった。

「簡単になれると思うのは罪だ」とスラジンジャー。「だが、きみがもし本気なら、すぐにわかるだろう。作家になるのは、この世でもっとも難しいことだ」

「いうべきことが何ひとつない場合は、とくにそうね」とミセス・バーマンは返した。「作家になるのが難しいと人々が思うおもな理由はそれでしょう? 完璧な文章が書けて、辞書が使えるのなら、小説を書くのが難しい理由はそれしかないわ。そういう人は何も知らなかったり、何も気にかけていなかったりするんじゃないの?」

 ここでスラジンジャーは作家のトルーマン・カポーティのセリフを拝借した[……]「きみは『書くこと』ではなく『タイプすること』についていっとるんだな」

――カート・ヴォネガット『青ひげ』

 作家にとって必要なのは文字をただ「タイプすること」ではなく「書くこと」だとヴォネガットは説きます。では、いったい何を書けばよいのでしょうか。それは、自分が心から関心があり情熱を注ぐことのできるテーマについてです。ヴォネガットは人々や問題に対して強い思いを持つことが作家の原動力であるべきだと堅く信じていました。


 ヴォネガットにとっては「ドレスデン空襲や戦時中の体験」や「母親の自殺」といった自身の体験が作品を書く原動力になりました。


 ヴォネガットは第二次世界大戦時に従軍し、かの「ドレスデン空襲」に遭遇しました。wikipediaによればドレスデン空襲とは「第二次世界大戦終盤の1945年2月13日から15日にかけて連合国軍(イギリス空軍およびアメリカ陸軍航空軍)によって行われたドイツ東部の都市、ドレスデンへの無差別爆撃。4度におよぶ空襲にのべ1300機の重爆撃機が参加し、合計3900トンの爆弾が投下された。この爆撃によりドレスデンの街の85%が破壊され、市の調査結果によれば死者数は25,000人だとされる」という人類史上最大規模の無差別爆撃です。

 23年前、第二次世界大戦からもどってきたときには、ドレスデンの壊滅について書くのは簡単だと思っていた。自分が見たことをそのまま書けばいいだけだから。そうすればそれは傑作になるか、少なくとも大金が稼げるだろうと思っていた。なぜなら、それはとても大きなテーマを扱っているからだ

――『読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」』

 自分が本気で気にかけているテーマについて書くことが作家の使命ですが、あまりに深追いしすぎるのもリスクが伴います。ヴォネガットがドレスデン空襲や戦時中の体験を『スローターハウス5』の中に直接的に書く方法を見つけるには、実に23年もの歳月が必要でした。

 私がドレスデンについて、ドレスデン空襲について書くことは、至上命令のように感じていた[……]なぜなら、それはヨーロッパ史上最大の虐殺だし、私はヨーロッパの人間の血を引いているし、作家だし、その場にいた。だから、それについて何かをいわなくちゃいけない。でもそれには長い時間がかかったし、つらかった。

――『読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」』

 関心をもっているテーマを小説で描くには、とてつもない苦労や時間がかかるかもしれません。しかし、もしもほんとうに「心の底から」みんなが耳を傾けるべきだと思うテーマを持っているなら、その強い思いが探求の旅を長年にわたって続けるのを支えてくれるはずです。

 

 ヴォネガットがなんとか『スローターハウス5』を完成させることができた要因は下記の5点であると、本書は解説しています。


1 全力で打ち込むこと。

2 運命や自分の守護妖精を信じること。

3 真実を書くこと。

4 こつこつとやり続けること。

5 完璧な仕上がりをあきらめること。


 小説を書いている人にとって、行き詰まりは日常茶飯事です。執筆に長い時間がかかればかかるほど、その作品を完成させるエネルギーは大きくなるものです。

 

