耐えて書き続ける
さて、今回も引き続き、『脚本を書くための101の習慣』に収録されている、創作のプロの習慣や心構えを抜粋して紹介したいと思います。
今回のテーマは「耐えて書き続ける」です。
ピックアップしたのは「PART6 脚本家四訓:根気、忍耐、情熱、鍛錬」から以下の4項目です。
・否定を撥ね返す
・途中で投げない
・犠牲を受け入れる
・何があっても書き続ける
まずは「否定を撥ね返す」ことについて。
これまで見てきたように『脚本を書くための101の習慣』には、プロとして成功している脚本家のアドバイスが数多く収録されていますが、この「否定を撥ね返す」に対するアドバイスの分量は、他の項目に比べてかなり多いのが特徴的です(今回はその一部を紹介します)。プロの創作家であっても、自分の作品を否定されることが日常茶飯事であることの証明でしょう。自身のメンタルを維持するために、そして今後も執筆活動を継続するためにも、否定的なコメントを目にしたときにどのように対処するのかを考えておきましょう。
映画業界では“断られる”ことは日常茶飯事であり、脚本家は誰でも面の皮を厚くして対応していくものだ。この業界が主観的な好みの上に成立していることを理解すると、凌ぎやすくなるだろう。好き嫌いなどないと言う人はいないし、自分が書いたものが嫌いだと言われれば傷つきもする。でも、嘆くのは程々にして自分と同じものを見ている人を捜し続けるのだ。1人に駄目だと言われても、まだ1000人残っている。あなたが自分のキャリアのスタートラインに立つためには、誰か1人が「いいね」と言ってくれさえすればよいのだ。正に「七転び八起き」あるのみだ。
――『脚本を書くための101の習慣 創作の神様との付き合い方』
ジェラルド:自分を信じて自分の脚本も信じなければこの世界ではやっていけません。でも、人には好き嫌いがあるということをちゃんと覚えておかないと。それでも「嫌い」と言われれば気持ちが折れます。折れなかったら、自分の脚本に対する愛が足りないんですよ。書いた以上は皆に愛してほしいでしょう。「しょうがないな」と平然としていられるはずがない。結局、挫折感を抱えてやっていくしかないんです。私はもうこれを40年もやっているから、もし私が「これはいける」と思っている脚本が採用されなかったら、3日ほど落胆してから次に進めるようになりました。
アキヴァ:以前は自分の脚本が却下されると酷く傷つき、取り乱しましたね。寝床にもぐりこんで毛布を被って2、3日の間「可哀想な私」とあれこれ考え続けたものです。今は待つことにしています。最低な気分もいつかは去るということを覚えましたから。悲しくなってもいいんです。何か大切なものを失くしたのだから傷つけばいいんです。嘆き悲しむんです。全力を尽くしてうまくいかなかったら、その結果を悔やんできちんと気持ちの整理をつけるんです。悲しんで、それを乗り越えたら今よりもっとよい脚本家になりますよ。今の2倍うまくなってやる! と努力しますよ。「これのどこがいけないんだ。間違っているのはあいつらだ!」と言えたら気が楽だと思いますが、私はそういう人間じゃない。それに、私が酷い脚本を書いてしまったものだと思っているとスタジオは「最高だ!」と言ったりするんですから、この世界はわかりません。
ジム:私はあまり気には病まないね。一度にいくつも企画を回していることのいい点だ。1つの扉が閉じてしまったら、次の開いてる扉に行けばいい。自分の脚本が映画になってからも同じことだ。観客の反応というのは、好きか嫌いかどっちかしかない。批評家もあなたを最高と思うか最低の俗物と思うかどっちかしかない。映画業界で生きていくには、面の皮が厚くないと。皆、どうせあなたの作品について何か言うんだから。仕方がないだろう? 物書きというのは、大衆の意見と対峙しないわけにはいかないんだ。
