凹凸と凹凹③

 葦永あしながが差し出した人相書き—そこに載っていたのは、長い白髪にやや吊った猫目の、眉目秀麗な少女の似顔絵。

 そしての名だった。


 蒼羅そら泥汰羅でいだらの苦しげな反応を首肯しゅこうした葦永は、人相書きを指差して続ける。


「ここ数ヶ月、通りで撃剣げっけん興行をして回っていた女だ。確か……『朱羽屋あかばねや』と名乗っていたか。彼女を参考人として捕らえることが決まった。既に各部に通達が行っている」


 語る中で、葦永の口調は猜疑的さいぎてきなものへと変わっていく。


「なんでもこの件、一般市民への注意喚起は行わず『内々に済ませろ』と龍親たつちかからの命令だ」

「確かに。疑惑とはいえ、『旗本衆はたもとしゅう』の人間が殺しをやっていたとなれば大問題だ。治安維持機構が揺らぎかねん」


 納得を顔に浮かべた泥汰羅がうなずく。葦永は信じられないような顔をして、泥汰羅と朱羽あけはの似顔絵を交互に見た。


「……『旗本衆』? この女が?」


 その反応に、蒼羅は自分が配属された当初を思い出して苦笑し、泥汰羅は呆れたような溜め息をつく。


「まぁ、集まりには出ないお前が知らぬのも無理はないか。龍親の義理の妹君だよ。どこでお前に似たのか……城には滅多に顔を出さん」

「あぁ、なるほどね……道理で、龍親が随分ずいぶんわけだ」


 納得し頷く葦永を尻目に、蒼羅はいぶかしむように難しい顔をしていた。


 ―辻斬つじぎりを、朱羽が?

 まるで信じられない。彼女は昨日の夜から朝まで同じ部屋で寝ていた。やたらに寝相が悪かったのを覚えている。

 それに、『醜落しゅうらく』近くの獅喰しばみ家から事件現場までかなり離れている。夜中に馬車など走っていないから、一夜で往復できる距離じゃない。


 だが、なんて浮世離うきよばなれした存在―朱羽の他に思い当たらない。


 己に投げかけられる視線に気付き、思案を止め顔を上げる。

 目を向けた先にあった泥汰羅の双眸そうぼうは、審訊しんじんくように蒼羅をまっすぐに見据えていた。


「獅喰。この娘と組んでいたろう。彼女は今どこにいる?」

「朱羽なら、今……」


・・・・・・


「……あれ?」


 朱羽は路地裏の行き止まりに立ち、首を傾げていた。

 ある人影を追い掛けてここまで来たのだが……三方を長屋の壁に阻まれたこの場所で相対するはずだった人影の姿がない。


「確かにそこの角を曲がってきたのに……」


 自分が来た道を振り返った後、きょろきょろと周りを見回す。

 長屋の壁は高く、よじ登るのはかなり時間が掛かる。飛び越えるなんて常人にはまず無理だ。

 だが、追っていた人影は忽然こつぜんと姿を消した。きびすを返す他に、行き場所は無いはずなのに。


 ―ならば一体どこに?

