凹と凹⑤

『模倣犯、捕まる』

讃美音宮さびのみや家、慰霊祭を開催』

『芸術家殺し、また犯行』


 様々な見出しが踊る瓦版かわらばんを机の上に置いた蒼羅そらは、向かいの席に座る少女に呼び掛ける。


「―それで、なんの用で呼び出したんだよ」


 そこにいるのは、猫目を退屈そうにくもらせ、頬杖をつく白髪の少女―朱羽あけはだ。

 昼下がり、小料理屋の一席。

 周囲が人でにぎわう中、二人の間はぎこちない静寂がわだかまっていた。

 朱羽に呼び出され、先に着いた蒼羅が席を取り、そこに遅れてやってきた彼女が座った。


 そこまではいい。問題はそれからだ。


 料理の注文を終えてなお、一向に朱羽から話を切り出す様子がない。

 暇つぶしに手に取った瓦版もついに読み終わり、いよいよ暇を持て余した蒼羅の呼びかけに、朱羽は退屈そうな視線を動かし上目遣いにこちらを見る。

 すると観念した様子で―なにを葛藤かっとうしていたのか知らないが―諦めるように溜め息ひとつ。

 桜色の小さな唇を震わせ、ようやっと重い口を開いた。


「ねぇ蒼羅……あたしと、夫婦になってほしいの」


 返ってきたのは予想だにしない一言。

 思わず蒼羅は飲んでいた水を、ぶー!! と朱羽の顔へ向けて思い切り吹き出した。

 予期せぬ驚きを原動力に発射された奔流ほんりゅうは、朱羽がとっさに顔の前へ掲げたお盆で防御される。


「っぶな! なにすんのー!」

「おまっ、お前、自分が何言ってるのか分かってんのか!?」


 衝撃のあまりちょっとむせながら叫ぶ蒼羅に、お盆を下げ顔を出した朱羽は呆れがちに眉根を寄せる。


「途中で水ぶちまけてさえぎったのそっちでしょ。ちゃんと最後まで聞いてよ」

「え? 途中?」

「だから、麗雅さんとの縁談を取り消したいから、あたしと夫婦のフリをして欲しい、って頼みたかったんだけど」

「最初からそう言えよ……」


 蒼羅は嘆息混じりに言葉を返す。

 朱羽はああ言うが……さっきの発言はどう考えても、なんの脈絡みゃくらくもない求婚でしかなかった。


「つまりはあの麗雅うるまさって奴の前で俺と夫婦のフリをして、お前のことを諦めさせるわけか?」

「そうね、そういうこと。言葉足りてなかったかも」


 要点をまとめた蒼羅の言葉に朱羽は頷く。

 彼女の目にこちらの反応を楽しむような色があるのを見るに、さっきのはわざとだ。


「言葉足りなすぎだろ……。頭の方も足りないんじゃないのか」

「はぁ? 頭足りてないのは蒼羅の方でしょ。あたしが本気であんたなんかと夫婦になりたがると思う?」


 蒼羅が放った嫌味に返ってきたのは痛烈な皮肉。言い返そうとして一瞬、言葉に詰まった。

 ……確かにそれもそうだ。

 冷静になればあからさまな冗談だと分かるのに、それを真に受けてしまうとは。


「じゃあ別に俺じゃなくてもいいだろ。断る」


 苛立いらだちと気恥ずかしさが混ざった感情が沸き立ち、蒼羅はぶっきらぼうに言い放って席を立つ。


「—待って待って待って!」


 すると朱羽があわててその腕を掴んで引き止めた。二人の席へ料理を運んできた給仕係が、困ったように足を止める。


「なんだよ、お前と夫婦になりたい男なんてそのへんにごまんといるだろ。そいつと一芝居打てばいい」

「嫌、絶対に嫌。あたしはあんたがいいの。あんたじゃなきゃダメなの」


 美しい少女に熱視線を注がれながらそんなことを言われたら、世の男のことごとくは首を縦に振るだろう。

 だが蒼羅は小さく嘆息した。


「なんで俺なんだよ……」