 ヴォネガットはアイオワ大学の同僚で、友人のチリの作家ホセ・ドノソが書く意欲を失った際に、彼に手紙を書いて送りました。ドノソは十年間、『夜のみだらな鳥』という作品にとりかかっていました。ドノソはヴォネガットにその執筆をあきらようと思うと手紙で書き、自殺したいとさえ考えていました。ドノソにとってその作品を書くことは恐ろしい苦痛を伴い、自分は無力で無能で意志の弱い人間だと感じていた。そして、千ページもある原稿をすべて箱に詰めてしまったところでした。

 ところで、僕がほんとうに気にかかっていることは、きみが『鳥』の本を書くのをやめたということだ。これはとんでもないことだし、ばかげたことだ。ドノソはドノソを見捨ててはならない。なぜ十年前の自分を軽蔑するのだ。十年前のきみはきっと魅力的な作家だったはずだし、いまのきみと同じく、傾聴するに値する作家だったはずだ。きみにひとつ素朴な質問をしよう。きみは結末が必要なのか? もしそうなら、すぐさまそれをこしらえるんだ。それがかつてのきみだった人物への最低限の配慮だろ。我々を、いまは亡き彼の著作権管理者にするんだ。彼はその千ページ(なんてすごい量だ!)で、いいたいことを十分いったのか? 文章の途中で終わらせてもかまわないというくらいに? きみはぜったいに、いままで書いたものを外部の人間に読んでもらわないといけない。僕はきみの一時的な気分なんかぜんぜん信頼していない。もちろん友情に関しては信じているが。

――『読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」』

 23年かけ『スローターハウス5』を完成させたヴォネガットの言葉には説得力があります。


 戦争の時代に生きたヴォネガットとは違い、現代日本のわたしたちがヴォネガットほどの死や破壊、苦悩を経験する機会はないかもしれません。書くことが好きで作家になりたいけれど、これまであまりたいした出来事を経験したことがないとしたら、どうすればいいのでしょうか。書く価値があるほど重大な出来事は自分の人生に存在しなかったとしたら、どうすればいいのでしょう。


 ヴォネガットはこんなことをいっています。

 僕が昔、シティ・カレッジで文芸創作を教えていた女性が、こんな告白をした。

いかにも恥じ入ったように、まるでそのせいで本物の作家になれないというように、

 私、死んだ人を見たことがないんです。

 僕は彼女の肩に手を置いて、こういった。

「人間、辛抱が肝心だ」

――『読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」』

 もしかしたら誰もが、知らないうちにすごいことを見ているかもしれません。身近な場所で目撃したなんの変哲もないようなことは、ほんとうはすごいことかもしれないのです。小説を書くために、死や破壊や苦悩を経験する必要はありません。そもそも若者には年配の人間と同じような経験や実績をもつことは不可能です。作家はただ、何かに関心をもつ必要があるだけです。


■要点その②:実践的かつ具体的なアドバイスとテクニック


 本書の後半部分でヴォネガットは小説を書くための実践的なテクニックを惜しげもなく披露しています。目次の項目を見れば一目瞭然、特に第24章以降に集中しています。


第24章 冒頭部

第25章 プロット

第26章 登場人物

第27章 耳で聞く散文

第28章 目で見る散文

第29章 ジョーク好き

第30章 ブラックユーモア

第31章 もっといい話になるように──見直しと校閲


 ヴォネガットは、小説の技術は人に教えることが可能であると信じていました。あるインタビューの中で、小説を書くことを「商売」と呼び、次のように答えています。

インタビュアー:商売?

ヴォネガット:商売だよ。大工は家を建てるのが商売。小説家は読者の余暇の時間を使わせてもらって、時間を無駄にしたと思われないようにするのが商売。自動車整備士は自動車を修理するのが商売。

インタビュアー:実際のところ、小説の書き方は教えられると思いますか?

