きちんと学びたい人のための小説の書き方講座

フィルムアート社/フィルムアート社

はじめに

ストーリーには普遍的な「型」がある

 みなさん、はじめまして。フィルムアート社です。


 フィルムアート社は、その名のとおり主に映画フィルムの本を出版している出版社です。フィルムアート社がなぜカクヨムで連載をスタートすることになったのか、まずはその理由をお話ししたいと思います。


 フィルムアート社は映画本の中でも特に「映画脚本」に関する本を多数出版しています。いわゆる「ハリウッド式脚本メソッド」を学べる本です。


 映画は物語ストーリーです。


 つまり「映画脚本」の本は、「物語ストーリーのつくり方」の本でもあるわけです。

 近年は、「映画脚本」以外のジャンル(小説やアニメ、ゲーム、TRPGなど)を含む「物語全般」の創作に役立つ本を数多く出版しています。


 たとえば、『感情類語辞典』に代表される「類語辞典シリーズ」は、創作関連書籍としては異例の大ヒットシリーズとなっています。また、「SAVE THE CATの法則」「三幕構成」「ログライン」といった言葉を目にしたことがある方もいるかもしれません。

 実は、これらはすべてフィルムアート社の本なのです。


 なお、フィルムアート社がこれまでに刊行した「物語創作に役立つ本」は、このページにまとめています。詳しい内容説明やためし読みも掲載されていますので、ぜひご確認ください。

https://www.filmart.co.jp/pickup/25107/


 SNSを見ていると、フィルムアート社の本を読んでくださっているカクヨムユーザーの方がとても多いことに気づきました。


 ただ、そんな中、

「この手の本がいっぱいあって、どの本を読めばよいのかわからない」

「読んだけどいまいち理解できなかった」

「映画の脚本じゃなくて小説を書きたいんだけど…」

 という声を目にしました。


 みなさんの心配や不安はごもっともです。

 それを解決する方法はただひとつ「カクヨムで直接みなさんにわかりやすく説明するしかない!」

 ということで、カクヨムさんにご相談の上、公式連載としてスタートすることになりました。連載スタートの理由、わかっていただけたでしょうか?


 ところで、ペンと紙さえあれば小説は書ける(PCやスマホさえあれば小説は書ける)といわれています。みなさんはどう思いますか?


「文才がないと書けないんじゃないの?」という声も聞こえてきそうです。


 そんな不安を抱えているみなさんに紹介したい人物がいます。

 ロバート・マッキーという、ハリウッドでその名を知らぬ人はいないといわれるシナリオ講師です。アメリカのみならず全世界のストーリーメーカーに多大な影響を与えている人物です。

 そんな彼がこんなことを言っています。

 。これは映画やテレビの絶対原則であり、劇作家や小説家は認めたがらないだろうが、演劇や小説もしかりである。

 ――『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』より

 あなたに「ストーリーの才能」はありますか?

「いや、自分にはそんなものはある気がしない…」と落ち込んでいる人へ。

 マッキーはこんなことも言っています。

 文才とストーリーの才能はまったく別物であるばかりか、互いの関連もない。[……]ストーリーの才能は稀有のものだが、あなたにもその片鱗はあるはずだ。そうでなければ、書きたいなどと思うはずがない。

 ――『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』より


「文才」にしろ、「ストーリーの才能」にしろ、才能というものは生まれついて身についているもので、今からどうこうなるものではない、と思い込んでいる方へ。世界で最も作家のひとり、ホラーの帝王スティーヴン・キングは才能について次のように述べています。

 作家というのは作られるものだと思う。生まれついての作家はいないし、夢や幼児期のトラウマから作家ができるわけでもない――作家(なり画家なり俳優なりダンサーなり)になれるのも、意識的な努力あってこそのことだ。もちろん才能もいくらか関係あるはずだが、才能は些末な要素であって、食卓塩ほどの価値もない。単に才能があるだけの者と成功する者とを分かつのは、ひとえに日々の研鑽のみだ。才能だけではナイフも同然、とてつもない力で振るわないかぎりなにひとつ切れはしない。(略)たゆみない努力と修行という砥石が、才能というナイフを研ぎ澄ます。(略)だからこそ、われわれは自分のナイフを自分にぴったりの方法で真剣に研ぐしかないのだ。

