白と黒⑤

 今から九年前、大江都萬街おおえどよろずまちで連続殺人が起きた。


 一日に二人。

 一ヶ月で約六十人弱の人間が、ひとりの『殺人鬼』に殺されていったのだ。


 町人が殺された次の日には、有名だった富豪と町娘が殺害され、その次の日には、幕府の役人と釈放されていた罪人が標的となった。


 殺害対象に規則性の無い、無差別で無慈悲で無秩序な殺戮。

 しかし殺害方法だけは、愚直なまでに一貫していた。


 死体は四肢が断たれ、心の臓に刀が突き刺さった状態で発見される。

 そして必ず、顔を神仏が描かれた紙で覆われていた。

 まるで、死人を弔うかのように。


 『手足をり、心のに刃を突き立て、が描かれた紙をえていく』という独特な犯行から、町人たちの間でその殺人鬼は『仏斬ぶつぎ供臓くぞう』と呼ばれ恐れられた。

 事態を重く見た幕府は、『旗本衆はたもとしゅう』による厳戒態勢を敷き、加えて報奨金まで用意して血気盛んな市民にも捜索に当たらせた。


 結果、最初の犯行が露見してから、約三ヶ月後。

 実に百五十人以上を殺害した『仏斬り供臓』は捕縛され、幕府の有する巨大地下牢獄『伽藍堂がらんどう』―その最下層へ収容されたのだった。


・・・・・・


 昼下がり。

 幕府の書物庫にて『仏斬り供臓』についての資料を一通り読み終えた蒼羅そらは、他に誰もいないのを良いことに席にどっかりと座り込むと、頭の中で情報を整理していた。


 ―白髪の少女と出会い、凄惨な死体を発見したあの日から、一週間が経過した。


 あの日以降、街では殺人が多数起こった。

 山林の中で山賊とおぼしき男と街娘の遺体が見つかり、町中でも死体騒ぎが起こった。被害者はいずれも『手足を斬り、心臓を一突きにされ、更に仏が描かれた紙で顔を覆われた死体』となって発見されている。


 手口がまるきり同じなのだ、数年前に世間を騒がせた連続殺人鬼と。


 しかし、『仏斬り供臓』その人がいま再び、凄惨な殺人劇を演じ始めたというわけではないようだ。

 というのも、伽藍堂を統括する官吏からの情報に因れば、現在も彼は拘禁されており、脱獄した形跡は無いとのこと。

 つまり、いまこの時に人々を恐怖に陥れている仏斬り供臓は、本物ではなくだ。

 なんとも悪趣味な奴だと、蒼羅は心の中で唾棄する。


 この連続殺人事件は『仏斬り供臓の再来』とされ、その被害の甚大さから、大規模捜査班が編成される運びとなった。

 旗本衆の人員が二十人ずつ一班にまとめられ、その総数は五班。実に百人近くが捜索に加わっている。

 旗本衆の四天王と呼ばれる四大部隊が『西南の残党狩り』に出払っているため、選抜された訓練兵までもが捜査に加わるという話だ。

 既に訓練兵の中でも優秀な十数人が、捜索部隊に配属されている。


 そんな中、蒼羅はこうやって暇を持て余していた。

 ―そう、選ばれなかったのだ。


 選ばれた優秀な訓練兵というのは、技能判定の五つの項目、その全てにおいて甲種判定を受けている者だ。

 いくら徒手空拳の腕が他の追随を許さないとしても、その他が下回っていては意味がない。無力を噛み締めながら、それでも自分にできるだけのことをしようと蒼羅は決意する。


 書物庫を後にし広い廊下に出ると、背後から声を掛けられた。


「おォい、獅喰しばみぃ」


 その粘着質な声で誰がいるのかを察し、蒼羅は思い切りため息をつきたい気分になった。

 振り返ると、待ち構えていたかのように―珍しく取り巻きなしの一人きりで―立つ葦切統逸よしきりとういつは、にやついた笑みを浮かべながらこちらに近付いてくる。


「僕は捜索隊の第二班に選ばれたんだ。残念だったなァ獅喰、龍親たつちか様にお墨付きをもらったのに活躍できなくて。所詮、お前はその程度ってことだな。まぁ僕が代わりに戦果を挙げてくるから安心しろよ。そうだな、剣の一振りでお前一人分の働きと考えれば安いものだ」