エド:脚本を書く時は自分を信じて書くから、良し悪しは自分では中々見えにくいけど、時には本当にあまりよく書けてなかったりすることもあるんだよ。どうやったら見分けられるかと言うと、やはり腹を括って自分に聞いてみるしかない。“創造的な批評”と、聞くと惨めな気持ちになるような“拒絶の言葉”は全く別のものなんだ。もし皆に「どうも私向きじゃないな」と言って否定されたら「そうかい、私はいけるんだけどね」と言えばそれで済む。でも「中心的な登場人物に対する興味がどうも続かない」とか「主人公がどうも好きになれない」と言われたら、耳を貸すべきだ。否定されるにしても、それが何を意味しているのかよく見極めること。もしどこかがうまくいっていないと教えてくれたら、それは“良い否定”なんだよ。
次は「途中で投げない」ことについて。
大体の脚本家は、まずサンプル脚本を何本か書いて初めて業界が認める脚本作法の水準に達する。多くの脚本家の卵は書きながら心理的に麻痺してしまい、20ページ書いたあたりでやめてしまう。でも成功する脚本家なら書き始めた脚本は絶対に書き終える。その脚本を信じているから。そして失敗を恐れていないから。あなたが書くすべての脚本は学習の機会なのだから。
――『脚本を書くための101の習慣 創作の神様との付き合い方』
エリック:一番大事なのは、どんなに苦痛でもどんなに終わらせるのが大変でも、書き終わらせるということですよ。秘訣も秘密もありません。終わりまでいく、それだけです。簡単に出来る人とそうでもない人がいますし、別の意見を持つ人もいるでしょうが、ともかく“終わらせる”というのが肝心です。
マイク:“始めた何かを終わらせる”というのは、絶対的な決め手だ。「ああ、何とか自分に書かせられたらなあ」とか「書く時間さえあればちゃんと書くのに」なんて言う人は物書きじゃない。書かない人は物書きではない。私が知っている脚本家は皆とんでもなく働き者だ。毎日狂ったように仕事をする。同じくらい書きまくらずに、この人たちと競争できると思うか? 業界で認められる唯一の方法は、同業者以上に書いて、絶対に諦めないということだけだ。もし私が何か物語を語りたい衝動を覚えたら、それが起承転結のありそうなものなら何でも構わない。ハムレットを気取って「書くべきか書かざるべきか」なんて悩んでないで、書く。そしてその衝動が私をどこに連れていってくれるか探るんだ。そして必ず終わらせる。私はこれを何度も何度も繰り返して、ついに1本のサンプル脚本を書き上げた。それが私に『カラーズ』の企画につながるチャンスを与えてくれたんだよ。
次は「犠牲を受け入れる」ことについて。
脚本家などという大それた夢さえ追っていなければどんな人生が待っていただろうか――好きな時に友達と出かけて、デートして、結婚、子供、旅行して――普通の人生だ! 何年にも及ぶ自分を高めるための苦闘とそれに伴う飢餓感よりデートや結婚の方がいい、と思った人は今すぐ諦めること。脚本ランドに入場するには高い入場料を払わなければならないのだ。脚本家のフランク・ダラボンは「国中の靴屋とかバーガーキングに、きっと私より優れた監督や脚本家がいる。でも私と彼らの違いは1つ。プロになるために人生の9年間を犠牲にしたかどうかだ」。
もちろん稀にだが最初の脚本がいきなり映画になる人もいる。でも一般的にはプロの脚本家になる道は、次のことを惜しんでは通れないというのが通説だ。膨大な時間と努力、付随的にかかる資金、妄想と呼べるほどの思い込み、徹底的にやり通す意志、終わりなき拒絶、心に受ける苦痛、社交的損失、そして果てしなく維持し続けなければならない自分への信頼。どんなに障害が大きくても、この代償を払わないでプロにはなれない。それを払ってでも進む覚悟はあるだろうか?
