疑惑と刺客⑦

 部屋に踏み込んできたのは、彫りの深い顔をしたよわい四十過ぎの男—崇木武導たかぎぶどう

 

 その姿を目にした蒼羅そらの脳裏に、彼との思い出が次々と投影される。

 それらは揺らいでにじみ始め、やがて火を付けられた紙切れのように、端から黒い絶望に塗りつぶされていく。


 ―案外、殺すはずないなんて思ってるのはあんただけだったりして。

 —師範代さんも、裏の顔はとんでもない人殺しかもよ。

 —あんたのことも、嬉々ききとして殺しに来るかもね?


「そんな、まさか本当に……」


 乾いた声を絞り出し、現実をこばむように首を振る蒼羅の足は、自然と一歩下がる。

 それを見た朱羽あけはは呆れたように息を吐くと、一歩前へ出て凛と通る声を上げた。


「崇木武導さん。貴方には殺人の容疑が掛かっています。詳しい事情をお聞きしたいので、屯所とんじょまでご同行願えますか?」

「待ってくれ。私はやってないんだ」

「なら、これはどう説明を?」


 静止を求めるように手を掲げ、すがるような声を上げる崇木たかぎ。朱羽は床に倒れ伏した浪人たちを顎でしゃくって示す。


「彼らに、私たちを襲うよう指示をしたのでは?」

「それ、は―」


 朱羽の冷たい詰問に、ばつの悪そうに目を逸らす崇木。そんな疑い、即座に否定するだろうという蒼羅の予想―


 いな、『否定してくれ』という願いに反し、彼は言いよどむように口を閉じた。



「―ご苦労さん」



 唐突に、びた声が会話に割り込んだ。

 そのとき蒼羅はやっと、後ろから崇木へ近付くもう一人の存在に気付いた。隣の朱羽が剣呑けんのんな気を放ちながら、崇木の右隣に立った男の名を呼ぶ。


虎堂こどう……」


 灰をかぶった色合いの髪。獣の爪に引っ掻かれたかのような二条の傷が刻まれた頬。

 陣羽織じんばおりめいた山吹色の長外套なががいとうに身を包んだ男―虎堂琥轍こどうこてつは、ぎらついた獣の目を横へ滑らせ、立てた親指で隣の祟木を示す。


「このおっさんの言ってることは本当だ。コイツは通りがかっただけで殺してねェよ」

「じゃあお前が『醜落しゅうらく』近くの通りで人を殺して、師範代を巻き込んだのか!」

「は? 俺じゃねェし、誰が殺したかも知らねェな」


 激する蒼羅を見て、琥轍は小馬鹿にするように鼻で笑う。


「……だいたい、イキってるチンピラなんぞ殺して、なにがたのしいんだか」


 独白しながら理解しかねるように首をひねる琥轍に、朱羽は怪訝けげんな表情を浮かべる。


「あんたの言うこと、信用すると思う?」

「それはおめぇらの自由だ。ま、仮に真犯人がいたとして、そいつをかばう理由がねェよな。義理人情に厚いように見えるかァ? 俺が」


 猜疑心さいぎしんに満ち満ちた朱羽の声に、皮肉っぽく自嘲じちょうする琥轍。

 一理あると考えたのか、朱羽は開こうとしていた口を閉じて押し黙る。


「あぁ、でも巻き込んだってのは正解だぜ、そこの不幸面。お前らにこの浪人どもをけしかけたのも俺だ」

「……なんのために」

があったのさ。そして目的は達成できた……おめぇの役目は終わりだ」


 一瞬だけ朱羽へと視線を飛ばした琥轍が突き放すようにそう言った直後。乾いたが響く。

 それと同時に大きくよろけた崇木の背を、琥轍は乱暴に蹴り飛ばした。


「師範代!!」


 蒼羅は倒れた崇木に駆け寄り助け起こす。その右足から血が流れているのを見て、反射的に琥轍を睨み付けた。

 彼の右手には回転式拳銃が握られ、その銃口からは硝煙しょうえんが立ちのぼっていた。

 あわてて蒼羅が止血する間に、二人を庇うように前へ出た朱羽は、一瞬だけ崇木へ振り返った。


「崇木さん。あなたが無実かどうか、私たちにはこの場で判じる術がありません。なので、屯所で詳しい話をお聞きします」

「……朱羽」

「蒼羅、落ち着いて。話を聞くだけだから。それに、虎堂アイツの言うこと信用するわけ?」


 押し黙る蒼羅に、朱羽は次の言葉を待つことなく琥轍へ向き直る。


「にしても、案外あっさり解放するのね。人質として使うものだと思ってた」

「はァ? そんなダセェことすっかよ。言ったろ、そいつはもうだ」

「お前……ッ」


 投げかけられるのは謝罪ではなく心無い言葉。

 敵愾心てきがいしんあらわにする蒼羅を手で制し、朱羽はつとめて冷静な声音で問うた。


「それで、浪人たちを使ってまで、あんたが見たかったものってなに?」

「野暮が。『八咫烏ヤタガラス』―

「……あたし?」


