凹と凹⑦

「特別に、最前列の特等席を取ったぞ。御剣姫みつるぎひめ獅喰しばみ君は、そこで僕の演奏をたんと堪能してくれたまえ」


 慰霊演奏会の当日。蒼羅そら朱羽あけは、そして麗雅うるまさは馬車に揺られていた。


「……そうそう、御剣姫の剣舞も演目に追加したのだ。掛け合ってな、特別に時間を取ってもらった」


 蒼羅は馬車に乗ってからというものの、ずっと神経を張り詰め、周囲に気を配っている。楽しげに語る麗雅の声も半分ほどしか耳に入らない。


「……なーにピリピリしてんの?」


 唐突に掛けられた声に振り向くと、朱羽が怪訝けげんそうな猫目で蒼羅の顔をのぞき込んでいた。

 距離が妙に近い。鼻先に顔があったものだから、ぎょっとして思わずる。

 その様子に小首をかしげる朱羽に、蒼羅は顔を背けながら答えた。


「……いや、なんでもない」

「そう、ならいいけど。……あ、でもあんまり不機嫌な顔してないでよ。不幸顔のあんたがそんな顔してると、いよいよこっちの運気まで下がってきそうだから」

「はいはい、分かったよ」


 朱羽の余計な一言に、煙たげに手を振って返す。

 ―こっちの気も知らないで偉そうに。

 心の中で毒づくと、蒼羅は車窓からの景色を眺めた。

 馬のひづめが石畳を叩く、軽快で規則正しい音。

 それと共に流れていく『雅郭ががく』の異国めいた街並みを見ながら思い返すのは、昨日のシスター・ヒプノとのやり取りだ。



 連れ出された廊下のすみで、シスターは人目をはばかるように辺りを見回すと、声を潜めて話し出した。


「その、麗雅さんの演奏会のことなのですが。……獅喰さん、『』ってご存知ですか?」

「……えぇ、知ってます」


 『芸術家殺し』。

 昨日、小料理屋で暇つぶしに読んでいた瓦版に載っていた殺人犯だ。

 能で使われるようなおきなの面を被った、じしの男。

 数週間前から犯行を重ね、被害者は浮世絵師、彫刻師、演奏家など、既に五人に上る。

 被害者に共通するのは、全員がなにかしらのたしなみ、それを生業なりわいとしていることだ。

 加えて『芸術家殺し』には、彼らの展覧会や演奏会に現れ、なおかつ多くの衆目にさらされる場所で標的を殺す、という奇異な特徴があった。

 その犯行方法から人目に触れる機会は多く、容姿は既に明らかだ。しかし逃げ隠れも上手いようで、未だに捕まってはいない。


 それが何故、麗雅の演奏会と関係してくるのか―聞き返すまでもない。


「演奏会に、『芸術家殺し』が現れるかも知れないと?」

「えぇ。麗雅さんはあんな性格ですが、こと音楽や演奏に関しては天賦てんぷさいをお持ちです。杞憂きゆうで終われば良いのですが……」


 蒼羅の問いにうなずいたシスターは、麗雅と朱羽が談笑しているであろう部屋を心配そうに見やる。

 ちまたを騒がせる殺人犯に、身近な者が狙われるかもしれないのだ。

 その心中を察し、蒼羅は痛ましげにシスターを見た。

 改めてこちらに向き直ったシスターは、不安に揺れる目で、すがるように見つめてくる。


「念には念を。注意するに越したことはありません。私がおそばにいれば身をていしてお守りすることもできましょうが、あいにく今回は同行できないもので。……そこで、あなた方にを頼みたいのです」

「……ちょっと待ってください」


 しかし蒼羅は眉根を寄せ、その頼みを制した。

 請け負いたいのは山々だ。しかし危険が及ぶ可能性があると分かっているのなら、まずはそれを未然に防ぐべきだ。


「そもそも『芸術家殺し』が現れる可能性があるなら、それを理由に演奏会を自粛じしゅくすればいいんじゃないですか?」


 例えばそう、わざわざ危険へ飛び込まなければ良いだけの話だ。

 しかしシスターはその提案に、ゆるゆると首を横に振る。


「麗雅さんには何度もお伝えしました。命を狙われるかもしれないと。けれど彼は演奏会をやると言ってはばかりません。しまいには『殺人犯が相手だろうと、僕の演奏のとりこにしてみせるまでさ!』なんて言い出す始末……」


