幕間 後編 『その日、浅葱斑(アサギマダラ)は海を越え、三光鳥(サンコウチョウ)は夏の終りを告げた。』

合宿二日目。


いつもと異なる枕でうまく眠れなかった私は、浅い眠りから覚めて目を開ける。

二段ベッドの上では叡山菫えいざんすみれ先輩が寝ている。

横の二段ベッドには浅間風露あさまふうろ一里静ひとりしずか。 


「おお、推しが…推しが…二人で…ぐふふ…まさか、まさかそういう攻めと受けとは…!?予想外ナリ!まこと予想外ナリよ!?キテ○ツ〜」

…上のスミレ先輩から、やたらはっきりした寝言が聞こえる。

どんな夢を見てるんだか。

中々に闇の深い先輩である。

まぁ人の事は言えないけど。


枕元のタブレットPCをタップするとまだ時間は朝の五時。

普段は絶対に起きない時間だが、私はベッドを抜け出す。


ジャージのまま別荘を出てみる。

外は霧が出ており、中々に幻想的な風景。

軽井沢ここでは地面から水蒸気が立ち昇る事がよくある。

の人々から見れば軽井沢ここはスカイツリーなどより高い九百メートルの上空。

霧だ何だと言うが要は雲の中にいるのだ。

そう考えると。

軽井沢ここは雲が発生する場所なのかもしれない。


風と共に細かな水の粒子が身体を濡らす。

涼しい…というか肌寒い。


朝靄あさもやの中に目を凝らせば、川辺りに三人の人影。

三年生の伊勢原真紀いせはらまき先輩、長門門司ながともんじ先輩、山城玲二やましろれいじ先輩。


…思えば奇妙な縁だった。


昨年の十二月。

長門先輩、山城先輩のチームのコーチを務めて。

それ以来時々一緒に四人でゲームもする仲となった。

正月は先輩達にお礼と言うことで、キャスケットをもらった。


先輩達は三年生。


最後の。

二度と訪れる事のない、高校生最後の夏だ。

刻一刻と失われていく仲間達との特別な時間。

子供と大人の境界線。

二年後には私も経験する事になる、最後の夏。


三年生は希望すれば、来年のニ月の試合まで出ることも出来る。

先輩達はどうするのだろう?


「お、ハナちゃんコーチ、早起きだね」

山城先輩が手をひらひらさせる。

「先輩達こそ、どうしたんです?」

「聞いてよハナっち〜。もんじぃがね、早起きすると良いもの見られるって言うからさ。ふぁ〜。ねむ」

伊勢原先輩の大あくび。

そう言いながらきちんと起きてる辺り、なんだかんだ伊勢原先輩も真面目だと、私は思う。

「で、もんじぃ何が見られるんだい?」

「ホラ、今日は運が良いぞ。浅葱斑アサギマダラだ」

門司もんじぃ先輩の指差す方向。

茶色と青緑色の蝶が飛んでいた。


青緑色の部分は角度によっては薄く白く、透けているようにも見える。


何と言うか、地道な蝶だな、というのが私の感想。


そこへ、浅葱斑アサギマダラの頭を抑えるように、真っ黒な蝶が舞い込んで来た。 


烏揚羽カラスアゲハか」


門司もんじぃ先輩が呟く。


烏揚羽カラスアゲハの一際大きな羽はツヤツヤと黒く光り、時としてエメラルドグリーンに輝く。

浅葱斑アサギマダラは湿気で上手く飛べないのだろうか?

必死に必死に羽を動かし飛んでいる。

他方、烏揚羽カラスアゲハの飛び方は優雅そのものだ。


「アレ、そんなに珍しい蝶なの?なんだかあんま綺麗じゃないね」

伊勢原先輩も同じ事を思ったようだった。


烏揚羽カラスアゲハの隣にいると、尚更だ。


なんだろ。

烏揚羽リューリ浅葱斑みたい。 

機屋リューリアイツはいつも綺麗で。

目立っていたな。

私の上を優雅に飛んでいた。

私とは比べ物にならない程に。

私はいつも、バタバタとしているんだ。


浅葱斑アサギマダラの中には海を越える個体がいるんだ。もちろん全ての個体がそうではないけど。あの小さな身体で海を越えたかと思うと、凄いだろ?」


「…」


木の葉みたいな、あの小さな身体で海を越える…。

そんな事が可能なのか。

ひらひら舞う姿からは、とてもそんな力があるとは思えない。


「台風に乗ってくるとか諸説あるそうだ。俺は、野山乃花お前さんがそう見えた事が、ある。風に乗って。野山乃花お前さんなら、越えるかも、な?海」


からかわれているのだろうか?

