第三章 その5 野山乃花『スキップとはポジションや役割に与えられる名称では無い。その自覚がある者を、我々は尊敬の念を込めてスキップと呼ぶ。』

二月。

ニュージーランドで一人の日本人女性が行方不明になったと短いニュースが流れる。

「この人、(花)のコーチしてた人じゃない?」

ニュースを見て母が私に問いかける。

「うん。そう」

短く答える、私。


正月、私は駅でかつてのコーチ樟林くぬぎばやし けいを見掛けた。

そして自宅に帰って来たらその本人から年賀状が届いていた。

あれから一ヶ月程経ってどうやら本人が行方不明になったらしい。

時系列にするとこんな感じで、それは分かるのだが。

私にはこれが意味するところは分からない。


思い出してみても変わった人だったから、ふらっといなくなったとしても。

またふらっと戻ってくるような気がした。


私は自室に戻り樟林くぬぎばやし けいコーチから届いた年賀状(今にして思うとこれが年賀状かも分からないが)を見つめる。


ひょっとしてあぶり出しでなにか字が浮かんでくるのか?

そんな事まで考える。


本当に居なくなってしまったのだろうか?

何もかも実感がわかないので悲しいともなんとも感じない。


だが受験勉強にも疲れたし、このタイミングで私が彼女の事を思い出さなければ、誰も彼女の事を思い出さず…そのまま忘れ去られてしまうのではないかと、私はそんな事を考えた。

「むふ〜ッ」

そして私は、そんな理由を付けなければ思い出に浸ることすら出来ない自分がちょっと嫌になる。


◇◇◇


樟林くぬぎばやし けいというコーチとしっかり話したのは何年前だろう?

小学校五年生の時には指導を受けていたはずで。

当時私は同級生の幡屋 瑠璃はたや りゅーりと同じチームだった。

アイツリューリがスキップで私がサード。

でも実力はアイツが断然上だった。

それはそうだ。

リューリの両親はカーラーで、リューリ自身も小さい頃からカーリングをしていた。

出会った時からリューリは堂々としていて。

アイツの戦術に口を挟もう等とも考えなかった。

ただ、アイツの指示に従い、アイツの思う通りに試合を進める。


「お前さんはにいるのかい?」

ある時、樟林くぬぎばやしコーチが私に言ったのだ。


カーリングをやっている女性は色白な人が多いが、彼女は浅黒い肌をしていた。

二十代とは聞いていたはずだが、彫りの深い顔は年齢以上の貫禄があった。

左腕で鋭角な顎を擦り、怒る訳でもなく、呆れるでもなく、私に問いかけている。

肘から先が無い右腕は彼女が動く度に袖だけがヒラヒラと動いていた。


意味が分からなかった…訳ではない。


「お前さんはチームの何だい?」

「サード…ですけど」

「ではスキップは?」

「リューリ…ですけど」

「スキップはチームに一人かい?」

…何を当たり前な事を聞くんだと私は思った。

それが顔に出ていたんだろう。

彼女はニヤリと笑った。

「スキップはチームに一人…まぁ当たり前だわな」

そう言って彼女は後ろに纏めた長い髪を左腕だけでボリボリと掻いた。


そして数日後。

小学生のチームで参加した大会。

しかし大会当日の朝にリューリが会場に現れない。

…最近お父さんの調子が良くないとは聞いていたから、ひょっとして。

リザーブ選手がいるので人数は問題がない。


試合時間。

やはりリューリは現れない。

「こちらのチームのスキップは誰ですか」

試合の担当者に声を掛けられる。


樟林くぬぎばやしコーチと視線が合った。

何故だろう。

後から思い出すと、この時私はに試されている気がしたのだ。


「私です」

私は一歩前に出る。

「私が…スキップです」


樟林くぬぎばやしコーチの顔は見えなかったが。

私は彼女が微笑んでいると確信した。


試合は途中からリューリが加わり、何とか勝つ事が出来た。

そして試合が終わってから樟林くぬぎばやしコーチは私に言ったのだ。

「チームにスキップは一人。それはルールではそうだが。心は誰もがスキップで良いのさ。そういうチームは例外なく強い。お前さんは今日、心がスキップになったのさ。それは、めでたい事だよ」


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