第三章 その10 野山乃花 『思い出の終着駅』

どれ程の時間、私は思い出に浸っていたのだろうか。

気が付けば時計の針は二十二時を回っていた。

窓は曇って真っ白で。

結露した水滴は凍りついている。

明日の朝窓を開けるのに苦労するだろうが、どうせ窓を開ける気も起こらない程に寒いに決まっている。


こんなに思い出に浸る暇があれば数日後に控えた受験勉強に時間を割くべきで。

それが無理ならBL執筆活動をするべき。


あの樟林 桂くぬぎばやし けいコーチとはどんな別れ方をしたのだろう?

ああ、思い出した。

最後の最後まであの人らしい終わり方だったな。


◇◇◇


私が小学校六年生の時。

ジュニアの練習中に事故が起こったのだ。

結果的に樟林 桂くぬぎばやし けいコーチはその責任を取って辞めたのだった。


どこの集団にも問題を起こす生徒というのは、いる。

そして私の所属するジュニアでもそういうヤツはいた。

ソイツがある子供の足元に、ストーンを故意に投げたのだ。

投げられた相手は後ろを向いていた。

私が気付いて咄嗟に声を掛けたが。


氷上、しかも後ろから踵にストーンを投げられ、その子は受け身も取れず後頭部を氷に打ち付けた。

脳震盪のうしんとうを起こしたその子は救急車で運ばれた。

幸い後遺症などはなかったのだが。

ストーンを投げた張本人は知らん顔を決め込み。


コーチは監督不行届で一部の保護者達から避難を浴びた。

もちろん大多数の保護者は擁護に回ってくれたのだが。


説明会と名の付いた謝罪の場で、コーチは一切言い訳をせず、辞任を表明。


「私がこのジュニアの責任者ですから。私に全ての責任があります。申し訳ありませんでした」


説明会にはジュニアの子達…ストーンを投げた本人も…来ていた。


「おかしいよ!」

私は耐えきれずに叫んだ。

「その子がわざとやったんだよ!?」

ストーンを投げた子をキッと睨みつける。

「コーチは悪くない!!」

その子は私に睨まれて視線をそらす。

バカヤロー。

コッチ見ろ。

証拠しょーこでもあるのかよ!?見間違えじゃねーの」

見え透いた言い訳。

「私も見ていたわ」

リューリが立ち上がる。


なんだろ。

少年漫画の強敵が味方になってくれた、みたいな展開と安心感。

いや、味方なのだけど。


ザワつく場内。

「野山、止めないか」

コーチが諭すように言う。

…でも。

「練習中の事故だ。例え二度は起こらないだろう。皆が気を付けるからな」


そう言ってさり気なくその子に釘を刺す。

今度はバレるぞ、と。



「どうしてはっきり言わないんですか」

閉会の後、私はコーチを追い掛け、文字通り捕まえた。

「実際私の責任だからだ。肩書もらって、その分の給料もらっている立場の人間はな。何かあったら責任を取るものなのさ」

「それが理不尽でも?」

「肩書を持った人間は“権力”があるのではないよ。それより真っ先に“責任”が発生するのさ。責任を果たし、責任を取るための力だ。力を守る為に責任を放棄したり、責任を下の人間に擦り付けるのは論外だな。順番を間違えているやからは多いが」

「やっぱり分かりません」

「分からなくていいさ」

コーチがいつものように左腕を私の頭にそっと乗せる。

「何があっても腐るなよ?リューリと仲良くしろ」

それだけ言い、樟林くぬぎばやしコーチは去って行った。


◇◇◇


その後、コーチと再会する事はなく。

軽井沢駅で見掛けたあの時が最後だった。

そして。

彼女は行方不明となったのだ。

数年間何をしていたのか?

それは分からない。

でも、きっとコーチはパートナーの眠るあの山に行ったのだと思う。

私が予想出来るのはソコまでだった。


コーチ、すみません。

教えに背き、私は…けどね。

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