ノヤマノハナのエピローグ

三月。


三年生の卒業式。

よくドラマの卒業式では桜が咲いているが、あれは平地の話。

軽井沢ここの三月は桜に蕾すら見当たらない。

何しろ平地とは気温が十度以上違うのだ。

溶け残った雪が根雪となり、ガチガチに凍り付く。

辛うじて雪かきがしてある細い歩道を通りながら、登校する日々。

吐く息は白く、眼鏡も曇る。


ありきたりな表現だが、あっという間の一年だった。

見上げると今日も放射冷却で澄み切った空。

そしてモクモクと噴煙を上げる冠雪した浅間山。

雪化粧したその稜線は女性のまろやかな曲線に似て、どことなく色っぽさを感じさせる。

親の顔より何度も見た、いつもの光景。


卒業式は昼過ぎから始まった。

寒さ対策もあるが、この時期はどこも卒業式を行う為、来賓が時間差で参加しやすいように各校で開式時間をずらしているようだった。

丸一日卒業式に出て聞いているのはさぞ苦痛だと思うが、ナントカ委員の委員長云々、肩書がある方々は『長話耐性スキル』でもあるのだろうか?

"ハズレスキル『長話耐性スキル』で無双します"なんて小説書いたら…売れるかな、いや、ないな。

うん。

やめよう。


校長先生の話は御多分に漏れず長く、一枚目が読み終わったかと思えば裏側まで続いて私達を絶望へと誘う。


目元までずり落ちてきたキャスケットの位置を直しながら、そして欠伸を噛み殺しながら、私はこの一年を振り返る。


高校に入学して、中学校と同じようにカーリングして。

私立学園の、特にリューリとはぶつかってばかり。

リューリのチーム雪華草ダイヤモンドフロスト

リューリアイツ本当ホント人の話を聞かないし、自分の好き勝手やるしでチームメイトは大変だと思う。

実際、始めは個々が強いだけで纏まってなかったな。

それがまぁ、よくあれだけ纏まったものだ。

結局私達は雪華草ダイヤモンドフロストに勝つことは出来なかった。

それは悔しいけれども、一つのチームが成長していく姿は眩しく、頼もしく。

私は応援こそすれ、嫌いにはなれなかった。

色々言いたいけど、頑張れリューリ。


そして私のチーム、WildFlowers。

浅間 風露あさま ふうろ一里 静ひとり しずか叡山 菫えいざん すみれ先輩。

凸凹デコボコだらけで騒がしいけれど良いチームだ。

スマートになれない、寄せ集め感たっぷりの雰囲気は正に私のチームにぴったりだ。

来年は、打倒雪華草ダイヤモンドフロストだな。 


さすがに一人で思い出にひたり過ぎたかと思ったが、校長先生の話はまだ終わる気配がない。

二枚目の裏側まで読み始め、さすがにする。

まだしばらく思い出の中に逃げ込んでも、全く問題なさそうだった。


夏は皆で合宿にいって。

伊勢原真希先輩、山城玲二先輩、もんじぃこと長門門司先輩。

先輩達と色々な話をした。

三人の先輩達との日々。

カーリングしたり、ゲームしたり…。

それを振り返ると、私の小さな胸は始めは暖かくなるが、次いで切なさで潰れそうになる。


秋には真希先輩から山城先輩への気持ちを聞いた。

薄々分かっていたけど。

でも山城先輩はもんじぃ先輩が好きだった。

だから、きっと真希先輩は振られている。

それも手痛く、取り返しがつかない程に。


そして。


それっきりだったな。

今どはほとんど、全く連絡を取らなくなってしまった。


それでも三人の進路くらいは知っている。

真希先輩は長野の専門学校へ。

写真を本格的に教わると言う。


山城先輩は静岡の大学へ。

環境やら海洋やらそんな事を学ぶらしい。

いずれは海のおとこにでもなるんだろーか?