 はぁーっ、と大きな溜め息をついたシスターは、眉を八の字に下げてやるせなさを顔ににじませる。


「麗雅さんは一度決めたら、よっぽどのことがない限りはそれを曲げません。良くも悪くもあの方の性根は頑固がんこです。こうなっては護衛のひとりでも付けないと、不安で不安で仕方なくって」


 その言葉の後、シスターは蒼羅を気遣きづかうように苦笑した。


「分かっています。これはとても勝手で、贅沢ぜいたくなお願いです。けれど麗雅さんは讃美音宮さびのみや家の唯一の跡継ぎ、みすみす死なせるわけには行かないのです。―どうか、どうかよろしくお願い致します」


 深々と頭を下げるシスターを見て、蒼羅は困ったように頭を掻く。

 返事にきゅうしてしばらく黙り込んでいると、シスターはいよいよ三つ指をついて土下座の体勢を取り始めた。

 流石さすがにそこまでされては断れず、結局引き受けてしまった。

 蒼羅は義理人情に弱く、誰かのための願いはどうにも断れない人間だった。


 『芸術家殺し』は、多くの衆目に晒される場所で標的を殺す。本来なら演奏会の会場に着いてから警戒を強めるべきだ。

 だがその法則が全てに当てはまるとは限らない。

 もしかしたら、今回は別の場所で襲撃を行うかもしれない。そう考えると気は抜けない。

 そして麗雅の護衛と『芸術家殺し』については、朱羽には伝えていなかった。

 朱羽のことだ。麗雅が命を狙われていると知ったところで、『麗雅さんが殺されれば、問題そのものがなくなって清々する』などと言い出しかねない。

 自分本位で動く彼女が、護衛の話に乗るとは思えなかった。



 そんな考え事をしているうちに、一際ひときわ大きな馬のいななきと共に馬車が停止する。


「さぁ、着いたぞ」


 真っ先に降りた蒼羅が周囲を見回す。辺りに不審な人影はなし。

 ―となると、仕掛けてくるのはやはり会場の中か。

 贔屓ひいきの客を見送るためか、馬を駆っていた御者ぎょしゃも馬車から降りてきた。

 柔和な笑みを浮かべた、線の細い男だ。朱羽と麗雅にうやうやしく礼する彼を、蒼羅は静かに睨み付けた。

 別に、自分にも頭を下げなかったのが気に食わないわけではない。

 彼が頭を下げる直前。

 朱羽と麗雅へ配った視線に、のようなものを感じたのだ。

 しかし、再び顔を上げた彼は、さっきと全く同じ笑みを浮かべていた。


 ―見間違えか?