――スティーヴン・キング『死の舞踏 恐怖についての10章』(ちくま文庫)より


 プロとして名を成している作家は「切れ味のいいナイフをぽんと手渡されたわけでは」ありません。ごくまれに、どでかいナイフを手渡された人がいますが(それを「天才」と世間は呼びます)それはほんの一握りです。「ゆみない努力と修行」こそが作家への唯一の道なのです。

 では、これから小説を書こうという人、すなわちストーリーの才能の片鱗を持つ人にとって必要なものとは何なのでしょうか?


 それは、ストーリーを語る「技術」や「知識」です。


 技術や知識を動員すればそのことができます。

 そして(ここがもっとも重要なポイントなのですが)「技術」や「知識」はこれから学ぶことができます。のです。


『ゲド戦記』や『闇の左手』などで世界的にその名を知られる、SF・ファンタージ―作家のアーシュラ・K・ル=グウィンは次のように述べています。

 技術が身につくとは、やり方がわかるということだ。執筆技術があってこそ、書きたいことが自由自在に書ける。また、書きたいことが自分に見えてくる。 技巧クラフト芸術アートを可能にするのだ。

 芸術には運もある。それから資質もある。自分の手では得られないものだ。ただし技術なら学べるし、身につけられる。学べば自分の資質に合う技術が身につけられる。

 ――『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』より


 たびたびの引用で恐縮ですが、ロバート・マッキーは、ストーリー創作を作曲と比べながらこんな趣旨のことを言っています。


 良質なストーリーはごくわずかしかない。

 なぜなら、昨今の脚本志望者は、技巧を学びもせずに、いきなり書きはじめるからだ。

 作曲を夢見る人が、はたしてこんなことをするだろうか。

「交響曲はたくさん聴いた……ピアノも弾ける……よし、今週末に一曲作ってみよう」。

 そんなことはありえない。

 作曲がしたければ、音楽学校へ進んで理論と実践を学び、交響曲の勉強に力を入れるだろう。何年も努力を積み、知識と創造力を融合させ、自分を奮い立たせ、それからようやく作曲に乗り出す。[……]

 作曲家が楽理に通じていなくてはならないように、脚本家はストーリー構築の原理を習得していなくてはならない。この技巧は機械的な技術でも安易な仕掛けでもない。それはあらゆる技術を調和させたもので、うまくいけば観客と一体となっておもしろいものを生み出せる。技巧というものは、観客を深く引きこんで離さず、つまるところ、感動や意義深い経験を提供するためのさまざまな手法の総和である。

 ――『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』より


 作曲をしようする人はまず音楽の理論を学ぼうとします。しかし、なぜか小説を書こうとする人は、何の知識も技術も学ぶことなく、いきなり書こうとしてしまいます。「小説はこれまでたくさん読んできたし、国語の成績もよかったし、じゃあ週末に書いてみるか」と、そんな人が意外と多いのではないでしょうか。

 もちろんそういう人たちを否定するわけではありませんが、作曲と同様、


 小説の書き方に関する本や文章を読んで、「心を込めなさい」「人生の旅を描け」「テンポと文体を磨こう」などという、とても抽象的(非実践的)なアドバイスを受けたことはありませんか?