 これほどの別嬪べっぴん、お近づきになりたいと思っている男はたくさんいる。中には蒼羅や麗雅なんかよりもずっと、眉目秀麗な美男子だっていることだろう。

 なのに、わざわざ自分を選ぶ理由が分からない。

 内面を差し置いて外見だけを見たとき、この少女に対し、不幸顔の自分ではあまりに不吊り合いだ。

 蒼羅はそんな彼女と仕事上の相棒、そして剣術の師という接点を作っていた。

 世の男たちよりも若干、高嶺たかねの花に手が届きやすいであろう位置。

 彼らの羨望せんぼう、あるいは嫉妬しっとを一身に集めかねない位置に自分がいることに、他ならぬ蒼羅自身が一番困惑し、気が引けているのだ。

 そんな蒼羅の心中を知る由もなく、そして配慮する気もない朱羽は、全く躊躇ためらう様子もなく言ってのけた。


「決まってるでしょ。あんたのその不幸顔が好きってことにして、麗雅さんに失望してもらうの」

「…………」

「それにこの前、あんたのこと使って誤摩化しちゃったし」

「…………」


 この男を利用してやろうという魂胆は朱羽の顔に透けて見えていたが、それを包み隠しもしない様は呆れるほど清々しいものだ。

 蒼羅もそんなところだろうとは薄々思っていたので、特に驚きも落胆もない。

 怪訝に目を細め、淡々と返事をするのみ。


「理由は分かった」

「なら」

「だけど断る」

「えぇー」


 首を縦に振らない蒼羅に朱羽は口を尖らせると、立ち上がってこちらに視線を合わせ、一転して真面目な口調で言った。


「じゃあこれは交換条件。あたしはあんたに剣を教えた。その対価を要求します」

「……………………」

「……………………」

「……………………分かったよ、やればいいんだろ」


 数秒の逡巡しゅんじゅんの後、蒼羅はしぶしぶ席に戻った。

 朱羽は『ふむ、よろしい』と笑んで上機嫌に鼻を鳴らした。

 立ち往生していた給仕係が安堵した様子で料理を置いていく。目の前で湯気を上げる定食料理を見ながら、蒼羅は小さく溜め息を吐いた。


 今は彼女に師事する以外に強くなる方法を見つけられない。そしてやっと手にしたその機会を、こんなことでみすみす逃すわけにはいかない。

 結果として朱羽の狙い通りになってしまったのは癪だが。


 —こんな厄介事は早々に済ませるに限る。

 しかし蒼羅には、縁談を取り潰すための作戦を聞き出す前に、色々と確かめておきたいこともあった。

 そもそも『許嫁』だとか『縁談』だとか相手が『貴族』だとか、蒼羅にとっては突拍子も無さ過ぎて事の全貌が掴めていないのだ。


「なぁ、相手は讃美音宮家の長男なんだよな?」

「うん」

「…………あれが?」

「…………うん」


 眉根を寄せる蒼羅に、その心中を察してか朱羽は苦笑する。

 讃美音宮さびのみや家は、この国の貴族の中でも有数の権力を持つ家だ。

 しかし、その長男である麗雅の人間性に、蒼羅はちょっとした不安を抱いていた。

 というのも、


 街中で朱羽の姿を見つけるや、大声で叫び出す。

 走って逃げられれば、地に倒れ付して男泣きをする。

 再び朱羽を見つけると、今度はその場で求婚し始める始末。


 ……控えめに言って、まともな神経の人間ではない。


「お前、あれの許嫁なのか?」

「違う違う違う違う」


 首をぶんぶんぶんぶんとすごい勢いで横に振り、食い気味に否定する朱羽。


「あっちが勝手に盛り上がってそう呼んでるだけ。家同士でもそんな取り決めされてない」

「じゃあなんで」

「さぁね。単純に、あたしが欲しいだけじゃない?」


