第一章 その2 伊勢原真紀 『引き金は心で引くな手で引くな。闇夜に霜の降るごとく引け』
私、伊勢原真紀がカメラを始めたのは父親の影響だった。
恐らくは息子と同じ趣味を共有したかったはずの父親。
しかし産まれたのは三人とも女の子で、一番末っ子の私がそんな父親の趣味を受け継ぐ者として選ばれたみたいだった。
小学生の私に与えられたのは、カメラそのものが印刷までしてくれる、半分おもちゃみたいなカメラ。
それでもフィルムをセットする所から行わなければならず、今にして思えば私はこの頃から父親の趣味の受け手として教育されていたわけだった。
そして中学生でフィルムの一眼レフカメラ。
デジタルカメラが当たり前の今どき、こんな骨董品使っている人間は少ない。
なにせフィルム自体が売ってない。
そして現像にいちいちお金が掛かる。
そうでなくても、スマートフォンがあるからデジタルカメラが趣味の領域。
そして、写真という物は現像などせずに画面の中で楽しむ物になっている。
だが、扱ってみるとこのフィルムカメラは面白い代物だった。
ピントを自動で合わせてくれないから、手動で合わせる必要がある。
フィルムの感度やシャッタースピード、光の量すなわち露出等を全て手動で合わせる。
そして現像するまで写真の状態が分からない。
でも慣れればその手動の不便さを用いて様々な写真を撮ることが出来た。
さすがにお金が掛かりすぎて現像はしないので、もっぱらフィルムスキャナーでパソコンに取り込み、気に入った画像を家で印刷していた。
私は写真部に所属しているが、私以外は幽霊部員だ。
冬のスポーツが盛んなこの軽井沢では、部活に入らずアイスホッケーやスピードスケート、フィギュアスケートなどを少年団などで行っている人も多い。
そんな中で写真部を選ぶ人などのいない。
そんな訳で私は一人で気ままに行動していた。
最初は野良猫やら野鳥やらを撮っていた。
それがスポーツをしている人へと変わって行くまでそう時間は掛からなかった。
野球やテニス、バレー等の球技から剣道や柔道等の武道。
陸上や水泳等々。
それらのスポーツや選手達は充分に魅力的だった。
でも、と思う。
せっかくこの軽井沢という特殊な町にいるのだから、何かもっと特別な被写体に出会えないかと私は考えた。
軽井沢で有名なスポーツ…。
何時だったかオリンピックで有名になっていたスポーツがあった。
確かカーリング?
それで辿り着いたのがカーリングだった。
同じクラスの
最初はカーリング?
ナニソレ美味しいの?
ブラシでごしごし擦るスポーツだよね?
…くらいしか知らなかった。
だから色々長門に聞いてみたのだが。
そこはこの長門門司。
通称もんじぃ。
ちなみにイントネーションはもん↑じぃ↓と呼ぶ。
コイツがまぁ愛想がない。
「どんなスポーツなの?」
「石を投げて、ブラシで擦る」
「…それは知ってる。他にはないの?氷上のチェスって言われてるんでしょう?」
「…オレは将棋しか知らん」
「いや、そうでなくて」
「寒いぞ」
「そりゃ氷の上なら寒かろう。って、あ~ん、もぅ、聞く相手間違えたわ。玲二!!」
「呼ばれて飛び出て玲二です」
スタッと山城玲二が現れる。
…どこにいたんだろ?