 琥轍はわずかな苛立ちを見せながら小さく肩を落とす。その答えに、朱羽は頭痛をこらえるように額に手を当てた。


「このまえり合ったときから、どうもおかしいと思ってたが……やっぱなまってるなァ。昔の方が動きのキレが良かったぜ、お前」

「それはどーも。だったら、前みたいにあたしだけ狙えば良かったんじゃないの? この人を巻き込む必要あった?」

「別にいなくても良かったが、巻き込んだだけだ。ちょっとした余興よきょうだと思えよ」

「―余興だと? そんなくだらないことのために、お前は師範代を巻き込んだのか!!」


 蒼羅は立ち上がり、怒りのまま握り締めた拳をきしませる。


「おいおい、戦わねェんじゃなかったのか?」

「……気が変わった」


 嘲弄ちょうろうするような琥轍の言葉に、返す蒼羅の声音は激情を帯びる。


 獅喰蒼羅しばみそらには、理屈抜きで許せないことが二つある。

 ひとつは自分を『疫病神やくびょうがみ』とののしられること。


 そしてもうひとつは、ことだ。


 自分の抱いたくだらない疑念を証明する―

 ただそれだけのために、この男は捜査を引っ掻き回し、関係ない人間まで巻き込んで傷付けた。

 到底、許せるわけもない。琥轍の所業は、蒼羅が最も忌み嫌うものだった。


「お前は、一発殴らなきゃ気が済まない」

「……殴れるもんなら殴ってみろよ?」


 怒りに震える宣告に、口の端を裂けんばかりに吊り上げる琥轍。その双眸そうぼうには、戦乱を望む獰猛どうもうな炎が燃え盛る。  


「ちょっと、どうしちゃったの?」


 朱羽はとがめるように声を掛けるも―思い直すように口を閉じた後、不敵に口角を持ち上げた。


「……まぁいっか。蒼羅、あんたに乗ってあげる」

「だからお前の手は―」

最初はなっから貸す気ないって。あんたは虎堂を一発殴りたい、あたしは虎堂を捕まえて手柄が欲しい……利害の一致ってやつよ。ありがたいことに、公務執行妨害ってお題目もあるしね」

「へーェ、二人掛かりか。いいぜ、まとめて相手してやるよ。『八咫烏』ひとりじゃ、歯応はごたえが無くてつまらねェからな」

「虎堂、覚えてるでしょうね? 勝ったら黒幕について話すって言ったこと」

「あァ、教えてやるとも。―、の話だがな」


 不敵な笑みを浮かべながら両掌を上にして掲げ、二人を挑発的に手招きする琥轍。

 それにこたえるように、蒼羅と朱羽は同時に駆け出した。


 先行した朱羽が仕掛ける。

 地をうように沈み込ませた姿勢からの斬り上げ。

 空間を斜めに裂いて迫る一閃を、琥轍は半身になって回避。続く刺突に対して前へ踏み込み、朱羽の腕を掴んで強制停止させる。

 琥轍はその肘を極めながら背後へ回ると、殴りかかろうとした蒼羅に対し、彼女の身体を盾にするように向き直った。


「ッ!」


 躊躇ためらって動きを止める蒼羅。その脇腹に鈍い衝撃。

 回し蹴りをもろに食らったのだと気付いたときには、吹き飛ばされた身体は調度品に激突していた。老朽化した棚を木片に変え、濛々もうもうほこりを巻き上げる。


「蒼羅ッ」


 琥轍は叫んだ朱羽を黙らせるように床に叩き付け、うつ伏せに組み伏せた。


「やっぱ、動きのキレが昔と違いすぎる。お前、『八咫烏』か?」

「どいつもこいつも……人の過去を知った風に言わないでよッ」


 不思議そうに首を捻る琥轍に、朱羽は苛立ちを言葉に乗せる。

 木片の山から抜け出した蒼羅は、助けるために近付こうとして―ふとした疑問に足を止めた。


「……なんでお前が、朱羽を知ってるんだ?」


 その問いに琥轍は小さく吹き出し、なにを今更、といった表情をつくる。


「そりゃ知ってるさ。なんせは、幕府の暗殺部隊『天照あまてらす』の一員だったからな」


 蒼羅は、その口振りに違和感を覚えた。

 彼が『天照』の一員であるからではない。むしろそれに関しては、特段に驚いてもいなかった。

 卓越たくえつした朱羽の剣技を相手取ってなお、それを一方的に叩きのめせる実力を持つ琥轍が、ただの喧嘩屋なわけが無い。

 問題はそこではなく。


 ―彼はと言った。


 己の過去を明かすのに、いったい何故、なのか?

 疑念を解消しようと思考を巡らせるうち、浮かんだひとつの可能性―それが的中していることを、蒼羅は琥轍の表情を見て悟る。

 

「そういや、おめぇには名乗ってなかったな。俺は元『天照』第二席―『虎』の虎堂琥轍」


「—そして朱羽コイツは、の『鳥』だ」

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