ヴォネガット:ゴルフの仕方を教えられるのと同じように教えられる。プロゴルファーがきみのスイングを見たら、明らかな欠点を指摘できるだろう。

――『読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」』

 ヴォネガット自身はどうなのでしょうか。


「自分は『指導を受けた』作家だと思っている。プロの作家でそんなことを告白する人は少ないだろう。[……]要するに、私はいろいろと教えてもらって、いまのような書き方をするようになったんだ」。


 ここではヴォネガット流の実践的なアドバイスのいくつかを紹介したいと思います。まず『ニューヨーク・タイムズ』に寄稿した「名文の書き方」の7か条。


1:自分が関心のあるテーマを見つけること


2:だらだらと書かないこと


3:簡潔に書くこと


4:勇気を持って削除すること


5:自分らしい響きをもたせること


6:いいたいことを的確にいうこと


7:読者を憐れむこと


 読めば、その意味がすぐ分かるものが多いので、ここでは「4:勇気を持って削除すること」と本書のタイトルにもなっている「7:読者を憐れむこと」についてのヴォネガットのコメントを紹介しましょう。


 まず「4:勇気を持って削除すること」について。

 たとえクレオパトラの首飾りのように書ける才能があっても、その文筆の才は、頭の中の考えの下僕でなくてはならない。そこで、従うべきルールはこうだ。もしある文がいくらうまく書けたとしても、それが肝心の主題を、新しく、意味のある形で際立たせていないなら、その文は削除すること。

――『読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」』

 次に「7:読者を憐れむこと」について。ヴォネガットは、自分の作品の読者に大変なスキルが要求されることを痛いほど認識して、読者に同情していた。

[読者は]紙に書かれた無数の小さな印を識別し、その意味を即座に理解しなければならない。読者は読まなければならないが、読むという技術はひじょうに難しく、ほとんどの人は小学校から高校まで、12年間も勉強しても、完全にマスターすることはできない。

[……]

読者は書き手に、思いやりのある辛抱強い教師であることを求め、つねに簡単で明瞭な文を書くことを望んでいる。

――『読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」』

 つまり、読むという行為がいかに大変なことか、そのことをしっかり考えてほしいと書き手に注意を促しているのです。


 次に紹介するのは8箇条からなる「文芸創作基本ルール」です。こちらのほうがより具体的です。


1:赤の他人の時間を、時間の無駄だったと思われないように使わせてもらうこと


2:男女いずれの読者にも、少なくともひとりは応援したくなる登場人物を与えること


3:すべての登場人物には、一杯の水でもかまわないので、何かを欲しがらせること


4:すべての文章は、キャラクターを明らかにするかアクションを進めるか、どちらかの役を果たさねばならない


5:できるだけ結末に近いところから始めること


6:サディストになること。きみの小説の主人公がいかにやさしくて罪のない人物でも、その人物に恐ろしいことが起こるようにするのだ――その状況に対して主人公がどう振る舞うのか、読者が見物できるように


7:たったひとりの人を喜ばせるために書くこと。たとえていうならば、もし窓を開けて世界と愛を交わそうとしたりすると、あなたの物語は肺炎になってしまう


8:できるだけ早く、できるだけ多くの情報を読者に与えること。サスペンスなんかくそくらえ。読者はいったい何が、どこで、なぜ起こっているのか、完全に理解する必要がある。もしゴキブリが最後の数ページを食べてしまっても、自分で結末を考えられるくらいに


 気になるものを見ていきましょう。


「3:すべての登場人物には、一杯の水でもかまわないので、何かを欲しがらせること」。物語は「葛藤や対立」そしてその前提となる「欲求や欲望」がなければならないといわれています。ヴォネガットは「一杯の水」という例えを用いてそれを表現しています。


 登場人物の誰かが何かを欲しがれば、それがどんなものでも、読者の好奇心をかきたてます。その人物は欲しがっているものを手に入れられるのかどうか、読者は知りたくなります。ヴォネガットは次のように述べています。「プロットを排除したり、登場人物の欲望を排除したりすると、読者を排除することになる。それは作家としてあるまじき行為だ」。動機と葛藤は物語をスタートさせ、動かし続け、特定の形に作り上げる原動力となります。