――『脚本を書くための101の習慣 創作の神様との付き合い方』
ジェラルド:私にとって、書くというのはほとんど執念ですね。本気で何かをやる人は皆強い意欲に駆り立てられています。他のことが犠牲になるのは仕事のうちですね。もちろん道行き障害物も失望もありますし、もし障害物があってあなたが諦めたとしたら、それは単にあなたが他の人ほど執念深くないか、駆り立てる力がそれほど強くなかったということの表れに過ぎないのでしょう。やってみるまでわからないですから、別にそうなっても悪いことではないと思います。
ジム:他のことを犠牲にする以外に道はない。そして何をやれば絶対成功するという保障もない。脚本家募集という求人があって、それに応募するわけじゃないんだ。まず人が金を出したくなるほど良い脚本を書かないと始まらない。それほど良いものを書けば必ず「他にも書いたものはあるかね?」とか「他にどんなアイデアがある?」とか「リライトをしてくれないか?」と聞かれる。でもその時まではいろいろ犠牲にして書き続けなければならないし、しかも挙句にうまくいく保障があるわけでもない。もし1本売ったとしても次を買ってもらえる保障はない。だから本当に才能がないと駄目だし、加えて強い願望もなければいけない。自分で「私はすごく優秀なんだ」と言うのではなくて、人にそう言わせないと意味がない。自分は世界最高の脚本家だと思うのは簡単だけど、自分が自分をどう思うかは全く関係ない。重要なのは他の人があなたの才能をどう思うかだ。そしてあなたの筆の力。この2つだよ。
最後に「何があっても書き続ける」ことについて。
古い冗談だが、こんな小噺がある「老人が1人、楽器店に入ってきた。ピアノのところに座り弾き始めたが、酷い腕だった。老人は困惑して言った。『わからんな、ワシはモーツァルトを30年も聴き続けたというのに!』」
子供の頃から映画ばかり見てきたのだから、映画の脚本くらい書けると思うかもしれない。ページに字を書くこと自体は難しいことではない。でもその字で読者を虜にするのは全く別の話だ。ヘミングウェイによれば「百万語書いて初めてその人は物書きと呼べる」のだそうだ。スポーツも楽器も、書くことも同じなのだ。繰り返し練習しなければ上達はしない。練習こそが上達への道なのだ。
――『脚本を書くための101の習慣 創作の神様との付き合い方』
ジム:私も初心者のイライラは散々経験した。「何で誰も私の脚本を買わないんだ?」とね。私は映画学校に行ってないから、たくさん書きながら自分で脚本の良し悪しを考えたよ。ようやくまともに取り合ってもらうまでテレビ用のサンプル脚本を11本も書いたし、劇映画の脚本は6本書いてからようやく良いと思ってもらえるようになった。
エイリン:脚本家にとって大変なのは、映画というのは“夢と希望商売”だということですね。だから自分が書いた脚本が思い通りにいかないと、自分の夢が破れたような気になるわけです。でも脚本というのは技巧と共同作業の賜物なんです。もっと果敢に挑戦して、自分に合った環境を見つけるまで書き続けることを勧めます。私のエージェントはいつもこう言って私を叱るんですよ。「物書きなんだから、書けよ!」。
トム:“一夜にして大成功”という話はよく聞くよ。でも、実はそれが成功する夜にたどり着くまでの道のりが20年あったということさ。それが真理だよ。
さて、これまで4回にわたって「習慣篇」をお送りしてきました。脚本と小説という違いはあれど、「書く」ことを生業としているプロの創作家の仕事との向き合い方から学ぶことも多かったのではないでしょうか。
次回からは、いよいよこの連載の大きな山場となる(はずの)「物語の構成」についてお話をしていきたいと思います。「キャラクター篇」の最後に、ハリウッドで活躍するストーリーコンサルタントのロバート・マッキーの次の言葉を引用しました。
構成と登場人物のどちらが重要かという問いには意味がない。というのも、構成が登場人物を形作り、登場人物が構成を形作るからだ。このふたつは等しいものであり、どちらが重要ということはない。
――『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』
キャラクターと物語の構造は同じものである、とはいったいどういう意味なのでしょうか。次回からの「物語の構成篇」でじっくりと解説していきたいと思います。
ハリウッド式の物語構成といえば、いわずと知れた「三幕構成」です。そして、この三幕構成理論を体系化したのがシド・フィールドです。彼の主要著書『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと シド・フィールドの脚本術』では、三幕理論についての基礎的な知識が解説されていますが、「第14章 さあ、脚本を書こう!」には、ここまで3回にわたってお届けしてきた「習慣篇」と同様に「書く人へのアドバイス」的な内容が含まれています。
「習慣篇」と「物語の構造篇」の橋渡しとして、最後にシド・フィールドの「書くための時間を見つける」ためのアドバイスをご紹介することにしましょう。
まずは書くための時間を見つけなければいけない
一日、何時間くらい書くことに費やせばよいだろうか?
