第三章 その11 樟林 桂(くぬぎばやし けい) 『現実の終着駅。』

少し、夢を見ていた。

もはや私にとっては夢から醒める必要などないのだから、そのまま眠っていたかった。

私がニュージーランドのに来たのが二月。

それから一週間程経過した。

片道分の食料はとうに尽きた。

南半球こちらでは夏なので、さすがに雪までは降っていないが。

おあつらえ向きに天候は悪化し、私は狙って頂上を目指した。 

正確に言えば目指したのは頂上ではなく、頂上付近の何処かにあるクレバス。

今でもアイツが眠っているであろう、クレバス。

見つけるのが困難であるのは分かっていた。

同じ場所まで辿り着く必要もない。

ただ、アイツと同じ山であれば良い。

だが、ここまで来るのに六年も掛かってしまった。

随分と待たせてしまった。


そして。

これも都合よく私は悪天候の中で身体を支えきれず、クレバスに滑落した。

これがアイツの眠るクレバスであれば良かったのだが。

現実はそこまでこちらの意を汲んではくれない。


ガラリ、ガラリ、ゴロゴロ…。


ああ、と私は懐かしさに目を細める。

何処かで雷鳴が聞こえる。

雷鳴のような氷河の砕ける音が。

ふむ。

思ったよりカーリングストーンが氷を滑る音と、似てないじゃないか。


これはアイツに…野山乃花に会ったら、訂正しなければならないな。

そこまで考えて私は自嘲気味に笑う。

今度も何も。

二度とあの娘に会う事はあるまい。


ふ…う。

呼吸が…キツくなってきたな。


日本を経つときに手紙らしき物を出してしまったが。

困惑していないと…いいな。

余計な事をしたかな、とも思う。

だが夏目漱石のいう小説でも先生と呼ばれる人物は死ぬ前に手紙を出していたし。

ふ…う。

それに倣ったのだが。


ガラリ、ガラリ、ゴロゴロ…。


しかし…恐ら…くは人生で最期の瞬間。


その間際にあの娘…の事を考えるとは。


私は余程…あの娘が気に入っていたらしい。


本当に子供を持つなら…あんな娘が欲しかった。


ガラリ、ガラリ、ゴロゴロ…。


なぁ…テツジよ。

最期…だ。


…姿くらい、見せたらどうだ?

こういう時は幻想でも目の前に現れるのが、かつての恋人に対する礼儀というもの…だ…ろう。


ふ……む。

あそこに…霞んで…見える氷の塊。


あれ が お前という事でいいな。


愛 する恋人同士 めでたく死 間際…再会出来ました。


め で たし、

めでたし と な。


ガラリ、ガラリ、ゴロゴロ…。


あ あ、どうや ようやく、その時が 訪れ ようだ


ガラリ、ガラリ、ゴロゴロ…。


今度 は 日 の光で 目は 開け ない よ


ガラリ、ガラリ、ゴロゴロ…。


存外 心地 良 ものだ


ガラリ、ガラリ、ゴロゴロ…。


生死 の 境界な ど そんな もの


ゴロゴロ…。


私 よ  やく 境  越え ら れ 


ゴロゴロ…。


…る


…よ。



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