「7:たったひとりの人を喜ばせるために書くこと」。ヴォネガットはかつて姉のアリスのために物語を書いていたことをインタビューで告白しています。アリスはガンのため41歳という若さでこの世を去りました。


 ヴォネガットは自身の作品『青ひげ』の中の登場人物に次のように語らせています。

「作家はひとりの読者のためなら殺人も犯すわ」ミセス・バーマンはいった。

「たったひとりの読者のために?」私はいった。

「彼女にはひとりで十分だったのよ。誰だってひとりで十分だわ。彼女の字がどんなにうまくなったか、語彙がどんなに豊富になったか、見てごらんなさい。あなたが彼女の書いたものを一言一句、注意を払って読んでいると知るやいなや、どれだけ多くの語るべきことを見つけたか、見てごらんなさい。[……]

「それこそ、書くことを楽しむ秘訣で、高い水準に達する秘訣なのよ」ミセス・バーマンはいった。

「作家は全世界のために書くことなどしない。十人のためにも、ふたりのためにも書かない。たったひとりのために書くものなのよ」

――カート・ヴォネガット『青ひげ』

 小説を書いている人の立場からすれば、できるだけいろんな人に読んでもらいたいという思いはあるでしょう。しかし、年齢も性別も趣味趣向のまったく異なる大勢の人を喜ばせるのは至難の業です。マーケティングの世界でも、対象となるユーザー層を年齢や性別といった属性で絞り込んで「ターゲット」を定義する「ペルソナ」という考えがありますが、ヴォネガットのこの教えはそれをさらに先鋭化させたものといえるかもしれません。


「成功する芸術家はみな、たったひとりのファンを念頭に置いて創作をする。それが芸術作品に統一性を与える秘訣だ。それは、たったひとりの人間を念頭に置きさえすれば、誰にでもできる」


 ここでは、本書収録のテクニックやアドバイスのほんのごく一部を紹介しましたが、他にも使えるテクニックが盛りだくさんです。ぜひ本書をご一読ください。


■要点その③:「作家として生計を立てること」から「心身のケア」まで作家志望者の気になる疑問について回答


 小説家志望の方にとって最も気になることのひとつ。それは「作家として生計を立てること」ではないでしょか。

私はある文芸創作講座で教えていた[……]授業の初日には必ずこういった。

「この講座のお手本となる人物はフィンセント・ファン・ゴッホだ――彼は自分の絵を弟に二枚売った」

――『読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」』

 小説家にとってもっとも難しくもっとも根本的な問題は、どうやって創作活動を経済的に支えていくか、です。ヴォネガットは、作家の道を歩もうとしている若い新進小説家に向けてのアドバイスを求められて、こう答えています。

 若い作家たちがいまから始めるのは、以前よりずっと難しい[……]若者がいま始めるのは以前より難しいことがたくさんある。[……]ひじょうに残念だが、貧しい人がいま作家としてスタートする方法はない。

――『読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」』

 ヴォネガットがこのように語ったのは1973年のことでした。2020年代に入った現在、作家とお金をめぐる状況はさらに悪くなっているかもしれません。今ではアメリカが誇る偉大な(SF)作家として世界でその名を知られるヴォネガットですが、経済的には大変苦しい時期が続きました。ヴォネガットの最大のヒット作となった『スローターハウス5』が刊行されたのは1969年のこと。すでに40代後半になっていました。本書の共同著者であり教え子でもあるスザンヌ・マッコーネルはこう述べています。「アイオワ大学で教えはじめたとき、カート・ヴォネガットはまだ有名ではなかった。」

 ヴォネガットは苦労した。作家ならたいていが経済的に苦労するだろう。しかしそれも悪くない。苦労するということは、忙しく仕事をしているということで、学びながら、がんばっているということだ。ほんとうにひどいのは、無気力、無関心で目標がないことだ。


