凹凸と凹凹④

「—行くぜ行くぜ行くぜッ!!」


 先行するのは狒々愧ひびき

 愚直なまでの一直線で突っ込んでくる相手に対し、朱羽あけはは左手で小太刀を引き抜くと、右腕を振った。


「ッ!?」


 鼻先に飛んできた。狒々愧は反射的に己の動きに急制動を掛けた。

 目の前に突然なにかが出現すれば、視界の焦点はその物体に否応なく収束し—意識はそちらに向かう。


 狙い通り、狒々愧は鞘に

 ほんの一瞬、わずかな間隙かんげき、しかしそれで十二分に事足りる。


 さやを間一髪で避ける狒々愧。

 体勢を崩した彼の側頭部に、一息に距離を詰めた朱羽の上段回し蹴りが叩き込まれた。赤い円弧を描いた右足の下駄が、狒々愧のこめかみを打つ。


「ごっ―」


 白目をいて吹き飛んだその身体は、無造作に積まれていた木箱の山を破砕して朦々もうもうと土煙を上げた。


「そうやってすぐ突っ込むから……」


 見事に返り討ちにされた弟を見た依智いちは肩を落とし、悩ましげに指で目頭を押さえる。


「で、あんたはどうすんの?」

「頑張るしかないでしょう、ひとりで」


 鞘を拾い上げながら問う朱羽に、溜め息混じりに二刀を構え直す依智。

 朱羽は左へ、依智は右へ。間合いを測る両者は円弧を描いて移動しながら、静かに睨み合う。


 先に動いたのは依智。朱羽へ距離を詰める―

 と見せかけて、軍靴ぐんかで土を削って砂塵さじんを巻き上げた。


「……っ」


 砂かけによる目潰し。

 朱羽が手をかざしひるんだ刹那せつな、既に猟犬は懐へ入り込んでいた。


 右の大刀を背に隠し、左に持つ小刀を振るう。横一文字に閃く銀は、後退する朱羽の鼻先を掠めるようにして通り抜ける。

 依智はさらに距離を詰めながら、左手首を次々とひるがえし素早い連閃。後退し続ける朱羽との間に、残光がナナメの十字を幾度も刻み込む。


 しかし、朱羽が意識を集中させていたのは、依智が背に隠した大刀だった。

 眼前を斬り刻み続ける小刀は目眩めくらましに過ぎない。は―


 朱羽は一段強く土を蹴って跳躍。

 その瞬間、大きく踏み込んだ依智の大刀による一閃が追いすがる。

 身体が空中にあっては回避行動など取れない。後ろに跳ぶ瞬間を狙っていたのだ。

 しかし朱羽は顔に笑みさえ浮かべていた。


 ―読み通りだ。

 身体をひねりながら、刀と交錯こうさくさせるように右脚を跳ね上げる。下駄が依智の篭手こてを打ち、刀は反対方向へ弾き飛ばされた。朱羽は回転の勢いのまま、軽業師かるわざしのように華麗な宙返りを決めて着地。