 言われて、蒼羅は麗雅が並べ立てていた美辞麗句の数々を思い出す。

 冗談やお世辞ではないだろう。あの男、おそらくそう思っている。


「お前の貧相な身体が目当てか?」


 冗談を飛ばすと、机の下ですねを蹴り飛ばされた。

 無言で悶絶もんぜつする蒼羅を、朱羽は冷たい目で見下ろす。


「すけべ。舐めてると痛い目に合うよ?」

「さっき会ったよ、親友だ。……いやでも、貴族のたま輿こしなら、お前にとっても悪い話じゃないだろ」


 蒼羅は女性の幸せに関してはうといが、朱羽に来ている縁談が悪いものではなさそうなことぐらいは分かる。

 だが、彼女はその選択肢を放り出そうとしている。

 運ばれてきた料理に口を付けようとしていた朱羽も、その質問はもっともだと思ったようだ。箸を止め、ひとつうなずいてから口を開く。


「そうね、あたしもだったらそうしてたかも。でも、いまはそんなことにうつつを抜かしてられない」

「そんなこと? ……なぁ、お前が縁談を断ってまでやりたいことってなんだ?」


 朱羽にも、やりたいことや目指すものがあるはずだ。そして麗雅との縁談がその障害となったために、取り潰そうとしているのだろう。

 しかし彼女が具体的になにを成そうとしているのか、蒼羅はまだ知らない。

 それは朱羽が『旗本衆はたもとしゅう』の一員だと知ってから、ずっと不思議に思っていたことでもあった。


 旗本衆の仕事は、治安維持や災害地への救援を行うのがほとんど。

 力仕事や荒事の対処には男手がいるため、特に継ぐべき家業の無い男子が就くのが一般的だ。

 宿舎では一日三度の食事が出され、寺子屋よりも上等な教育を受けられるから―なんて側面もあるにはあるが。


 だが朱羽は女性だ。ならば他の道もあったろうに、どうして?

 蒼羅の問いに、しかし朱羽はぷいっとそっぽを向いてしまう。


「あんたには関係ないでしょ」

「関わる以上は知っときたいんだよ。要は信用の問題だ。……お前の計画に乗って犯罪の片棒でもかつがされたら、たまったもんじゃないからな」


 蒼羅も、よもや自分がそんなことに足を突っ込むとは思っていない。

 少々強い言い方になってしまったのは、それでも万が一危ない橋を渡る可能性を危惧したのと、こうでもしないと朱羽は口を割らないと踏んだからだ。

 すると朱羽は胡乱うろんな視線だけでこちらを見ながら、大儀そうに口を開く。


「生涯の伴侶はんりょを勝手に決められたくないってだけ。もうしばらく自由で身軽でいたいの。……これで満足?」

「……そうか」


 返ってきたのは、型にめられることに反発する、年頃の青少年のような答え。

 朱羽の華奢きゃしゃな身体から放たれる圧がわずか強まったのを見るに、これ以上聞き出すのは難しいだろう。

 物騒な動機で巻き込まれるわけではなさそうなので、蒼羅は納得を示して大人しく退くことにした。


 料理に箸を付け始めてしばらくしないうち、蒼羅は物珍しそうに朱羽の食事風景を眺めていた。

 その視線に気付き、朱羽は目を細めて怪訝けげんな声を上げる。


「…………なに? じろじろ見て」

「あぁいや、別に」

「?」


 笑って誤摩化す蒼羅に、朱羽は一瞬だけ小首を傾げた後、何事もなかったかのように再び料理を口に運び始める。

 その様を見ながら、蒼羅は小さく感嘆の息を漏らした。

 一体どこでしつけけられたのか……箸使いから碗の持ち方、どれを取っても随分と上品な所作だ。

 庶民で賑わう小料理屋のはずだが、まるで格式高い料亭にでも来ているような錯覚を覚える。

 こいつもしかして、どっかの裕福な家の生まれか?


