エピローグ

燻る火種

 『大江都万街おおえどよろずまち』中央区――『架梯城かけばしじょう』。

 に呼び出された依智いち狒々愧ひびきは、目的地である老中の部屋の前でばったり会った人物に、怪訝けげんな視線を向けていた。


 小さく手を振りながられしく近寄ってくるのは、海藻類のような髪の優男やさおとこ――葦切よしきり統逸とういつ


「や、依智に狒々愧じゃないか。久しぶり」

「統逸……なんで貴方がここに?」

「親父に呼び出されたんだよ。おそらく君たちと同じ用だ」

「聞いたぜー、『旗本衆うち』の筆頭に取られたんだってな? 手柄をさぁ」


 歌舞伎かぶき隈取くまどりめいた化粧けしょうの顔を、嘲弄ちょうろうゆがめる狒々愧。統逸は不快感を隠そうともせずすごんだ。


「元はといえば、君たち二人がしくじったのが悪い。僕が尻をいてやったのに、その口のき方はなんだ?」

「お父様は――」

「おい、葦切よしきり総斎そうさいは俺の親父だ。のお前らが、自分の父親みたいに気安く呼ぶな」


 怒りをあらわにした低い声に、依智は気圧けおされるように口をつぐむ。

 しかし黒い前髪と口布の間からのぞ気怠けだるげな目許めもとは、害虫でも見るように冷え込んでいた。


「あの人は血筋を贔屓ひいきしない。能力と有用性で人を判断する」

「血を引いていないからって、お前と俺たちの間に優劣があるわけじゃねぇだろ」


 依智と狒々愧の反論に、統逸はやれやれと肩をすくめる。


「そうだね、僕らは対等だ。その上で考えてごらん。僕は老中ろうじゅう直轄ちょっかつの『御用ごようあらたメ』を任せられている……それは僕が、君たちより有能であることの証だろう?」


 負け惜しみもここまで来ると滑稽こっけいだな、と汚泥おでいの煮立つような含み笑いを漏らし、肩を震わせる統逸。


「失態続きの君たちを追い抜くのも時間の問題だ。もしクビになって路頭に迷ったら……そうだな、依智なら僕の下で可愛がってやってもいいよ。君は愛想は悪いが、顔が良い」


 気障きざったらしくあごを持ち上げようと伸ばした腕は、横合いから伸びた手につかまれて届かない。

 不快に顔を歪めた統逸の視線の先、手首をし折らんばかりに力を込めているのは狒々愧。


「なんだ、大好きなお姉ちゃんを取られたくなくて必死か?」

手前てめぇ、いい加減にしろよワカメ頭」

「それはこっちの台詞だ……あざになるだろ、早く離せよ」


「——騒がしいな」


 老練ろうれんの重みを乗せた地響じひびくような声が、あきれた調子を伴ってふすまの向こうから響く。

 刹那せつな、三人は落雷に打たれたように——事実、彼らにとってはそれほどの影響力のある存在だ——動きを止める。


「無駄話はいいから入って来い」

「失礼しました、只今ただいま


 電撃的な速度で正座した依智によって、からりと開いた襖の向こう――上座で尊大そんだい胡座あぐらをかく一人の老人がいた。


 痩身そうしんを包むのは、金色の肩衣を掛けた上質な絹の着物。

 傷んだ白髪を左右に分け、覗く額から右頬にかけては、斜めに走る一筋の刀傷。

 深いしわが刻まれた顔はいわおのよう。そこに開いた二対の洞穴どうけつには、よわい七十を越してなお爛々らんらんと野心のほむらが燃え盛る。


 彼こそ幕府老中にして三人の父、そして暗殺部隊『天照』の――葦切総斎。

 視線を水平に滑らせて下座に並んだを眺めた後、老爺ろうやは鼻から大儀たいぎそうな息をこぼしながら話し始めた。


「お前たちを呼んだのは他でもない……元『天照』の連中についてだ。裏賭場うらとばの件を皮切りに、『馬』と『蛇』が『艶街いろまち』から失踪。裏で『鼠』と『牛』が関わっているとも聞いた。……『醜落しゅうらく』では『虎』が暴れたそうだな」


 おごそかな口調でつむがれる事実にうなず姉弟きょうだい

 その横で、統逸は辟易へきえきとした顔をして分かりやすく苛立いらだちの声を上げる。


「おい、親父。僕は神道しんとうの話や、十二支の御伽噺おとぎばなしを聞きに来たわけじゃないぞ」

「話の腰を折るな統逸。お前に名誉挽回めいよばんかいの機会をくれてやると言ってるんだ。……手柄を上げれば、昇格も考えてやる」


 ぴしゃりと言いすくめられ不満そうにしていた統逸だったが、『昇格』という単語が出たあたりから下衆げすな笑みを浮かべて大人しくなった。

 姿勢がわずかに前のめりになっている彼に、姉弟はまたも怪訝な視線を注ぐ。


「この半年の間で、元部隊員の半数が表立って動き始めた……単なる偶然とは思えん。この件については彼らをそそのかした者が――がいると踏んでいる」


 伸びた白い顎髭あごひげを手持ち無沙汰ぶさたに撫でながら、悩ましげに息を吐く総斎。視線が外れ、謹厳きんげんな黒の双眸そうぼうが思案に揺れる。


「組織的な行動が出来る奴らではないが……もし一斉に武装蜂起ぶそうほうきなどされたら、現在の『旗本衆』では歯が立たん。民草にも大きな被害が出るだろう。事が大きくなる前に首謀者を暴き出す。――幕府老中の権限をもって命ずる。泰平たいへいの世の存続のため、なにを犠牲にしても成し遂げろ」