「そうかよ。まぁ精々、足元をすくわれないようにしろよ」


 真面目に相手をするのも疲れる。蒼羅は適当に返して脇を通り抜けようとする。


「―おい、僕の話を聞けよ」


 と、あからさまに不機嫌な声とともに乱暴に肩を掴まれ、無理やりに統逸の方を向かされた。


「お前のような能なしが、 この僕にそんな口を聞いていいと思ってるのか」


 統逸はこちらに顔を近づけ、脅すような冷たい声音でそう言う。


 蒼羅も聖人君子ではない。

 自分でも分かっていることを他人から殊更ことさらに言われれば腹も立つし―よりにもよってコイツから言われてしまうと、一発ぶん殴ってやりたい衝動にもかられる。

 統逸からは見えない右の拳を、怒りと苛立ちのままぎりぎりと握りしめる―が、蒼羅は重いため息を吐き出すと、その手に込めていた力を抜いた。


 ―やめだ、こんな奴を殴ってどうなる。


 それは八つ当たりというものだ。

 今この男を殴ったところで、自分が捜索隊に配属されるわけではないし、状況が好転するわけでもない。

 気分は晴れるかもしれないが、それだけだ。


 しかし統逸は、蒼羅のため息を嘲りと取ったのか、屈辱に耐えるように顔を歪めて胸倉を掴んでくる。


「お前……ッ!」


 そのとき、言葉の続きを遮るように銅鑼の太い音が城中に響いた。

 捜索隊の召集だ。


 『助かった……』と心の中で呟き、蒼羅は統逸の手を無理矢理に振りほどく。


「早く行けよ。こんな能無しに構ってるほど暇人なのか? お前」


 しかし言われっぱなしのやられっぱなしではいられない。せめてもの抵抗として皮肉を返すと、統逸は舌打ちをひとつ、肩を怒らせて踵を返していった。


 —あぁ、もううんざりだ。


 やるせない溜め息をついた蒼羅は、頭を軽く振って思考を切り替える。

 そこで蒼羅の脳裏に、白髪の少女が浮かび上がった。

 警察機関の人間ではないのに真剣を所持していた彼女のことは、まだ誰にも喋っていなかった。


「……まさか、な」


 そう思いながらも、やはり胸の内に芽生えた不安と疑念を拭い切れない蒼羅は、もうひとつの決断とともに足早に廊下を進んでいく。

 あの少女が『仏斬り供臓』となにか関係するのか、調べてみる価値はある。


・・・・・・


 日は既に暮れ、宵闇が押し迫る時間帯。

 薄暗い大通りを、『仏斬り供臓』捜索隊第五班の二十人が封鎖している。

 その中に一軒だけ、窓や戸の隙間から煌々と明かりの漏れる建物があった。


 比較的規模の大きな旅籠はたごであるそこは、模倣犯の潜伏場所として眼を付けていた場所。

 そしてそこからは、外にいても分かるほど強い死臭が漏れ出していた。

 ―当たりだ。


 隊長格の大柄な男が全体に指示を飛ばすと、一般人を巻き込まないための見張りを四人残して、十六人が隊列を成してぞろぞろと正面から入り込んでいく。


 えた臭いが充満する建物の一階部分は、天井からの明かりひとつが部屋の中央を照らすのみ。二階に続く階段や別館への入り口があろう部屋の四隅は、暗闇に満たされて見えない。