もんじぃ先輩は…。

とりあえず北海道に行くらしい。

あの人だけは何を目指してるのか本当に分からない。

本人はC.W.ニコルを目標にしてるらしいが…。


校長先生の後も次から次へと続き、ようやく私達は開放される。


各クラスでホームルームの後、下校となった。

既に日は傾き始め、冷たい風が容赦なく吹きすさぶ。


校門付近では友達同士、先輩後輩の組み合わせ、あるいは先生と写真を撮る生徒達。

皆、最後の時間を惜しむように話をしている。


歩く、話す、笑う、泣く。

どの動作もゆっくりに見える。


動作を緩慢にしたところで時間がゆっくり流れる訳でもないのに。


皆、誰もがここに留まれるはずもないのに。


例えどのような誓いを立てようと、約束を交わそうと、数分後には別れ、数日後には生活圏が変わり、数ヶ月後には交友関係が変わり、数年後には忘れ、数十年後には一人で消えていく。


私は先輩達三人を探そうとして一歩踏み出し、冷たい風に煽られて立ち止まる。


幾度となく繰り返されてきたであろう目の前の光景が、急にありきたりなドラマのワンシーンのように思われ、興を削がれたのだ。


探して、見つけて、何を話すのだろうか。

私もこのドラマのワンシーンの一人になって、泣きながら「ありがとうございました」、とでも言うのか。


きっと私は、このシーンに染まれるほど、素直な人間ではない。

万人が納得する最大公約数的なシナリオに準ずるならば、自らは合成数として他者と並ばなければならない。

素数の私には土台無理な話だ。


私は人の輪に背を向け、校庭へと歩き出す。


気が付けば男子カーリング部カー部の部室前に立っていた。


校門付近の賑やかさとは打って変わって校庭には誰もおらず、時折野球用バックネットがポールに当たる金属音が響くだけ。


私はふと、部室のドアが少し開いている事に気付く。

…鍵が、開いている?

中に誰か居るのだろうか?


私はある予感めいたものを感じながら冷たいドアノブを掴む。

蝶番ちょうつがいが耳障りな悲鳴を上げ、錆びついたドアがゆっくりと開いていく。


「もお、ハナっち遅いッッ」

「鮭が?鮭が転がったぞ!?」

「はいはい、もんじぃ、僕の唐揚げあげるから」

「ねぇ、もんじぃ何を読んでるの?」

「グラビアだ。俺は最初から巨乳派だと言っている」

「ホント、もんじぃってば」

「そんな媚びた写真のどこが良いのよ」


…。


……。


先輩達との日常が、聞こえた気がした。


予感と期待は裏切られ、部室の中に私の影が夕陽を浴びて伸びていく。


先輩達のいない、狭い部室に、私の影だけが佇む。


弱々しい軽井沢の夕陽は私を温めてもくれず、急激に体温を奪っていく。


何処かに神様がいるのなら、私は神様に「お前はずっと一人で生きていろ」とでも言われているようだった。


私は私の肩を抱き、キャスケットを深く、深く、被る。

この先も私を温めてくれる人なんて現れないのではないか?

そんな根拠の無い不安に襲われる。

先輩達がくれたキャスケットは、それ自体が思い出でだった。

目元から熱い雫が溢れそうになる。

私は奥歯を噛み締め、爪が食い込むほど拳を握り締める。

泣いたらダメだ。

泣けばもっと惨めになる。

しかし私の身体は私の意思に反し、雫が頬を伝う。

それが涙で自分が泣いていると自覚した時、私は堪えきれずに小さな身体を震わせて嗚咽する。


失われた日常は戻らない。

人と人の絆とは、こんなにも脆い。

壊れた人間関係の修復は難しい。


いくら待ったところで、先輩達は戻ってこないこの部室。


私は私の中で整理出来ない感情を抱えたまま、孤独ひとり、昏くなるまで立ち続ける。


最後まで、Yes。ノヤマノハナ 了

最後まで、Yes。に続く

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最後まで、Yes。ノヤマノハナ 上之下 皐月 @kinox

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