 これでは具体的にどうすればよいのかわかりません。

 

 必要なのは千本ノック的な根性論や精神論ではなく、より具体的な技術や知識です。

 実はその答えが「ハリウッド式脚本メソッド」の中にあるのです。

 そしてのです。


『工学的ストーリー創作入門』という本の中にこのようなことが書かれています。


 映画のシナリオ作家が知っていて、小説家が知らないことがある。

 どんなシナリオ術の本にも書かれていることが、小説術の本にない。何を書いてどこに入れ、どういう順序でつなげるか、ということだ。シナリオ術では表現の評価基準もはっきりしており、完成させるためのノウハウがわかる。自由で臨機応変な印象がある業界なのに、設計の仕方とプロセスがしっかり説かれている。

 シナリオの書き手はルールを不自由なものと考えない。彼らは効率的な創作の中で自由を感じる。小説家はあてもなくさまよいたがる。どうりで小説作法が漠然としているわけだ。

 もう迷わなくて済む。

 ――『工学的ストーリー創作入門 売れる物語を書くために必要な6つの要素』より


 小説だけではありせん。

 あの有名な漫画家もアニメ作家もシナリオライターも、あらゆるジャンルの方が、のです(本当です)。


 なぜか。


 どんなジャンルであれ「よいストーリーの型」は決まっているからです。

 脚本の世界ではこんな例えで表現することがあります。

「脚本を書くというのはファッションと似ています。服の構造はみんな同じです。シャツには袖が2本あり、ボタンがある。でも構造は同じでもどのシャツも違う。」

 ――『「感情」から書く脚本術 心を奪って釘づけにする物語の書き方』より


 こんな言い換えもできます。


 テーブルには「天板に4つの脚がついている」という「型」があります。

 丸や長方形、八角形の天板もあるし、脚の長さも短いものや長いものもある。

 素材はガラス、木、プラスチック、色のバリエーションも多数ある。

 でも、それらが変わったとしても「天板に4つの脚がついている」という「型」をもつテーブルは、やはりテーブルなのです。


 上記は、シド・フィールドという人が『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと』という本の中で使った表現です。


 あの小説とこの小説は一見全然違うように見えます。

 でも、実はよい小説は、どうやら同じ「型」をもっているらしいのです。

 だとすれば、それを学ばない手はありません。


 繰り返します。

 ストーリーにも普遍的な「型」があるのです。


 ということで、これからみなさんと一緒に、よいストーリーがもつ普遍的な型とはなんなのかということを学んでいきたいと思います。

 それが「小説の書き方」にちゃんとつながってきます。


 最後に、またしてもロバート・マッキーの言葉を紹介して締めくくりたいと思います。

 マッキーの代表作『ストーリー』は、「そもそもストーリーとは何なのか?」という問いに徹底的に向き合った、古典的名著として高く評価されている一冊です。映画脚本を主題にしていますが、小説を書きたい方にもおすすめです。ややボリュームのある本ではありますが、ぜひチャレンジしてみてください。


 すべての芸術は、それぞれの基本的な型によって定義される。交響曲からヒップホップに至るまで、騒音ではなく楽曲となるのは、その根底に音楽の型があるからだ。具象画であれ抽象画であれ、キャンバスに描かれたものがいたずら書きではなく絵画となるのは、その根底に視覚芸術の基本原理があるからだ。同じように、ホメロスからイングマール・ベルイマンに至るまで、作品がただの素描や断片の寄せ集めではなくストーリーとなるのは、根底にストーリーの普遍的な型があるからだ。文化や時代を問わず、この型は無数の変種を生み出してきたが、その本質は変わらない。

 とはいえ、型は「公式」ではない。ケーキとちがって、脚本にはかならずおいしく仕上がるレシピなどない。ストーリーは謎と複雑さと柔軟性に満ちているから、単純化して公式になどできない。そんなことをするのは愚か者だけだ。それより、脚本を書きたければ、ストーリーの型を体得しなくてはならない。これは避けて通れない道だ。

 ――『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』より


【お知らせ】

物語やキャラクター創作に役立つ本

https://www.filmart.co.jp/pickup/25107/


【お得なセール情報】

フィルムアート社のオンラインショップで創作に役立つ本を20%オフの割引価格でセット販売しています。

https://onlineshop.filmart.co.jp/collections/20-off

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る