 蒼羅が首を捻っていると、その男を見た麗雅が『ふむ?』と首を傾げた。


だな。君、新入りかい?」

「えぇ。今日は讃美音宮家の方の送迎をすると聞いて、上の者に頼み込んで担当を代わってもらったのです」

「ほーう」


 御者の男は頬を紅潮こうちょうさせ興奮気味に話す。きっと普段から麗雅の演奏を愛好しているのだろう。

 しかし男の表情は途中でしょぼくれたものに変わった。


「演奏を聞きたいのは山々なのですが……ただの御者ですゆえ、残念ながらここで待つことしかできません」

「何を言う。音楽の感動というものは、へだてなく全ての者に与えられるべきだ。君が席に着けるよう、僕の方で取り計らおう」

「ほ、本当ですか!? あぁ、ありがとうございます!」


 感極まった様子で頭を下げる男に、麗雅は満足げに大きく頷いた。


「うむうむ、ではたっぷりと聞き惚れるがいいぞ!! さぁ行こう!!」


 はっはっは!! とご機嫌で前を進む麗雅の後を追いかけながら、蒼羅はより気を引き締め、会場へと足を踏み入れた。


・・・・・・


 慰霊演奏会の会場は、黒紋付の着物を着込んだ老若男女であふかえり、悲痛な静謐せいひつで満ちていた。

 蒼羅と朱羽に(そして何故か御者の男にも)あてがわれた席は、客席の最前列―よりにもよって麗雅に一番近い、真ん中の位置だった。

 当然、朱羽が中央の席―演奏する麗雅の真正面に。

 その左右に蒼羅と御者の男が座っている。


 蒼羅は開会の挨拶あいさつを待つ間、暇つぶしを兼ねて左隣の朱羽へと話しかけた。


「お前の撃剣、勝手に演目に入れられたけど……本当にやるのか?」

「やるけど? せっかく麗雅さんが演目に追加してくれたんだしね。―それに、名を上げる絶好の機会だもの」

「そういうもんなのか?」

「そういうもんなの」


 開会の挨拶と遺族代表の弔辞ちょうじを終え、ほどなくして始まった麗雅の演奏。

 それは、蒼羅の予想を大きく裏切るものだった。

 精緻せいち手捌てさばきで奏でられる雅な調べは、音楽や芸術にうとい蒼羅であってもその技量の高さが分かるほどで、聞き惚れてしまうものだった。

 楽器から放たれる心地よい音の揺らぎが、徹夜の鍛錬で疲れた身体と心に染み入る。気を抜けばうっかり寝てしまいそうだ。

 だが眠ってしまっては、彼の身に何かあったときに間に合わない。

 それに演奏者に失礼というものだ。

 重たくなったまぶたを必死に持ち上げ、意識を引きずり込もうとする睡魔に全力で抗っていると……蒼羅の肩から左半身にかけて柔らかな重みがかかる。

 見れば、朱羽はこちらにしなだれかかり、蒼羅の左肩を枕に両目を伏せていた。

 吸う息は深く、完全に寝入っている。


 ―おいおいおいおい。


 蒼羅の顔からは血の気が引いた。流石にまずい。

 激しい演奏に合わせ揺れ動く麗雅。

 その顔が向こうへ向いた瞬間を見計らって、肩を揺すってみたり、頬をぺちぺちと張ってみたりするが、一向に目覚めない。

 どころかおだやかに表情をゆるませていく。普段の態度からは想像もできない、無防備なあどけなさにときめいている場合じゃない。

 本当に、本当に、見てくれだけは一丁前に美形なのが憎らしい。



 結局、朱羽が目覚めたのは、麗雅の演奏が終わったころだった。


「―我が愛しの御剣姫! どうだった、僕の奏でる調べは!」

「とても素敵でした。あまりにも心地良いものだから、思わず眠ってしまって」 

「そうかそうか、それは良かった。僕の奏でる音で、君は心身を休めることが出来たのだな!!」


 褒めてるように見せかけて、白々しくも開き直ってみせた朱羽の言葉に、はっはっは! と快活に笑う麗雅。

 渾身こんしんの演奏を聴き流されたにも関わらず、全く悲観せずにより一層ご機嫌になった彼に、朱羽は辟易へきえきした様子で蒼羅を振り返る。

 蒼羅はそんな彼女に『自業自得だろ』と視線で伝えておいた。


「では、私は撃剣の支度がありますのでこれで」


 朱羽は足早に麗雅から離れると、すれ違いざまに蒼羅の腕をむんずと掴んで引っ張っていった。


・・・・・・


 舞台裏へと連れて行かれた蒼羅は今、支度部屋したくべやの戸の前に立ち、胡乱うろんな目で狭い通路を見回していた。

 『着替えを覗かれるのは嫌だから、見張りとして立ってて』という話だ。

 関係者でもない一般人が、支度部屋こんなところに入るわけもないだろうに。


 まぁいい。とりあえず何事もなく麗雅の演奏は終わった。

 ほっと安堵し胸を撫で下ろした蒼羅だが―まだ胸騒ぎは消えていなかった。

 実のところ、あの御者こそが『芸術家殺し』だと、蒼羅は踏んでいた。


 日頃からあの馬車を利用している麗雅が、見慣れない新顔。

 彼はから、上の者に頼んで担当を代わってもらったという。

 『芸術家殺し』が会場に潜り込むために、御者に扮していたとしてもおかしくはない。

 —本当にこのまま終わるのか?

 —御者の笑顔に感じた棘は、ただの勘違いなのか?

 しかし蒼羅にはどうしてもそう思えなかった。

 人の目が集まる大舞台で標的を狙う殺人犯。

 五件の殺人の共通項と法則。

 それをえて外してくる可能性。


 —いや、安心してる場合じゃない。

 麗雅の演奏は無事に終了したのではなく、『芸術家殺し』が襲撃の時機をだけだとしたら?

 演奏が何事もなく終わり、瞬間を狙うつもりだとしたら?


 悪い予感が電撃のようにひらめいた瞬間、蒼羅は弾かれるように麗雅がいる客席へと駆け出した。

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