 ひび割れた唇から発せられるみことのり。それが示す彼らへの信頼と責任の重さに平伏するかのように、三人はそろって頭を下げた。


・・・・・・


「——手伝う、だと?」


 とっぷりと日が暮れた頃、『醜落』のとある廃屋。烏玉ぬばたまの闇の中で胡乱うろんそうなしゃがれ声が響く。


 こたえるように燐寸マッチを擦る音が鳴ると、闇の中に橙色の光が生まれ、二つの人影がぼうっと照らし出された。


 せた漆喰しっくいの壁に、包帯塗れの身体を預ける木乃伊ミイラ男――『仏斬ぶつぎ供臓くぞう』の模倣犯。

 相対あいたいするのは、荒れた部屋の中央にたたずむ、ランタンを持った黒衣の人影。


「そうだ。お前の復讐の手伝いをしてやる」


 不気味に照らし上げられた黒塗りの狐面からくぐもった声が響く。飄々ひょうひょうと浮ついた調子の言葉に、模倣犯は包帯まみれの顔から覗く目許を猜疑さいぎに細めた。


「乗らん。……お前の素性も、狙いも分からぬ」

「じゃあ――?」


 人影が狐面を外した瞬間、声色が。軽はずみな調子はそのままに、高く澄んだ声へと。


 秘されていたのは十代の少女の顔。

 細い輪郭りんかくと薄い鼻梁びりょう。妖しげな糸目も相俟あいまって、狐のような印象を受ける。

 まとめられていた黒髪が解け、顔の脇にさらりと垂れた。


 わずかな動揺に見開いていた模倣犯の目が、それを見てさらに胡乱な冷たさを増した。


「からかってるのか小娘。俺も時間が惜しい、与太話よたばなしにこれ以上付き合わせるのなら……にえになってもらおうか」

ッスねー、せっかくこの稲荷いなりちゃんが手伝ってあげるって言ってんのに」

「俺に手を貸す理由は?」

「やだなー、なんて、人として当然のことじゃないッスか」


 言葉の意味をはかれず眉を寄せる模倣犯を他所よそに、自らを稲荷と称する少女は『まぁアタシ神なんスけどね』などとのたまってみせる。


「人を殺し続けるだけで殺人鬼と対等の立場に立てるだなんて、片腹痛いッスよ。おめでたい頭してるんスねぇ? そのためにわざわざ遠回りして、が迫ってるなんて――」


 軽薄な笑みが、侮蔑ぶべつの色で冷たくにごる。


「いやーほんと哀れッスねー、救いようがないッス。あんまりにも滑稽こっけいで可哀想だから、アタシ思わず手を差し伸べちゃったんスよねー」

「……ほう?」


 模倣犯の嗄れ声が興味に上擦うわずる。声音こわねとは正反対に、包帯の巻かれた五指はげていた刀のつかに掛かった。


「自ら贄になりたいとは、殊勝しゅしょうな心掛けだ」  

「わーっ!! ちょちょちょ、ちょい待ち!! 冗談、冗談。生贄いけにえおじさん怒ると怖いッスねー」


 鯉口こいぐちを切って響く鞘鳴さやなりが空気まで冷え込ませると、稲荷はあわてた様子で両手をかざす。


「アタシはただ、悪名あくみょうだかい『仏斬り供臓』のモノマネ芸人さんとしたいだけッスよー」


 ランタンの光に照らされ、血のこびり付いた刀身が赤く光る。

 突き付けられた切っ先に――己を神と自称する尊大さはどこへやら――すっかりへっぴり腰の稲荷はなだめるような笑みを浮かべた。


「取引?」

「そッス。なんとなんとー、アタシは』の居場所を知ってるッスよ」

「……なに?」


 愕然がくぜんとした反応に、垂らした釣り針に魚が掛かったかのような顔をする稲荷。


「んでんで、それを教える前にちょっところ――いや、贄にして欲しい人がいるんスよ。『旗本衆』の四天王——葦永あしなが鸞戎郎らんじゅうろうっつうんスけど」


 言いながら、稲荷はふところから人相書きを取り出す。


「そいつ殺してくれれば、アタシは『伽藍堂がらんどう』の死刑囚を娑婆しゃばに出せる。アンタは本物を殺せる……悪い話じゃないッスよね?」

「囚人どもを解き放って、なにをするつもりだ?」

「アタシはなにもしないッスよ、自由になった『西南せいなんいくさぐるい』どもが勝手に暴れるだけ。天下泰平なんていうかったこの国に、ちょっとした刺激を与えたい――んスよ。面白そうじゃないッスか?」


 沈黙を続けていた模倣犯は、突如とつじょとして身体を折って激しくき込んだ。

 口元を押さえる指の隙間から血が漏れ出すのを見て、嗜虐的しぎゃくてきっていた稲荷が駄目押しとばかりに意地悪いじわるく口の端を釣り上げる。


「このままだとー、んじゃないッスか? ——九条くじょう臥龍ふしたつさーん」

「クソ……分かった、乗ってやる……ッ」


 刀をつえに立ち上がった模倣犯――九条臥龍は忌々いまいましげに狐の笑顔をにらみつけ、苦渋くじゅうに満ちた声でその提案を飲み込んだ。



 『大江都万街』に降り掛かる新たな騒乱――その火種はすでに、誰知らぬ暗中でくすぶり始めている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シロクロコントラスト ニッケル @Nick_el

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