それは、人によって異なる。私の場合、1日4時間、週に6日間書く。ステュアート・ビューティは1日8時間、午前9時から1時間の休憩を挟んで午後6時まで書くと言っていた。ロバート・タウンは1日4時間から5時間、週6日書く。脚本家によっては1日1時間しか書かない人もいるだろうし、朝早く書く人もいれば、午後に入ってから書くという人もいるだろう。また夜にしか書かない人もいる。ストーリーを頭の中で作り、それを人に繰り返し語ることで、自分自身が完全に把握してから書き始める人たちもいる。中には2週間で書き上げる脚本家もいる。だが、書き上げた後は、何週間もかけて推敲し書き直しをする。いい目標になる。
結婚している、もしくは付き合っている人がいる人は、時間を確保するのがもっと難しくなるだろう。彼らの支えと励まし以上に、自分だけの時間が必要になる。
子供のいる女性はもっと大変かもしれない。夫や子供たちが、いつも協力的であるわけではないからだ。いまから書く態勢に入ると何度言っても、無視できない要求が、夫や子供たちから飛んで来る。生徒の中にも、書くのを止めないと離婚すると夫に言われた女性たちがいた。子供たちはモンスター化し、家事もままならなくなってしまう。罪の意識や怒り、フラストレーションが溜まっていく。気をつけなければ、自分の感情の高まりの餌食になってしまう。
脚本を実際に書いている時は、どうしても心ここにあらずという状態になってしまう。とはいえ、お茶や食事、薬、医者の予約、洗濯や買い物などに手を抜くわけにはいかない。
付き合っている相手があなたを理解し、サポートすると言うかも知れない。だが、期待しないほうがいい。力になろうとしないからではなく、書くという経験をしたことがないから、理解できないだけなのだ。
脚本を書くための時間を取らなければならないことに、罪悪感を抱いてはいけない。自分の妻や夫もしくは交際相手が理解を示さず、些細な喧嘩をしてしまうということもあるだろう。そういうものだと思っていれば、実際に起きたとき必要以上に動揺しなくてもよいだろう。脚本を書いている時には、さまざまな選択を迫られるものだ。それが現実の生活で実際に起きるのだから、その時に慌てふためかないよう心の準備をしておけばよい。
脚本を書こうとするならば、夫や妻、付き合っている相手に尋ねてみよう。 書きたいものを書くチャンスを、あなたに与えようと思っているかどうか? 自分の生活にも支障が生まれるかもしれないが、それでもサポートする深い愛情を持っているかどうか?
その答えが、ノーだったら、じゅうぶんに話し合おう。どちらも満足する方法を、二人で探し出そう。コミュニケーションをとり、お互いに支え合いなさい。書くということは孤独で寂しい仕事だ。付き合っている状態ならば、よりお互いを深く知るよい機会になるだろう。
――『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと シド・フィールドの脚本術』
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