「―じゃあ明日、麗雅さんに会いに行くから。またここに集合ね」


 二人が昼食を食べ終えたころ、そう言って朱羽は席を立ってしまった。

 あまりに急な話に、蒼羅も追い掛けるように席を立つ。


「おい、ちょっと待てって」

「……なに、自分で払うの? あたしは昨日の鯛焼きの分、おごってあげようと思ったんだけど」

「そっちはお言葉に甘え―じゃなくて、明日会うっていくらなんでも急だろ」

「善は急げって言うでしょ」

「縁談を取り消すつもりなんだろ? 打ち合わせとか、作戦とかは―」

「あったらとっくに伝えてる」

「無いのかよ……」


 肩を落とす蒼羅を尻目に、朱羽はさっさと歩いていってしまう。

 蒼羅は落胆しながら、彼女の無計画さにどこか納得し、諦めもしていた。

 昨日の稽古を思い出せば分かることだ。

 この女は一から十まで懇切丁寧に教えてくれるほど、親切な人間じゃない。

 人を巻き込むだけ巻き込んで通り過ぎていく、嵐のような女だ。


 背中を見送りながら吐き出した溜め息は、その日の中で一番重いものだった。


・・・・・・


「ようこそ御剣姫みつるぎひめ! ―と、!」


 小料理屋で話をした翌日。

 蒼羅と朱羽は、中央区にある讃美音宮家の別荘にいた。

 煉瓦れんが作りの豪奢ごうしゃな洋館の内部では、洋風の部屋の中に着物の少女と軍服の少年がいる、頓珍漢とんちんかんな光景が生まれていた。


 シスター・ヒプノの案内で通された部屋は、蒼羅が見たことのないものであふれ返っている。

 壁は淡い色合いの可憐な花柄で彩られ、床には真っ赤な絨毯じゅうたん。 

 異国独特の装飾が施された調度品の数々。戸を硝子がらす張りされた棚には、滑らかな質感の陶器がいくつも収められていた。

 顔を上げれば、樹冠めいた流麗な造形の天井灯が、部屋を橙色に明るく照らしているのが目に入った。

 麗雅が『そこに掛けてくれたまえ』と言っていた代物―確か『』とか言ったか―も妙な座り心地だ。

 椅子や座布団とは違う、まるで身体が沈み込むような着座感には、思わず蒼羅も『うぉおおあ』とか変な声を上げてしまった。

 まるで別世界に迷い込んだようで、なんだか落ち着かない。


「―貴族様が相手だからって固くならなくていいよ。自然にしてて」


 そう耳打ちしてくる朱羽の声は、の関係上、普段より心なしか優しい。


「あ、あぁ」


 蒼羅はむずがゆい感覚を覚えた。別に緊張でそわそわしているわけではないのだが。

 朱羽は紅白の着物にその身を包み、普段よりも豪奢な髪飾りや装飾を付けている。

 蒼羅の前で見せる冷淡さは鳴りを潜め、今の彼女は令嬢然とした雰囲気をかもし出していた。

 二割増しで綺麗に見えるのがなんだか腹立たしい。

 蒼羅はいつもの軍服だった。こういった場所に着ていく正装というものを、残念ながら彼は持ち合わせていない。


 知らず、向かいに座る麗雅を見る目は鋭く細められる。

 確かに、朱羽は美しい女性だ。そこいらの街娘とはワケが違う。

 傾国けいこくの美姫めいた端正な顔立ちだけを見れば、名家の令嬢と言われてもなんら疑問を持たないだろう。

 だが、ひとたび口を開けば皮肉か嫌味が飛び出し、自分のために平気で他人を犠牲にしようとする女だ。


 もし麗雅が彼女の本性を知らず、盲目的な愛をささやいていると言うのなら……がつんと一発殴って眼を覚まさせてやる。


 蒼羅の心中では、そんな妙な義憤が燃え盛っていた―のだが。

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