 そこで耳寄りな情報だ。カートの人生で経済的にもっとも苦しかった時期は、もっとも創造性に富んだ時期でもあった。


 私の作品の大部分は、ケープコッドに住んでいた1950年から1970年のあいだに書いたものだ[……]たぶんその頃が私の創作人生の最盛期だったのだろう。[……]1970年にとうとうケープコッドを去るときには、それまでに自分が書いたものにかなり満足していたと思う。ケープコッドでは、よく広大な干潟を散歩した。前方でガンの群れが飛び立つと、私も健やかで幸せな気分で4時間の散歩から家に帰った。

――『読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」』

 お金と同じくらい大事なものは、心身のケアです。ヴォネガットも悩みの多い作家人生を歩んできました。

「若い頃の私の人生を台無しにしたものがふたつある。生命保険と嫉妬だ」ヴォネガットはインタビューでそういっている。ゼネラルエレクトリック社をやめて専業の作家になることは「ひじょうに不安なこと」だったという。


 家族がどうなるかものすごく不安だったので、私は生命保険という粗暴なたかり屋のような商品を購入してしまった。稼いだ金はことごとくそこにつぎ込まれて、とうとう、私が大金を手に入れるには死ぬしかない、ということがはっきりしてきた。そしてその考えが頭から離れなくなった。


 カートは冶金学者の友人に、どれくらいの生命保険に入っているかたずねた。その友人はまったく入っていなかった。自分が死んだあとどうなるかなんて心配じゃないと彼はいった。だってもう死んでいるんだから。カートは保険を解約した。


 その結果、彼はこうアドバイスする。


 もつべきものは科学者の友だ――彼らは合理的に考える。


 嫉妬については、そうだな、そのせいで身が焼き尽くされそうだった。硫酸をたっぷり注射されたみたいに。いまはもう、上手に克服してるけどね。

――『読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」』

 ヴォネガットは長年うつ病で苦しみました。精神的につらいときには、セラピーを受けたり、医者から処方された「アンフェタミン系の処方薬」を飲んだりしました。

 小説を書くということは、孤独の中で、くる日もくる日も、じっとすわって仕事をするということです。

 ときたま私はこんな独り言をいいます。

「これは生命に対する冒瀆だ」

――『読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」』


 作家として生計を立てていくには精神的・肉体的なケアが必要です。本書には、なかなか人には聞けない「本当のこと」がヴォネガット自身の言葉で赤裸々に語られています。


 本書でヴォネガットの考えに触れることが、作家を目指す人や行き詰まりに悩む人への処方箋になるはずです。


 今回は、『読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」』を3つの要点で解説してきました。600頁超の大ボリュームですが、役立つこと間違いなしの一冊です。ぜひご覧ください。


【目次】


はじめに

第1章 何かを書こうとしているすべての人へのアドバイス

第2章 小説を書くことについて

第3章 原動力

第4章 回り道をしながら前進

第5章 まっしぐらに前進

第6章 突破

第7章 価値あるテーマを見つけることへの不安、すなわち死の欠乏

第8章 原動力の切り札、すなわち恐れないこと

第9章 魂の成長

第10章 避難所

第11章 偉大な芸術をつくるもの、すなわち芸術と魂

第12章 変化の触媒

第13章 教師、すなわちもっとも気高い職業としての作家

第14章 教室のヴォネガット

第15章 重みと感触

第16章 才能

第17章 勤勉さ

第18章 落とし穴

第19章 方法論主義

第20章 実体化

第21章 増殖

第22章 再生

第23章 真珠の中の真珠

第24章 冒頭部

第25章 プロット

第26章 登場人物

第27章 耳で聞く散文

第28章 目で見る散文

第29章 ジョーク好き

第30章 ブラックユーモア

第31章 もっといい話になるように──見直しと校閲

第32章 どれにしようかな、すなわち選択

第33章 生計を立てること

第34章 心身のケアをすること

第35章 人生と芸術で遊びほうけること

第36章 愛、結婚、そしてベビーカー

第37章 いっしょのほうがいい、すなわちコミュニティ


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