 橙色の照明によって唯一見える広間の中央にあったものを見て、全員がそろって絶句した。


 それはただひたすらにむごたらしい悪夢。

 赤黒い血で浅瀬のように浸された床には、いくつもの死体が無造作に転がっていた。その数や三十は下らない。

 死体はことごとく四肢を断たれ、心臓には刀剣が墓標めいて突き立てられている。そして例のごとく、顔は仏画を描いた紙で覆われていた。

 死者をとむらう霊園を模しているのだとしたら、悪趣味極まりない光景だ。


「……酷い」


 誰かが唖然あぜんと呟く。その場にいた全員が同じ気分だったろう。この世ならざる地獄の光景に、青ざめた顔で嘔吐し始める者もいた。


 ―ひたり、ひたり、ひたり。


 突如として濡れた足音が響いた。その場にいた全員に緊張が走り、隊長格の男を取り囲むようにして周囲へ展開。三百六十度全てを十六人の目によって見回し、わずかな景色の変化にも即座に対応出来るよう感覚を研ぎすます。


 やがて部屋の奥、烏玉ぬばたまの闇から明かりの下へと、にじみ出すようにして人影が浮き出た。


 黒い編み笠を被った長駆の男。墨色の着流しから覗く肌には、すすや返り血でまだら模様となった包帯が、一分の隙も無く巻かれている。

 右手にげた長刀からは幾度となく赤い血が滴り、この地獄を作り出したのが誰なのかを暗に物語っていた。


「ぶ、『仏斬り供臓』……ッ」


 異様な身なりのその男を目にした瞬間。震える声で誰かが呼んだその名に、隊員たちには戦慄せんりつが広がっていく。

 対する『仏斬り供臓』―の模倣犯は、暗く濁った双眸そうぼうで自身に視線を注ぐ集団を見回したあと、錆びた声で笑った。


「やはり『匂い』というのは便利だ。ただ待つだけで次々と鼠が群がる。―否、鼠と称するのは侮蔑ぶべつか。この場に集ったのは『旗本衆』のつわもの、雑草のごとくそこらにむらがる町民よりも遥かに者どもだ」


 ―なにを言っている?


 隊長格の男は眉をひそめたが、すぐに思考を戦闘指揮のための冷徹なものに切り替えた。

 所詮は気を違えた異常者の妄言、付き合っている暇はない。

 男は背筋に走る怖気を掻き消すように怒号を放つ。


「総員突撃!! 模倣犯を捕獲しろッ!!」


 号令によって十六人がそれぞれ散り、自身を包囲し始めていく中、悠々と両手を広げる模倣犯。

 包帯で覆われた顔から覗く両の目は、冷たい笑みの形に歪んだ。


「良い、実に良い。さぁ来い、まとめて全員―我が悲願の為のにえとなれ」


・・・・・・


 規則的に並んだ瓦斯ガス灯の光が、辺りをわずかに照らすばかりの夜道。


 蒼羅は顎に手を当て思案しながら、大通りへつながる道をあてもなく歩いていた。

 幕府の捜索隊第五班が、予定時刻を大幅に過ぎてもことなど、彼が知るよしも無い。

 あのあと日が暮れるまで街の人々に聞いて回ったが、一週間前のあの日以降、白髪の少女が撃剣興行を行った様子はない。

 撃剣どころか、その姿さえ見た者はいないという。


 不自然な合致だ、と蒼羅は思う。

 一週間前から姿を消した少女。

 そして一週間前から急速に被害が拡大していく殺人事件。

 蒼羅の思考の中で二つは結びつき、ある仮説が生まれていた。


 『朱羽屋』と呼ばれるあの少女こそが『仏斬り供臓』の模倣犯―この事件の犯人なのでは?