 浮かんだ謎を解決するための沈思黙考ちんしもっこうは、しかし背後から近付くに中断を余儀よぎなくされた。

 足音は。それらが近付いてくるに連れ、たずさえている得物えものが鳴る音も混じり始める。


 やがて数歩後ろで足音は止んだ。

 同じく行き止まりに迷い込んだ……というわけではないだろう。その証拠に、背後から放たれる重く鋭いが肌を刺す。


 ―なんかやーな感じ。

 漠然ばくぜんとした、しかし確実な悪い予感の通り。大儀たいぎそうに振り返った朱羽が睨み付ける先には、二人組が立ち塞がっていた。


「珍しい、あんたら姉弟きょうだいが来るなんてね。依智いち狒々愧ひびき


 片方は軍服をきっちり着込んだ少女―隠神依智いぬがみいち

 犬耳と尻尾めいてわれた黒髪。鼻と口元は獣の頭骨が意匠された黒布に覆われ、気怠けだるげに垂れた目許めもとのみがのぞく。

 細い手足には、骨を模した鋭角の篭手こて脚絆きゃはんが装備されていた。両手は腰に差した大小二刀の柄に油断なく添えられている。


 もう片方はそですそを切り詰めた改造軍服の少年―隠神狒々愧いぬがみひびき

 茶髪の毛先は方々ほうぼうに跳ね、顔に隈取くまどりめいた化粧。軍服の前は開けられ、締まった筋肉が露わ。

 手には己の背丈と同じほどの長棍を携えている。

 朱色の漆塗うるしぬりに、流れる渦雲うずぐもめいた金の装飾と蒔絵飾まきえかざりの意匠が施されたそれは、大陸の伝奇に登場する如意棒にょいぼう彷彿ほうふつとさせる。


 番犬めいて微動だにしない少女と、猿のようにせわしなく動く少年。

 対照的な二人は、朱羽と同じ『旗本衆』の一員だ。


「なぁ『朱羽屋あかばねや』―いや、九条朱羽くじょうあけはさんよー。ちょっと用があるんだが」


 狒々愧が人懐ひとなつっこい笑みを浮かべ、一歩前に出る。表情に反して、刺すような敵意は変わらない。


「あたしには無い。……ねぇ、そこ退いてくれない?」


 にべもなく返す朱羽の言葉も、敵意を受けて自然と剣呑けんのんなものになる。その態度に、依智は不審そうに眉根を寄せた。


「もしかして貴女あなた、自分の置かれてる状況を分かってない?」 

「いや……なんとなく察しは付いてるけど」


 怠そうな低い声音に責められ、朱羽はばつの悪そうに目を逸らす。

 かと思うと、鬱陶うっとうしげに溜め息をつきながら反抗的に二人を睨み付けた。


「どうせまた、撃剣げっけんばっかやってないで仕事しろってでしょ。なに、龍親の奴が言ってんの?」


 開き直るように言い放った朱羽。

 狒々愧は目を丸くしたあと、大笑いしながら手を振って否定した。


「うけけけけ。違う違う、全っ然、違う。なーんにも分かってねぇみたいだから、親切な俺が教えてやんよ……お前には辻斬りの容疑がかかってる」

「……はぁ?」


 ひとしきり笑った後、笑みを消し去って冷たく宣告する狒々愧。

 朱羽は胸中に疑問符を浮かべながら、小さく狼狽ろうばいした。

 —そんなことをした覚えはない。


「人違いじゃないの? あたし、こないだまで『醜落』の近くにいたし―」


 文句をさえぎるように言い放った依智は、朱羽の白髪を胡乱うろんな目で睨み付ける。


「辻斬りが起こると、決まって白い髪の女を見たって話が上がる。貴女くらいしかいないでしょう、そんなの」

「ってなわけで、屯所とんしょまでご同行願いたいわけなんだが?」


 二人の言葉を、しかし朱羽は鼻で笑った。


「ご両親に教わらなかったの? 『人を見た目で判断するな』って。あたしはやってないから」

「詳しい話は屯所で聞く」


 呆れた溜め息混じりの反論に対して、にべもなく言い放つ依智。

 朱羽は苛立いらだたしげにうなり、頭痛をこらえるように額に手を当てる。


「大人しく捕まっておいたほうが身のためよ。今ならはしない」

「なんで濡れ衣にそこまでしなきゃいけないの」


 噛みつくような朱羽の返答に、姉弟は溜め息とともに目を伏せた。

 二人のまとう雰囲気が変わっていく。姿を見たときから放っていた敵意のとげが、さらに鋭く研ぎ澄まされていく。


「―貴女、もっとだと思ってた」

「―従わないんなら、だな」


 薄々うすうす感づいていた彼らの狙いを今はっきりと理解し、朱羽は肩を落としてやれやれと息を吐き出す。

 ―話し合いでどうにかする気など、


「貴女が素直に従うなんて思ってない」

「だから武装こうして、わざわざ捕まえに来てやったんだよ」


 大小二刀を抜き放つ依智。棍を振り回し構える狒々愧。

 朱羽は鬱陶しげに目を細めながら、腕を軽く振った。鞘に収まった小太刀がそでから飛び出し、それを鍔元つばもと近くで握り込む。


「それはそれはご足労どーも。無駄足だったんじゃない?」

「無駄足かどうかは、これから決まる」


 こうなってしまえば、もはや引き返す手立てはない。そもそも引き返したところで後ろは壁だ。


 睨み合う三者の間、敵意と闘争心にさらされた空気がきしむ。この緊張が、どこか心地いいとさえ思えてくる。

 朱羽は親指で鍔を押して鯉口こいぐちを切った。


 ひびすずやかな鍔鳴つばなり―それが開戦の合図。

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