しかし門司もんじぃ先輩の顔つきは真面目だ。

いつも表情変わらないからよく分からないけど。


「うん。私も賛成。ハナっちなら。越えるんじゃないかな?海。行っちゃいなよ?海外」 

伊勢原先輩がそばかすのある顔で笑う。


「僕らの野山さんコーチなら。そうだね」

山城先輩が優しく微笑む。


…全く。 

三人が三人とも無責任に期待を掛け、恐らくは勝手に私の未来を想像して微笑む。

そんなに期待されても。

私は海外なぞ、行けないぞ…。


やがて浅葱斑アサギマダラが何とか烏揚羽カラスアゲハの高さまで追い付く。

すると二匹は今度はじゃれ合うように、お互いがお互いの周りを飛びながら何処かへ行ってしまった。


私はガラにも無く切なくなる。 


機屋リューリアイツとは、いつかまたとして、話せる日が来るだろうか?


最近アイツはかなり歳上の男と一緒にいる。

それを見る度、私は訳もなく不安になる。

…たぶん、アイツ悪い方向に進んでる。 

本当は、きっと、私が、アイツをぶん殴って目を覚まさせてやらなきゃいけない。

でも、そんな事が出来ない程、アイツとの距離キョリは離れてしまったな。


「…シッ」

突然、門司もんじぃ先輩が人差し指を唇に当てる。

全員が言葉を発するのを止め、門司もんじぃ先輩を見る。

「聞こえるか?月、日、星ツキ、ヒ、ホシだ。今日は何という日だ」


「?」


全員一瞬キョトン、としたが。

確かに…。

耳を澄ますと、かすかに、鳥の鳴き声が聞こえた。 


"ツキ、ヒ、ホシ、ホイホイホイ…ツキ、ヒ、ホシ、ホイホイホイ…"


なるほど。 

言われてみれば月、日、星ツキ、ヒ、ホシと聞こえる。


「真紀、あそこだ。カメラ。撮り逃がすなよ」

「えっ、ちょ!?あの尻尾長い鳥?」

伊勢原先輩がカメラを構える。


三光鳥サンコウチョウだ。月、日、星ツキ、ヒ、ホシで三光と言うワケだ。ちなみに静岡県指定の鳥でな。サッカーチームのエンブレムになってるぞ…と、行ってしまったか」


"ツキ、ヒ、ホシ、ホイホイホイ…ツキ、ヒ、ホシ、ホイホイホイ…"


三光鳥サンコウチョウの鳴き声が遠ざかる。


そして、私はふと気付く。

伊勢原先輩のカメラは三光鳥サンコウチョウを追いながら、山城先輩を捉えている。


"ツキ、ヒ、ホシ、ホイホイホイ…ツキ、ヒ、ホシ、ホイホイホイ…"


でも山城先輩は伊勢原先輩を見ていない。

山城先輩の、その視線の先には門司もんじぃ先輩がいる。


"ツキ、ヒ、ホシ、ホイホイホイ…"


…複雑な関係で。

奇妙な、奇跡的なバランスで。

私達の関係は成り立っている。


"ツキ、ヒ、ホシ…"


「受験終わったらまた遊ぼうね」

伊勢原先輩が誰にともなく呟く。

「そうだね」

「ああ、無事に受験終えて、俺は北海道に渡らねば」

山城先輩、門司もんじぃ先輩が頷く。


"ツキ、ヒ…"


でも。

その約束は果たされる事は無く。

私達四人が揃うのは、結局これが最後となってしまった。


"ツキ…"


三光鳥サンコウチョウの鳴き声は、まるで夏の終わりを惜しむように木霊こだまし。


やがて。


"…"


聞こえなくなった。

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