いや、むしろ様子をずっと見ていたに違いない。
ちなみにコイツは普段はれい↑じぃ↓とは呼ばない。
もんじぃと二人ペアの時にはからかって呼ぶけど、“じぃ”ってイメージではないのよね。
童顔だし。
「
「そこは、真紀ちゃん。百害あって一利なし、でしょう?入部する?」
「いや、百聞は一見に如かずでしょ?百と一しか合ってないわ…で、いきなり入部か。見学勧めろやっ…てツッコミ所が多すぎ!」
「律儀だよね、真紀ちゃん。でもカー部って、僕ともんじぃしか男子いないんだよ?真紀ちゃん入部してよ~?」
「あんたねぇ、しれっと私を男子枠に入れたわね?怒るわよ?」
「お前、さっきからずっと怒ってるだろ」
もんじぃがぼそっと呟く。
もん↑じぃ↓のくせに。
「分かったわよ。見学、行かせてもらうわ。練習いつなの?」
「明日。地元の中学生も来るよん。僕ともんじぃが下手な説明するより、見てもらうのが一番だね」
「オレは最初からそう言っている」
いや、言ってないだろ。
私はすでにツッコミに疲れて心の中で呟いた。
次の日の放課後。
私は玲二、もんじぃとカーリング場に来ていた。
今は十一月で学校の授業が終わる頃には日も暮れかかっている。
そして
氷点下十度を叩き出す事もある。
そんな耳が千切れそうな寒風吹き荒ぶ行程を乗り越え、やって来たカーリング場もまた、極寒だった。
いや、さすがに外よりは暖かいのだろうが、冷凍庫から冷蔵庫に入ったとしても誰も冷蔵庫を“暖かい”とは感じないだろう。
「…寒い!寒い!寒い!」
カーリングホールに入って、いよいよ私はガタガタと震えだす。
「だから言っただろう。寒い、と」
ジャージ姿のもんじぃが準備運動しながら呆れたように言う。
「あんたは言っただけで、暖かい服装で来いとか具体的なアドバイス何もしなかったでしょ。…で、あんた達はそんな軽装で寒くないの?」
玲二ももんじぃもジャージに手袋のみ。
確かにモコモコ着込んでは動きにくいのだろうけど、それにしたって薄すぎないか。
「僕達は動くからね」
同じく準備運動しながら玲二が言う。
ここに来るまでに頬は寒さで赤くなっている。
元々の童顔と相まってさらに幼く見える。
なんだか“ゆきんこ”みたいだ。
「真紀ちゃんは温かい飲み物でも買ってきなよ…いてててて、もんじぃ痛いよ」
今度は玲二ともんじぃの二人ペアで準備運動を始める。
お互いの腕を引っ張ったり、背負ったりしているが、その圧倒的な体格差が問題。
もんじぃは軽々と玲二を引っ張り、背負うが、対する玲二は…。
もんじぃを背負った玲二は今にも潰れそうだった。
「もんじぃ、玲二が潰れそうだよ?」
「…それも定めならば」
「いや、カーリングの準備体操で潰れるとか、どんな定めか」
「…ふ…たり…とも…まじで…つぶ…れ…」
玲二の足が生まれたての子鹿みたいにぷるぷるしている。
…生まれたての子鹿なんて見たことないけど。
「…我が生涯に一片の悔いあり~」
あ、玲二が潰れた。
一片の悔いがあるのね。
とりあえず寒いので私は自販機でホットココアを買い、カーリングホールに戻る。
すると、随分ちっちゃい子達が並んで挨拶していた。
おそらく地元の中学生だろう。
もんじぃなんかと比べると本当に小さくて可愛い。
中学生って生意気なイメージがあるけど、皆で並んでお辞儀している姿は微笑ましかった。
「私も昔はあんな風に汚れがなかったのかな」
「勝手に私のアテレコしないでくれる?もんじぃ?」
「汚れちまった悲しみに…」
「はいはい、この間現国で習ったからね。言ってみたいよね。中原中也」
まぁ一瞬、私も同じような事考えたんだけどさ。
私もあんな風に可愛いかったのかな…って。
とりあえず私はカー部の部長と中学生達に写真撮影の許可を取る。
SNS等インターネットにアップはせず、コンテストにも応募はしない。
その事を説明し、許可をもらった子だけ撮影する。
こういうの、保護者の事もあって気を遣うんだよね。
特別にコーチ席に入らせてもらった私は、早速カメラを構える…訳ではなかった。
まずは広い視点で、そもそもカーリングってどんなスポーツなのかを観察する。
ポケットの中に温かいココアを忍ばせ、右手を突っ込む。
何かの映画で見た狙撃手は、極寒の中でも利き腕だけは温めていた。
それを真似てみたのだ。
…多分私のこの
中学生も交えたカー部の連中はいくつかの組に別れたようだった。