「いきなり目潰しとか……野良犬根性が染み付いてんのね、意地汚い」

「私は貴女あなたと戦いに来たわけじゃない。貴女を捕らえるために、効率的な手段を取っただけ」


 立ち上がり、着物に付いた土埃をはたき落としながらあざける朱羽に、依智は眉一つ動かさずに淡々と返す。


「よく言う。本当に捕まえられると思ってんの?」

「捕まえる。今ここで」


 言い放ち、再び大小二刀を構えて突貫する依智。

 朱羽は左足で踏み込み、大上段から一刀。間合いに踏み込んだ依智を迎え撃つ。


 しかし依智は二刀を逆手に握り直したかと思うと、身体を大きく沈み込ませ、助走の勢いのまま朱羽の右足を払うように蹴りつけた。


「……ッ」


 体勢を崩す。間髪入れずに依智は朱羽の左膝を踏み台にして飛び上がり、膝蹴りを叩き込んだ。勢いのまま仰向けに倒れ、朱羽の背は地面にしたたかに打ち付けられる。


「かは……ッ」


 胸郭きょうかくきしみ、衝撃で肺の空気が一気に絞り出された。

 そのまま馬乗りになった依智は、手にしていた刀を地面に突き立て、篭手に包まれた両手の指を握り込んだ。

 うれいを帯びた目に、冷たく酷薄こくはくな色が差す。


「嫌いなの。貴女のその綺麗な顔」


 吐き捨てる言葉と共に振り下ろされる右の拳。

 朱羽が苦し紛れに首を曲げた直後、顔のすぐ横に着弾。篭手の第三関節に仕込まれた犬の爪のような突起が、地面に小さな穴を穿つ。


 あんなもので顔を殴られたら、目も当てられない姿になるのは明白。

 この状態では刀をろくに振るえない。腕に当たれば肌に穴が空くだろう。受けることもできない。

 続く左の拳。再び顔を狙う一撃に、青ざめた朱羽はとっさに刀と鞘を手放し掌底しょうていを打ち込んで逸らす。

 次々と打ち込まれる左右の拳。それを間一髪でさばきながら、朱羽は苦しげにうめく。

 畳んだ足で鳩尾みぞおちを押さえつけられ、上手く呼吸できない。


 拳打の応酬の末、朱羽の防御はついに破られた。十字架にはりつけにされたかのように、両腕は外側へと弾かれる。


 依智は最大の好機に上半身を捻り、最大限まで右拳を引き絞る。

 相貌そうぼうを叩き潰すための一撃が振り下ろされるよりも早く、跳ね上げた朱羽の足がその背中を蹴り付けた。


「ッ!?」


 依智の上半身が前のめりに倒れ、顔を狙った拳は的外れな地面を叩く。

 猟犬の脇腹を殴り付けながら、朱羽は寝返りを打つようにして馬乗りの状態を脱する。ついでに取った左足の関節をめてやろうとしたが、依智の蹴りに後退させられ叶わない。


 再び距離の開いた両者は立ち上がる。

 その中間地点には各々の得物が放置されていた。朱羽は大きく深呼吸し、欠乏けつぼうしていた酸素を全身に行き渡らせる。

 二人は相手と己の得物をそれぞれ一瞥いちべつ、全く同時に駆け出す。


 一歩先んじたのは朱羽。

 己の小太刀よりもわずかに近い場所に突き立っていた大小二刀を、それぞれ蹴り飛ばして依智を牽制けんせいする。

 回転しながら飛来する己の得物に対し、依智は小刀を篭手で真上へ弾き、大刀を半身になって避けながら掴み取った。


 朱羽は前転、小太刀を拾い上げながら間合いへ転がり込み、下段から斬り上げる一閃を放つ。

 手にした大刀で迎え撃つ依智。鋼が噛み合った瞬間、朱羽は刃先を足元に向けた。

 火花を散らして刃が滑り、大刀はそこに込められた力の流れのまま朱羽の横へといなされる。

 大きく隙をさらす依智。攻撃を打ち込む絶好の機会に、しかし朱羽は地面を蹴って距離を取った。

 その瞬間、鋭い音を立ててなにかが地面に突き立つ。


 それは小刀―依智が先ほど篭手で弾き飛ばしたものだ。

 あのまま斬撃を放っていれば、落下してきたその切っ先に脳天を貫かれていたかもしれない。


「―時間稼ぎには充分かしら、ね」


 ほくそ笑むように言葉をこぼす依智。

 こたえるようにそのすぐ隣から影が伸び来て、朱羽の腹を突いた。


「……ッ」


 不意を衝かれ数歩後退、よろめいた身体を支え切れず膝を突く。

 依智の隣にいつの間にやら並び立っていた影を見て、朱羽は首をかしげた。


「……あれ? 確実に意識をったと思ったんだけどな」

「うけけ、残念でしたぁ……まぁ、昼寝にはちょうど良かったや」


 狒々愧は欠伸あくび混じりに答えながら、った筋肉をほぐすように首をぐるぐると回していた。


めてかかるのが狒々愧の悪いクセ」

「へいへーい」


 振り返りもせずにくぎを刺す姉に、弟は舌を出して茶目ちゃめっ気のある笑みを作る。どうやら反省する気は毛頭ないらしい。


「―貴女、

「どいつもこいつも、あたしの何を知ってるんだっての……」


 向き直った依智の嘲るような言葉。長屋の壁に背を預けてへたり込んだままの朱羽は、意識せず片眉が跳ね上がるのを感じた。

 二対一は分が悪い。ここは―


「―


 まるで内心を見通したように、釘を刺してくる狒々愧。朱羽はきょかれたように押し黙った。


「……あんな疫病神やくびょうがみ最初はなっから宛にしてない」

「強がんなよ、図星なんだろ? 上がってんぞー?」


 ぶっきらぼうに吐き捨てる朱羽に、狒々愧は見透かすような笑みを浮かべた。

 嘲弄ちょうろうに朱羽は小さく唇を噛む。悔しいがその通りだ。

 蒼羅そらも頭数に入れて作戦を考えていたことに、


 —としていたことに、気付かされた。


 今までひとりでやってきたはずだ。

 他人なんて、足手まといでしかなかったはずだ。

 誰かを頼ろうなどと、いつからそんなにぬるくなった?


 これはあたしひとりの問題。誰かを巻き込む道理などない。


 心を冷却し、甘えを取り除いていく中。

 戦場と化した狭い路地裏に、新たな足音が響いた。


 訪問者へと一斉に視線を向ける三人。

 見咎みとがめたその人影―憤怒ふんぬとも哀惜あいせきともつかぬ複雑な表情で己を睨み据えるに、朱羽はなか呆然ぼうぜんと口を開いた。


「……蒼羅」

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