 世間では一般市民に帯刀は許されていない中、あの少女は確かに真剣を所持していた。それにあの身なりはどう見たって警察機関の人間がするような格好ではない。

 そして『仏斬り供臓』の模倣犯の殺害方法は独特ながら、全て刀を使った犯行だ。可能性としては充分に考えられるだろう。


 だが決めつけるのは早急に過ぎる。判断材料も足りない。もう少し確実な情報を集めないと―蒼羅はそこではっと我に返った。


「……ッ!」


 人影の絶えた通りに吹く寒々しい夜風が、強烈な死臭を運んできたのだ。

 蒼羅は吐き気を覚える嫌な臭いを吸い込まないよう左手で口元を押さえながら、その出所を探るために通りを進んでいく。


 ―あそこか。


 見れば、一軒だけ不自然に明かりの灯った旅籠があった。がらりと開けっ放しにされた引き戸から、あの死臭が垂れ流されているのだ。

 これが模倣犯の騒動と無関係とは思えない。

 蒼羅は迷うこと無く、がら空きの玄関から旅籠の中へと踏み入った。


 一歩踏み込んだ瞬間、鼻を付く饐えた臭いが強まる。

 顔をしかめながら、静謐せいひつに満ちた部屋の中央へ向かっていく蒼羅。その足下からはひたり、ぴちゃりと水音が響き、気味の悪いぬるさが軍靴ごしに伝わる。

 嫌な予感を覚えながら歩いていた蒼羅は、やがて立ち止まり、天井からの明かりが照らし出す光景に言葉を失った。


 よどんだ血で浸された床の上。四肢を断たれ、心臓を刀で貫かれた死体がごろごろと転がる。

 部屋のあちこちで積み重なった死体の山から流れ出す血は、山から流れた水が川を経て大海へ向かうように、その稜線りょうせんを伝って血溜まりへ流れ込んでいた。


 まさしく屍山血河しざんけつがと呼ぶに相応しい地獄。を覚える光景に、蒼羅は目眩めまいに襲われたようにふらつき、後ずさった。

 記憶から別の惨劇が引っ張りだされ、脳裏で再生されていく。


 血で染まったような夕焼け。

 流血で黒ずんだ土。

 斬り殺された何人もの人、人、人。

 屍肉をついばむ幾羽ものからす

 そしてその只中ただなかに佇む、ひとりの―


 ―落ち着け、落ち着け、落ち着け。


 頭痛をこらえるようにこめかみに手を当て、自分に言い聞かせる。胃の奥からり上がってくる吐き気と叫びだしたいほどの怒りを飲み下す。

 頭を小さく振って脳裏の幻想を振り払ったあと、直視するのも躊躇ためらわれる惨劇を、蒼羅はもう一度自身の目で確認していく。


 死体の数は四十人ほど。見れば、死体の中には旗本衆の軍装を着込んだ者が少なくない。その数、部屋の死体のおよそ半数は占めていると見える。

 確かこのあたりで動いていたのは第五班の二十名。―おそらく全滅だ。

 冷静にその事実を受け止めつつも、腹の底で煮えくり返る激情はその熱さを増していく。


 その時、上からの物音が蒼羅の耳に飛び込んできた。

 足下に広がる地獄ばかりを見ていて気付いていなかったが、薄暗い部屋の四隅の中で一カ所だけ、上から漏れだす光にぼんやりと照らされる箇所があった。近づいて見てみると、手すりと段々に続く足場。上の階へ通じる階段だ。


 足音を立てないよう注意を払いながら上っていく。

 辿たどり着いた薄明るい廊下は一本道で、人が二人並んで歩けば道を塞いでしまうような狭さだった。

 四つの柱と閉め切られたふすまが壁となって左右に続くなか、左側の一カ所、突き当たりにある一室の襖だけが開かれ、部屋の中の明かりが外へ漏れていた。


 血の足跡がついた床をなかばまで進んで分かったことがひとつ。

 その襖は、廊下から部屋の中へと倒れ込んでいた。まるで、誰かが体当たりをして無理やり部屋の中へ押し入ったようだ。

 いつでも引き抜けるよう軍刀の柄に手をかけながら、蒼羅は閉められた襖に背を付けて、空いた襖へ近づいていく。


 おそらくこの部屋の中に誰かがいる。

 下の階で大量の人間を惨殺してみせた張本人か、あるいは……


「また一人、鼠が紛れ込んできたか」


 突然、部屋の中から錆びた声が響いた。

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