第三章 その6 野山乃花 『子供らしい子供で何が悪い』

正月、軽井沢駅で見掛けた、 かつてのコーチ。

二月、そのコーチがニュージーランドで行方不明となった。

そのコーチが行方不明になる前に私に送った年賀状(?)。

私は今、その年賀状を見ながら彼女、樟林くぬぎばやしコーチを思い出していた。


◇◇◇

私が小学校六年生の頃。

夏。

リューリ含め他のメンバーは青森へ遠征に行っていた。

私はお留守番。

もちろん、行きたかった。

だが我が家の経済力では数万円もする遠征費用を出す事が出来なかったのだ。 


結局遠征に行けなかったメンバーは合宿という名目でカーリング場に集まっていた。

昼間はカーリング練習を行い、夜は外の芝生広場でキャンプ(ごっこ)をした。

遠征に行く事が出来ない子達に向けた催し物。

年下の子達ははしゃいでいたが、私はリューリ達と一緒に行けなかった事に忸怩じくじたる想いに駆られていた。


夜。

テントの中。

私は寝袋の中で何度も寝返りをうった。

いつまで経っても眠れない。


外に人の気配を感じてテントから這い出る。


綺麗な星空の下。

樟林くぬぎばやし けいコーチがいた。

アウトドア用の携帯用のガスバーナー。

やはりステンレス製の小さな鍋でお湯を沸かしているようだった。

青い炎が揺れコーチの横顔を照らす。

時折涼しい風が吹き、肘から先が無いコーチの右腕はヒラヒラと揺れた。


樟林くぬぎばやしコーチはその炎をじっと見つめていた。

声を掛けて良いものか。

悩んでいる内にコーチが私に気付く。

「こっちにおいで」

青い炎の光に照らされながら彼女が囁く。

「良いんですか?芝生で炎なんか使って。怒られますよ」

私は自身の中にある、この状況へのわだかまりを見透かされたようで、精一杯虚勢を張る。

「うん。うん。お前さんはそれ位胸を張っているのが良いな。ショボくれているのは似合わない。無い胸でも貼りたまえよ」

そしてカラカラと笑うのだった。

「今は無くても将来性があるんです」

この時の私は自分の胸も将来は大きくなるものと信じて疑っていなかったのだ。

「コーヒーだが、飲むか?」

「あからさまに眠れない子供に、コーヒー勧めますか?普通」

「そうか。ならホットミルクかな」


樟林くぬぎばやしコーチはクーラーボックスから牛乳を取り出し、ステンレス製のカップに注いだ。

右腕を失っている彼女は全てを左腕で行うが、その途中までしかない右腕も、添えたりする事で器用に使うのだった。


しばらくバーナーからガスが噴き出す音が辺りに響く。

「はいよ。ホットミルクだ。蜂蜜も入れてある。…熱いぞ」

コーチから渡されたカップをふぅふぅと息を吹き掛けながら飲んだ。

温かいミルクとトロミのある蜂蜜の甘さ。

なんだか心のトゲが丸くなるようだった。


「普通、なんで眠れないのか…とか聞くもんじゃないですか」

「聞いてもいいが、回りくどいな。話したい事があるなら話せば良い。私は聞くよ」

相変わらず人を試すような目。

この目は苦手だ。

「努力でどうにも出来ない壁、コーチならどうしますか」

私は少し話す事を躊躇ためらってから呟いた。


「いつでも選択肢は二つだろう。諦めるか、続けるかだ。諦める道が全て悪い事じゃない。それはその人の道だ。続けるなら中途半端ではなく、全力を尽くせば良い。どちらの道を進んでもその先に道は、ある。大切な事は」 

樟林くぬぎばやしコーチはそこで言葉を区切り、コーヒーを一口飲んだ。

その唇から、ほぅ…っと溜息が漏れた。


「大切な事はカーリングを続ける事じゃない。カーリングをする事でもない。お前さんがこのスポーツを通じていかに人生を学ぶか、なのさ。それに比べたらチームで勝つ事も、遠征に行くか行かないかも、大した事じゃない」

「…分かりません」

「それで良いさ。その歳でなんでもかんでも分かってしまったら…もしくは分かったをしてしまったら、つまらん大人になってしまう」

コーチは私の頭に左腕を乗せる。

「子供は子供らしく、駄々をこねれば良い。は正しいんだ。痛いなら痛い。苦しいなら苦しい。そう言えば良いさ」

「苦しい、です。悔しい、です。遠征行きたかった、です。でも、それも親には言えません」

「そうか。お前さんは優しいな」

私は抱えた膝の間に顔を埋め、その頭をコーチは撫でてくれた。

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