さて、玲二は…っと。
いたいた。
アイツ童顔だし、背も低いし、愛想良いし。
すでに中学生と馴染んでいた。
背丈は中学生とそう変わらない。
その屈託のない笑顔に、思わずシャッターを切ってしまう。
いけない、これは今日の主旨に反するわ。
「カーリングしてる山城クン、カッコいいよ」
…そう言えば友達がそんな事言っていたっけ。
物凄くモテるわけではないけど、ある特定の女子から人気あるのよね。
アイツ。
一通り見た私は、漬物石(?)みたいな物を投げる瞬間や、ブラシで氷をごしごししている姿等、適当に当たりをつける。
そしてカメラを覗き込む。
まずはアップで漬物石(?)を投げるちっちゃい女の子を追いかける。
すると、その動きは思いの外速く、ファインダーから外れてしまう。
「氷上のチェスって言うから、静かなスポーツかと思ったけど。…思ったより、アグレッシブなのね」
連写機能なんてこのカメラには無く、シャッターを切る毎に自分でフィルムを巻かなければならない。
さしずめ今のデジタルカメラがフルオートマシンガンなら、こちらのフィルムカメラはボルトアクションのサンパチ式歩兵銃か。
ふうっと一息ついて、カメラを構える。
脇を締めて胸の前に左手を真っ直ぐに立て固定する。
『今度は投げる人の動きに合わせる』
漬物石(?)を持った女の子が陸上のスターターブロックのような物に足を掛ける。
『息遣いは邪魔』
一応平均値くらいに発育している私の胸は、呼吸の度に上下する。
手振れ補正なんてないから、このカメラではそんな挙動も拾ってしまう。
気が付くと、再び女の子は投球のモーションに入っていた。
彼女は後ろにぐんと体重を乗せる。(私は呼吸を止め)
引き絞った弓のようにしなり。(シャッターに人差し指を掛け)
一拍、二拍。(イチ、ニィ…)
…。(引き金は心で引くな手で引くな。闇夜に霜の降るごとく…)
滑り出す。(サン)
パシャリ。
『撮って満足しない、次』
すぐにフィルム巻き上げレバーに親指を掛け。
ジャッッ→
『次弾装填』
→ッコン。
小気味良い音とともにフィルムが巻かれる。
私にとって最高の瞬間。
大好きな音。
だが、漬物石(?)がどんなスピードで滑って行くかまだ分かっていない私は、次の被写体(ブラシでごしごし役)を見失ってしまう。
「まだまだですなぁ」
呟いてカメラを下ろした。
そしていきなり課題に直面する。
このスポーツではほとんどのアングルが斜め後ろになってしまう。
正面から撮りたいのはやまやまだが、投球する選手を正面から撮ろうとすると、この五十メートルはあろうかという氷の反対側に陣取らなければならない。
五十メートル離れた撮影など、私のレンズではとても出来ない芸当だった。
やれやれ。
その時、私の目に先ほどの女の子と一緒にプレーしているもんじぃが映る。
相変わらず、無愛想で中学生の女の子がちょっと引いているのが分かる。
だから私はコーチ席から叫んだ。
「
もんじぃがひらひらと手を振る。
…ホントに分かってるのか?
先ほどの中学生の女の子がこちらを見ている。
「ごめんね!コイツ根っからのコミュ障だから。あ、私は伊勢原真紀!
「ヨロシク、です」
女の子がぺこりと頭を下げる。
その女の子は下手すれば少年に間違われそうな程に胸が、ない。
髪の毛はボブカットだが、ブラッシングすら普段あまりしていないか。
髪の先端は跳ねているし、頭頂部もぴょこぴょこ髪の毛が立っている。
瞳も大きいが、眼鏡も大きい。
そしてその眼鏡は辛うじて低い鼻に引っ掛かっていた。
身だしなみに無頓着な子かな?
もっときちんと身だしなみ気をつければ、可愛らしくなりそうなものだが。
「名前、教えて?」
「野山、乃花…です」
…なんだか冗談みたいな名前だった。
そして野山と名乗ったその子は、もんじぃに顔を向けて、くしゅっと顔を歪める。
…気に入らないんだね、もんじぃの事が。
「キミ、三年生?うちの高校受ける?」
「はい、三年生です。…受けるつもりです」
「そう!来年楽しみ。なんだか、ごめんね?アイツ愛想なくて」
「いえ、私も愛想ないですから」
「どう?あなたから見て。うちの連中は?」
野山さんはちょっと考えてから。
「高校生、思ったより下手、ですね」
おおぅ。
爆弾投げよった。
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